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短編小説「苦労」



 ———「臥薪がしん嘗胆しょうたんという言葉があります。将来の輝かしい成功のために、苦労に耐えるという意味です。貴方がこれから教団の元で修行を積むにあたり、いつもこの言葉と共に歩んでほしいと思います。ですがまあ、そんな緊張しないで……。




 

 ———大丈夫ですよ、貴方みたいな優秀な大学を卒業された弟子も、ここには数多くおります。そういえば、これは偶然なんですが、先程、貴方をこの〝教祖室きょうそしつ〟へ案内した若い彼、あの子も貴方と同じ大学出身と記憶しています。そして、これはあまり大きな声では言えないのですが、私もその大学を出ております。





 ———いや……、これは伏せておくべきでしたかね……。申し訳ない。結果的ではありますが、貴方への学業に対する賞賛の言葉が、我が身にも浴びる様な形となってしまいました。いやあ、格好のつかない自画自賛の様な言い回しになってしまいましたね。




 ———まだ、緊張していますね?———そりゃ、ずっと座布団のふさを弄って、もう何本も抜いている様子を見れば、白痴はくちじゃなければ誰だって気付きます。———ふふっ、本当に気にしないでください。以前、『教祖様用に作りました』と言って、弟子たちがこの部屋に寄越した物ですが、表面の装飾のための糸が硬く、肌に触れると痛いのです。できることなら、これを機にもっと客人に適したものを用意してもらいたいと考えてたくらいなんです。房を抜いてくれてありがとうございます。





 ———話が脱線し過ぎてしまい申し訳ないね。先ほど少し話した、四字熟語の話に戻りましょう。実は臥薪嘗胆は転じて、成功のためにはある程度の苦労が必要不可欠である、ということも暗に説いている言葉でもあります。苦渋の時間に身をさらすのです。それが享受すべき愛しき苦労なのです。しかし、同時に恐れなければなりません。幾許いくばくかの年月を経て、苦渋の時間は苦労と呼べる質量を失っていることが、往々にしてあるのです。その現象にはいろいろな理由が挙げられます。慣れ、誤魔化し、成長など個人により様々です。その様な状態を淘汰し、我々は常に最良となる苦労を得なければならないのです。





 ———その通りです。修羅の道です。だからこそ徒党を組みお互いを励まし合い進むのです。これはもちろん、強制ではありません。しかし、我々は貴方がこの教団に入ることを、心より望んでおります。私の見立てでは、貴方は必ず〝幹部に入る〟素質を持っております。しかし、その素質は手放さなければなりません。自分のためにもです。





 是非〝天下てんか布武ふぶ添加物てんかぶつ転換てんかん協会〟に加入し、共に体重が70キロを切ることを目指しましょう。そして、目標を達成できた暁には、既に自立歩行が困難となっている教祖と幹部が入院している病院へ、お見舞いに行きましょう。我々の成功は教祖や幹部への光となるのです」と、関取のような体型をした男性が、汗をかきながらこのダイエットクラブの説明をしてくれた。





 私は目の前にいる男性が教祖では無かったことに驚きながら、目指す様にと言われた体重に怯えていた。70キロとは現在の私の体重の1/3となる。まさに修羅の道である。私は男性に対しどの様な答えを話そうか考えていると、(あれ?)と、男性が話した言葉の真意に気づいた。





 男性が語った〝幹部に入る〟という言葉は【病院に入る】という言葉の隠語ではないのだろうか?私は少し背筋が寒くなり、その未来を拒むため入信することを決めた。




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