見出し画像

コンフォートゾーンを手放すな!

かっけこを
して


かくれんぼ
して


楽しいのは
私だけだとおもってた


籠る夕暮れに
隣に寝そべる君へ
背を向けても


袖を引っ張る君は
ほほを寄せるから


かけっこに


かくれぼが


楽しかったのかな
そうだったら
いいなと思ったよ


窓辺から
望む
夕焼けと


いぬ



何年も前の話ですが、観光地にて金太郎飴を切るリズミカルな音に惹かれ実際にお店まで行きました。
観光地ならではだとカメラ片手に見に行ったのに、実際はカセットテープで音を流しているだけで…観光の楽しさに水をさされた気持ちになったことを、まだ覚えています。


こちらの経験は、私だけではないと思いたい!
この頃から人間がAIに釣られていたなんてと、そう歯痒さが残ります。

AIの目まぐるしい日々の活躍



・身近に建てられたファミリーレストラン


・買い忘れた調味料を求めたショッピングモール。

・ストーリーに行き詰まり辞書代わりに開いたスマートフォン


上記三つにおきまして共通点があるように思えますよね、そうなんです。
生活拠点における垣間見える"AI"の姿かなと、自身では思います。

そもそも生成AIとは



データから学習したパターンや関係性を活用し、テキスト、画像、動画、音声など多岐にわたるコンテンツを新たに生成するAI。


良い意味でも悲しい意味でも、AIは白黒とはっきりと現実を指し示してくれているような印象を個人的には受けていますが、みなさんはいかがでしょうか。


ではなぜ、AI達が白黒とはっきりさせる事(ジャッジをする事)は私達に悲しさをも与えるのでしょうか。
思いやりがないから、おもてなしの心がないから、情熱という熱がないから…そうではありません。

私たちがAI達に手放した"過程"



日常会話において癖・仕草から伺える体調の変化をはじめ、コミュニケーションから通して受け取れる安堵感、こちらはリラックスして日々を過ごすには欠かせないマインドですよね。


・コミュニケーションにおいて円滑に進めたい!


・ライフワーク&ライスワーク効率良く進めたい!


どちらか1度でも思ったことが誰しもあるのではないでしょうか。
現実に円滑なコミュニケーションが行えても、効率良く仕事に徹しても、違和感を覚えることはありませんか。


そうなんです。
私達はAIに物事の過程を捧げたために、達成感充実感をも同時に手放してしまったと個人的には捉えています。


人それぞれの価値観から物事のコンフォートゾーンを守っていくことが、人間とAIとの円滑な対話を図る上で必要になっていくのではないかと考えまして、今回投稿に至りました。
冒頭のpoem(詩)におきましては、過程における効率という概念を取り除き見えてきた視野を表現してあります。


見つけてくださり
ご縁を頂きまして、ありがとうございました。


それでは…。
kabocya

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?