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短編小説「偽物」


 (晩春ばんしゅんには、さとくない輩も気づき始めのよ。そうなれば私たちは皆、失業者になるの。きっと)と、女性は表情には決して表れることのない焦燥感と、諦めをカフェオレの様にブレンドした紫煙を吐き出した。無心で吐き出す紫煙と比べ、感情をブレンドされた紫煙は初春の夜風に晒されても、すぐには混じり消えずその場に滞在する。その姿は彼女をより苛つかせ、立ち止まっていた足を強引に新しい職場へと向かわせた。




 彼女は本来なら学生の下校時刻に合わせて、駅前にて仕事を行う。しかし、ここ1週間はそのルーティーンを自ら崩し、場所は駅前から離れた商店街、時刻も午後9時以降からと大幅な変更を余儀なくされていた。理由はシンプルなものである。顧客の大半を占める学生という人種は、柔軟な思考から偶発的に気づかなくて良い真理に到達することがある。その気づきがどうしようもなく怖いのである。それもそのはず、その気づきは彼女1人に対してではなく、世界に波及する可能性がある。『そんな〝事故〟みたいな気づきを、自分の目の前で披露なんてされたら……。考えただけでもゾッとするわ)彼女は自分の身を守るため、不都合を承知で色々な変更を行なったのだ。




 彼女は仕事で使用する小道具が入った桜色のキャリーケースを左手で引きずり、右手の人差し指と中指の間にはペンライトのような先端が赤く光る煙草をはさみ闊歩かっぽする。点在する電柱の街灯に彼女は照らされると、誰に見せつけるでもなく右手の煙草を口へ持っていき、電灯に照らされた空気と共に吸い込んだ。彼女の歩みは止まらず紫煙を吐き出したときには、既に彼女の背中しか街灯は照らすことができなかった。そしてその姿は、まるで暗がりへ逃げ隠れることを旨とする、犯罪者の様相にも似ていた。




 犯罪者。彼女は職業柄、〝詐欺師〟と、心無い言葉を顧客から吐かれたことも少なくない。しかし、決して犯罪者ではない。どちらかというと偽物と称する方が正しいだろう。その事実を彼女自身理解しているからこそ、他人の〝気づき〟を恐れているのである。〝気づき〟に対する正しい反論が浮かばず、あたふたする自分の姿しか想像できないのである。そしてそれが偽物である決定的な証拠でもある。




 〝ねえ、コロナウイルスの世界的な流行とか予言できてた?ここまで大きな事件を予言できなかった人の占いって、本当に信じられるの?〟そんな質問がこないことを祈り、彼女は今日も占いを行う。コロナウイルスに対する世間の関心が消えるのが先か、それとも彼女の占い師としての暖簾を下ろすのが先か。その未来すら見通せない彼女はやはり偽物なのである。





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