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短編小説「ごはん」



 「僕はもう我慢できない。毎日毎日、同じご飯ばっかりで頭にくる。お母さん、もっと違うご飯を作ってよ」小学5年生の一人息子は、テーブルに夕食を配膳するため、台所とリビングを行ったり来たりする妻を睨みつけながら吠えた。テーブルに座り妻の配膳が終わるのを待っていた私は、息子の突然の行動にひどく驚いた。そして、正面に座っている息子のその失礼極まりない態度の意味を、ようやく頭が理解した。私は父親失格というレッテルを貼られることを承知で、席を立ち座っている息子の頬を平手打ちした。




 「何様のつもりだお前は」平手打ちの後、私の口から出た声は低い怒鳴り声であった。そして私は動揺した。私の口調が亡くなった父親の声と瓜二つであったからだ。遠い昔、父親が私に怒鳴った声と全く同じであった。背筋に青竹を入れられたように姿勢を正して聞いた、あの父親の怒鳴り方と全く同じ口調で私は息子に詰め寄っていた。




 「毎日同じご飯なんて出てきてないだろ。今、母さんが用意してくれた料理を見てみろ。私たちの健康を気遣っての麦ご飯に豆腐ハンバーグ、それに、けんちん汁と食後のヨーグルトだ。昨日の夕食と全く違うじゃないか」私は落ち着きを取り戻すため、息子を諭すような説明を行った。だが、自分で説明した夕食のメニューをあらためて見ると、バランスの取れた内容が余計に心を締めつけてきた。そして妻の思いやりを理解できない息子に、より深い悔しさを覚えた。




 平手打ちを受け、私を見上げながら睨みつける息子の視線を無視し、ちらと台所の妻を見た。台所で立ち尽くす妻、平手打ちを受けた息子より、今にも泣き出しそうな妻の姿がそこにはあった。胸の前で祈るように手を組んでいる妻の姿を見て、私は息子に視線を向け直すと、今度は力任せに怒鳴り散らかした。




 「お前は母さんの手を見た事がないのか?パートの仕事や、家事を毎日一人でやっている母さんの手を。世界一美しい手だ。家族のために尽くしてくれている手だ。お前の今の発言、あの母さんの手を見てもう一度言えるのか?」息子は私の発言を黙って聞いていた。途中、息子が目に涙を溜めてるように見えたが、勘違いであった。泣いていたの私だった。私の目に溜められた涙が息子の目はおろか、輪郭までぼやかしていたのに気づかなかった。それほど私は言葉に熱を込め、息子を叱責した。




 私は服の袖口で涙を拭った。両目の視界が閉ざされ、部屋に満ちている重い沈黙が際立って感じられた。「ごめんなさい」その沈黙を小さな声が破った。驚いて私の挙動は静止してしまった。目を拭いながら聞いた声の主が、妻であることがすぐに分かったからだ。



 「貴方がそんなになって感情を表に出して、怒ってくれたことはなんだか嬉しいのだけど、たぶん貴方は誤解しているわ」「誤解ってなんのことだ?」私は目をしばたたかせながらそう妻に聞いた。妻は私に向かって少し決まり悪そうな表情を作り、話し始めた。




 「これは私のパートでの仕事も関係するから、貴方にも言ってなかったの。私、実は今のパートの職場で作ってる料理は、かなりの量の廃棄になるから内緒でもらって帰ってきてたの」「それが今の話となんの関係がある?」私は体にこもっていた熱が少しずつ引いていくのを感じてきた。




 「それを実は夕食にずっと出していたのよ。それに、ほら、朝食なんていつも夕食の残りを食べるじゃない?」「さっきから何を言いたいんだ?もう少しわかりやすく説明してくれ」妻を捉えている視界の端に、息子が微かに見えたが表情まではわからない。




 「だから率直に言うと、毎日同じものを出してるのよ。私は給食センターでパート雇用されているでしょ?私が仕事で作ったものを、まずその子が昼食に食べてるの。給食として。〝毎日毎日同じごはん〟ってのは、昼食、夕食、朝食の順番で同じご飯が出てくるのは嫌だって意味の話なの」妻の話を聞き、視界の端に映る息子が何度も頷くのが見えた。そしてやはり表情まではわからない。いや、直視する事ができない。




 先ほどまで私についてまわっていた父の面影も姿を消していた。どうやら、このような状況の打開策までは教えてくれないようである。







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