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陽キャとうつとありのままの自分

「ゴールデンレトリバーに会いたい!」

そう父にお願いして、先日茨城にいる父の友人宅に連れて行ってもらった。

私は昔から動物が大好きなのだが、犬の中では特にゴールデンレトリバーを愛していて、いつか飼いたいと思っている。

都内だとなかなか大型犬自体見る機会が少ないため、父の友人で最近カフェをオープンした方がゴールデンレトリバーを飼っていると聞いて、いてもたってもいられずお願いをしたのが先々週のことだった。

ありがたいことに突然の申し出にも関わらず父の友人が快く承諾くださったので、平日にも関わらず休みをとってくれた父と共に、カフェとご自宅にお邪魔させていただいた。

こだわり抜かれたお店はそれはそれは素敵だったし、コーヒーもお茶菓子も本当に美味しかった。一通り満喫させていただいた後、そわそわし始めた私の様子を察した父の友人が、
「よし、そろそろ会いに行きますか!」とご自宅に案内してくださり、ついに祈願のゴールデンレトリバー、イアンくんとご対面の時。

ワンちゃんは大好きだけれど飼った経験がない私は、いざその時を迎えると仲良くなれるかな、嫌われたらどうしよう…と不安な気持ちを抱えながら、恐る恐るイアンくんがいる部屋の扉を開けr 、、、、

バフゥゥゥゥゥゥゥッッ!!!!!!!!!!
扉を開け切る手間で私の目の前は金色の大きなもふもふでいっぱいになった。

こんにちはぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!
と言わんばかりの勢いで私にジャンプハグをお見舞いしてくれたイアンくん。彼が発する可愛さの威力と迫力に私の心と体は情けないかなよろめいてしまった。


にしてもでかい。本当に、でかい。
もふもふの毛は彼が動くたびにふわふわと舞い、私の顔をくすぐってくる。
ぎゅーっと抱きしめると嬉しそうにぱたぱたと動く大きな尻尾、私の顔をまっすぐに見つめてくる知性を宿した優しい目。少し微笑んでいるように見える口元。

興奮気味に私たちの周りをくるくると周り、匂いをかぎ、撫でて撫でてと頭や体をゆだねてくる。その仕草や表情の一つ一つが愛らしくて、尊くて。ようやく会えたのも、こうして懐いてくれたのも嬉しくて。なぜだか少し泣いてしまった。

来週からいよいよ職場復帰が控える中、ここ数日は心がざわざわと不穏な音を立てていた。一人で家にいると何か大きな黒いもやもやに飲み込まれ、支配されそうで、そんな恐怖心と闘っていた。

なるべく一人で考え込む時間をなくしたくて、父にお願いをしてずっと会いたかったイアンくんと優しい父の友人宅へ連れて行ってもらったのだが、その道中もずっと私の心を支配していた黒いもやもやは、イアンくんに会い歓迎のジャンプハグを受けた途端にスコーーーーーーーーーーーーーンと遠い彼方に飛んでいってしまった。

熱烈歓迎を受けた後は、お菓子を献上させていただいたりおもちゃで遊ばせていただくなどして、一通りイアンくんと楽しい時間を過ごさせてもらった。

私たちがいることにすっかり慣れ、食う遊ぶを存分に堪能したイアンくんはその後、私や父の足にピッタリとくっついてずーっと寝ていた。文字通り、ずーーーーっと。人間たちの話し声と笑い声をBGMに、とっても気持ちよさそうに大きな鼻息で一定のリズムを刻みながら。

足元で気持ち良さそうに眠るイアンくん

そして私たち人間は、話に夢中になりながらもイアンくんを優しく撫でる手を止めなかった。時よりイアンくんを眺めては、だらしなく顔がほころんだ。

その場にいた人間全員がイアンくん、そしてイアンくんが心穏やかに過ごせているこの空間に癒されていた。


自分から連れて行って欲しいとお願いしておいてなんだが、正直なところ初対面となる父の友人夫婦に対して気を使いすぎて疲れてしまうかなという不安があった。

が、ありがたいことに全くそんなことにはならなかったし、なんなら初めてお会いしたとは思えないくらいリラックスして、楽しい時間を過ごすことができた。

もちろんお二人が本当に素敵な方たちだったからというのが大前提ではあるけれど、イアンくんを前にするとみんな心が柔らかくなり、警戒心や緊張といったガードがふにゃふにゃと溶けてしまったからだと思う。


どうしてこんなに人間を穏やかに包み込んでしまえるのだろう。
わんちゃんをはじめとする動物や、赤ちゃん。私たち大人の緊張や警戒心、心の疲れを一瞬にして溶かしてしまう存在。彼らはどうしてそんなパワーを持っているのだろう。

イアンくん、父の友人夫婦にさよならをした帰りの車中はずっとそのことを考えていた。

もふもふしてるから?かわいい顔をしてるから?純粋無垢だから?

そのどれもが正解だとは思うけれど、
「ありのままの自分でいる」からというのが大きいのかなという結論に達した。


イアンくんはイアンくんとして、その時に感じた感情を隠さず演じず、ありのまま表現してくれていた。

はじめましての私が来たことを喜んでくれて、その嬉しさを大きな体で目一杯表現してくれた。大好きなお菓子をもらえそうな気配を察すると飛び起きて駆け寄り、待てをしながらよだれをだらだらと垂らし「早くくれ!」とせがんでいた。自分のお気に入りのおもちゃを持ってきて「遊んでくれ!」とじゃれつき、一通り遊んで満足するとその大きな体をどしんと横たえあっという間に眠りについた。

彼の行動には媚びへつらうとか、相手の顔色を窺うとか、そういうものが一切なくて、清々しいほどに「素の自分」でそこに存在していた。

そしてそんな彼の存在に私たち人間はすっかり毒気を抜かれ、影響を受け、無意識ながら自分たちも「ありのままの自分」でいられていたのだと思う。

普段ならかなりガードを固めていってしまう私が、こんなにもリラックスして初対面の、しかもけっこう年上のご夫婦に接することができたのも彼のこの在り方のおかげだろう。


もちろん私たちニンゲンオトナはイアンくんのように感じたまま、欲のままに感情を表現し、行動することは難しいし、そんなことをしたらオトナとして不適切だと怒られてしまったりもする。

怒られたり後ろ指を差されるから、どんどん本音を隠して相手の顔色を伺い、やりたくないこともしんどいことも笑顔で「頑張ります」と言うようになっていく。

そうしてだんだんと「ありのままの自分」を隠すことが上手になって、気づいたら「ありのままの自分」がどこにいるのかわからなくなってしまう。

もし、「ありのままの自分」をさらけ出した時に優しく撫でてくれる手があったなら、私たちはもう少し楽に自分らしい道を歩けていたのかもしれない。


なぁんて
いつの間にか一面緑色の世界から、無機質な鉄の塊が立ち並ぶ街並みに車外の景色が移り変わっていく様を眺めながら一人考えに耽っていると、


「楽しかったなぁ、また仕事休んで茨城行こな。」

と、ゴリゴリの仕事人間である父がぽつり。


還暦を迎えてもなお、土日関係なく第一線で働き続ける父が発したまさかの一言に驚きつつ、

ありのままの自分をさらけ出しても優しく撫でてくれる手は、気づかなかっただけで今までもこれからもちゃんと自分の周りにあったのかも。

と、不器用な父の分かりづらい優しさになんだかくすぐったい気持ちになった。

来週から再び始まる社会人生活、相変わらず不安な気持ちはあるけれど、生き方の手本となる師匠(イアンくん)とありのままの自分を見せても受け入れてくれるであろう周りの存在をお守りに、再スタートの一歩目をゆっくりと歩き出していこうと思う。


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