短編小説「説得」


 都会ではなかなか手に入らない静寂がうりの農村で事件は起きた。立て篭もり事件である。犯人は一人の少女の背にしっかりとつき、少女の生まれ育った一軒家に夕方から立て篭っているのである。少女の家族はまだ肌寒い外気など構わず、胸の前で手を合わせ彼女が無事であることを祈っていた。




 「落ち着いて出てくるんだ」立て篭もり犯に対して高圧的な態度をとり、家の外から少女の解放を説得する老人がいた。「うるせえ、お前ら家に一歩でも入ってきたら、この女の命はないぞ!」2階の開け放たれた窓から見えるレースのカーテンが微かに揺れ、年齢の読み取れない怒号が老人に向かって叫ばれた。声は男でもあれば女の声でもあるような不気味なものであった。




 説得を試みていた老人は沈痛な面持ちで肩を落としていると、「お待たせしました。でも安心してください、俺が来たからもう大丈夫ですよ」と老人の背中から声をかける者がいた。老人は振り返り声の主を確認した。そして顔を合わせた途端、老人は今までの表情が嘘のような笑顔を作ってみせた。老人の笑顔はこの様な場において、適切なものではないことは本人も理解していた。しかし、それでも老人は向かい合う青年に対し笑顔を止めようとは思わなかった。




 「状況はどんな感じですか?」青年は着ていた服の上着を脱ぎ、紺色のネクタイを緩めながら老人に質問した。「あまりよろしくない。立て篭っている奴は女の子から離れようとしない。奴の口ぶりから強い殺意や不安、鬱憤を感じる」「ならすぐにでも交渉をしましょう」そう話すと、青年は右手に持っていた手提げバックから年季の入った拡声器を取り出し、口元に持っていくと語り出した。



 「はじめまして。俺は君と交渉がしたい。よければ声だけでもいいから反応してくれないかな?」青年は一軒家に向け飄々とした口調で問いかけた。しばらくするとやはり二階の窓から不気味な声が聞こえてきた。「交渉なんかしてどうなる?」「勿論いいことがある。君の望みを出来るだけ叶えてあげる。実現可能な範囲でね」青年は交渉術のプロらしく、スムーズに会話を展開させることに成功した。




 「君は何がしたい?」「この娘とその家族を全員殺したい」「いいよ、殺していい。寧ろなぜ今までやらなかった?」拡声器から放たれた青年の主張に対し、少女の家族は驚きの視線を向けたが青年は気にしない。




 「殺した後に君は何がしたい?」「殺した家族の親族を皆、末代まで呪いたい」「いいよ、呪っていい。寧ろ呪うべきだ」拡声器から放たれた青年の更なる主張に対し、少女の家族は不満を表す奇声をあげたが青年は一向に気にしない。




 「呪った後に君は何がしたい?」不気味な声の返事はなかった。「呪った後に君はどこに行き着きたい?」少し言葉を変え青年は再度問いかけた。すると、少女のか細い声で「天国に行きたい」と返事が返ってきた。 




 「お姉ちゃんを殺して、家族を殺した人が天国に行ける?」「……行けない」「親戚の人たちを呪った人が天国に行ける?」「いけません……」「なんでこんなことしたの?」「……パパとママがずっと私を見て泣くから、もう、ぜんぶ、嫌になったの……ごめん……なさい」返事をする少女の声はもうすでに涙声のようであった。それと同時に、青年の背後からも嗚咽混じりの声が聞こえ出した。




 ——「今日は助かったよ」車の中で老人は先程まで着ていたキャソックから、ラフな私服に着替え終えると運転する青年に感謝の言葉を述べた。「いいんですよ。しかし、こんな見るからに怪しい芝居であの家族は救われてるんですか?」青年は胸につっかえていた思いを素直に打ち明けた。




 「納得する理由を作ってあげたんだ、必ず救われる。そもそも今日こんな大がかりな芝居をしたのは、教会に助けを求めてきたあの女の子のためだ。『妹が事故で死んでから、お父さんとお母さんがおかしい。助けてください』と、泣きながら主のステンドグラスにすがっていたんだ。パソコンとスピーカーと少しばかりの劇団員で救えるなら安いだろ」老人はそう話すと豪快に笑いだした。その解釈に少しばかりの間違いがあるのに気づき、青年は補足した。




 「俺は本物の警察官ですって。劇団員じゃありません。駐在所に勤務してたって立派な警察官ですし、それに俺が来なかったら他の警察官が来てこんな芝居できませんよ」二人を乗せたパトカーはサイレンを鳴らさず、神父の自宅へと向かった。過剰な酒盛りでなければ今日くらいアルコールを飲んだって神は二人への加護を怠ったりはしないだろう。

 




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