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短編小説「誘拐」


 今回の誘拐は突発的なものでは決してなかった。まず誘拐するべき人物の特徴や、待遇に関する多くのチェック項目が設けられ、それに見合った人物を探すところからはじまった。チェック項目の内容もこれまた細かく、ある1つのチェック項目は句読点を合計50近くも使用し、読んでいる者の中には(これは小難しい単語を並べただけの作文なのではないか?)と、首をかしげそんな感想を抱く者もいた。しかし、それら1つ1つのチェック項目には有識者達による意見交換のもと作成されており、疑問を抱いてこそいても、声を上げるものは皆無であった。




 且つ、誘拐する人物の選定と同時に、誘拐を行う実行部隊も編成された。実行部隊は、誘拐時に起こりうる数々のトラブルを想定した訓練に従事し、来るべきその日まで十分に体を鍛えた。




 計画実行までの期間は延べ2年を超えた。これまでの期限を要した理由は、意外にもターゲットを確定してからの実行部隊が行う訓練に重きを置いた結果であった。それまでの漠然としたターゲットを相手取った訓練より、ターゲットを確定してからの訓練は自宅は勿論、就業場所となる国会、はたまた行きつけのスナックに至るまで、ある程度忠実に再現したレプリカの街並みを創り、いく日も誘拐のシミュレーションを行ったのだ。




 これだけ大掛かりな誘拐となると、もちろん一個人主体でのものではない。ある国が主体となり、敵国の要人を誘拐するために計画されたものである。そして、誘拐を行う目的は誘拐後の人質の命と交換として、たった1つの要件を通すためである。その要件とは、簡潔であるが故に残酷なものであった。そしてそれは、敵国の崩壊を望んでの要求であることに間違いはない。




 そして、多くの有識者の叡智を結集した結果、誘拐するべき人物は敵国の首相であると決まった。一見、有識者の意見など無意味であったようにも思える結果であったが、失敗が許されない作戦においてはむしろ実行部隊の士気を高める効果があった。



 「敵国の首相を誘拐すれば、我々の望みは叶う」「首相を誘拐すれば間違いはないのだ」「我々の国と全く同じではないか、首相こそが国民の太陽である。その光を少しの間、曇らすだけで良いのだ」実行部隊は、誘拐されるターゲットのイメージを自分の国に当てはめることで、この作戦がどれほど敵国に対し意味のある行動か深く理解する事ができた。




 そして、誘拐決行となる日を迎えた。誘拐場所は人目に付きにくい、首相の行きつけのスナックのトイレに決まった。もちろん事前に、首相の公務情報、トイレへの潜入経路、そして首相護衛にはどのような人間がつくのかなどあらゆる情報を入手しており、その点に対する不安など全くなかった。



 現在の時刻は正午。実行までの時間帯まではまだまだ余裕がある。実行部隊の面々は、スナック近くのマンションの一室にて、来るべき時のために準備押していた。




 着用する衣服をはじめ、止むを得ず使用する可能性のある拳銃の手入れをする者。不安を消すためか、それともターゲットとなる首相の顔を確認するためかテレビで政治中継を食い入るように見る者。進入経路及び退避経路を再度確認する者。大物ぶり、部屋で昼寝を堪能する者。皆がそれぞれ、大罪人となる準備時間を懸命に過ごしていた。



 「あっ!」テレビで政治中継を見ていた男が驚嘆の声をあげた。男の声はそこまで大きなものではなかったが、皆が瞬時に男の方へ視線を向けた。昼寝をしていた者も跳ね起きた様子を見ると、やはり全員がある程度の緊張をしていたようである。




 「これ……どうしましょう?」男はテレビに向かって指を差した。その指の先が微かに震えている。テレビに映るのは今日のターゲットの首相であった。しかし、何やらカメラのフラッシュの前でしきりに頭を下げている。「なんて言っているんだこれ?」敵国の言葉に詳しくない1人の男が、誰にというわけでもなく呟いた。その投げられた疑問は誰にも拾われる事なく、部屋の空気に溶けていった。数分間の沈黙。敵国の言葉に詳しい数名は、テレビを注視し必至に内容を理解しようと試みていた。そして、最初に驚嘆の声を上げた男がようやく話しはじめた。




 「この国の首相、辞めるみたいだ……。しかも、たった2年ほどの任期で『成すことは成せた』と、ふざけたことをはなしてる……」ある国は、敵国に対する理解がどうやら浅かったようである。敵国である日本の首相は、〝敢えて〟任期を短くし、要人暗殺や要人誘拐のリスクケアを行なっていることを知らなかったのだ。




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