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【ブログRe:start 】妻についてタイの京都みたいなところに移住した人の日記を始めます。

何度も生まれ変わるブログ:かぼちゃ太郎

この投稿をしてからかれこれ2年。文章を書いていたのはコロナ禍で旅行会社に勤めていた私が何もできず、暇つぶしに始めたものだった。私は2020年度新卒。総合商社並みに人気を博していた旅行会社に内定を勝ち取り、あり得ないぐらいのボーナスをもらっていると聞きウハウハしながら内定しましたの電話に大きな声で「はい!」と答えたのを覚えている。(内定者期間に国の機関からインドネシアに半年間派遣されることが決まりお互いにちょっとどうしようとなったというこぼれ話はさておき)

コロナ

コロナ禍で暇だった期間は1年ぐらいだっただろうか。なんだかんだで仕事が週1,2回出勤みたいな形で不規則にシフトが組まれるものだからペースを崩し、休みの日は動画配信サービスを垂れ流していただけだった記憶がある。本を読もうと思いアマゾンで買いまくるも、本を読もうとすると何か倦怠感みたいなものが体をまとい、読書好きなのになぜ、、と本が読めない苦しみを感じた。コロナ禍は我々に多くの時間をもたらしたが、多くのものを奪っていった気がする。

コロナ禍が始まり一年経った頃には多くの旅行会社が受託していたように私の会社でもワクチン関連の仕事が増え、出向者が多くなった。そして私もその一員となり、自治体のコールセンター業務を担った。どうして市民、特に年配の方々、があそこまでぶちぎれるのだろうと不思議に思いながら仕事だからと電話をとりまくった。それも大きな組織の人たちのせいだ。人間が嫌いになった。その時に書いた文章を読んでみると人はひとの心をつぶすのだと思う。


大きな一つの節目

そして私人生に大きな転機が訪れた。学生時代からながらくお付き合いをさせていただいているパートナーと一緒に暮らすことになったのだ。学生時代はお互いに大学では一人暮らしだったので半同棲生活のような感じだったが、私がインドネシアに派遣されたり、大学卒業後は私が就職、妻が大学院に行ったことでいわゆる遠距離恋愛状態で付き合ってからはその時間の方が長かった。その距離を埋めたのはコロナ禍で時間があったのでちょくちょく会いに行っていたのもあるだろうか(物理的移動(笑))。パートナーが大学院修了を機に東京に来てくれたので、一緒に住むことに決めたのだ。

実家を出るのはそこまで大きな決意ではなかった。なんていったっていつでもいける距離であったのだ。こんな記事もいつか書いていて、しかも続きを書くような感じで締めくくっているが、下書きを見ても書いた形跡がない。やはり新しい環境で仕事もしつつ生活を整えていくのがよっぽど大変だったのだろう。いつかこのnoteか私のブログ上でしたためようと思うが今ではない。

このような形でその半同棲生活からインドネシアでの一人暮らし→実家ぐらし→同棲生活が始まった。

Title

そしてタイトルにあるような話はここからが本番だ。
前置きが長くなってしまうのは私のブログのあるあるなのだが、今回は許していただきたい。(いつも)
同棲生活を始めてちょうど一年経った頃、私たちは夫婦になった。そしてそのあたりで結婚よりもさらに大きな出来事が起こった。妻と私は学生時代から海外志向が高く、いずれそういった生活ができたらいいねと常々話していた。まあ日本で一番でかい旅行会社だからいずれは私にもそういったチャンスは回ってくるだろう、だなんて話をしながら、妻も挑戦してみる!と海外の大学教員の道を模索していたところ、「まあもうちょい先の話だろうな、なかなか難しいでしょう~」と思っていたら、妻はタイのエリート国公立大学で教員として採用されたのだ。若干20代で大学教員になれるんだ、日本えらい違いやなあと思いながら話を聞いていると今年の春のうちにはいかなければならないとなり、夫婦で会議が催された。もちろんその結果は二人で海外に移住しよう!となった。その大きな理由はやはり新婚だから。そして若いうちに海外で住んで今後の人生の選択肢を無限大にひろげようという、とても未来志向、若者ならではの理由。

仕事の話

私の仕事は、、、という話ももちろん夫婦会議の議題に上がった。私は異動したばかりで、しかも希望していた大きな仕事ができる会社の中枢を担うところだったので、ものすごく葛藤があった。経営層からも直々に長期休みを取りやすくしてあげるから残ってほしいと止めていただいたが、結婚して早々でやはり家族とともに生活をしたいということが優先事項だったので、数年の休職やリモートワークや他のポジションにあてがってもらうことはできず(会社には制度がないと言われたので、大企業なのだからそのあたりはがんばってほしかったところ。今後の駐在についていくなどの人が現れてまだまだキャリアを続けたいという人が現れたときには救ってあげてほしい、という思いです。)、結局は再雇用を視野に一旦退職という形に落ち着いた。

つまりは無職。妻が採用された後からちょくちょく二つの条件で仕事を探していた。一つはフルリモートで海外居住でも働ける日本企業。もう一つは日系の現地企業。ただ、どちらも奮わず。理由としては落とされる以前に、よくよく話を聞いてみるとフルリモートと謳いながら実際にフルリモートができている企業はごくわずかであること。(まだ出逢っていないだけかもしれません)。そして、日系の現地企業はあまり若い人ではなく、40代ぐらいの管理職クラスを求めており、20代の私は条件に合わないとのことだった。まあしょうがないということで退職してから一週間で友人たちとお別れ会をして準備をしてタイに飛んできたいう状態。

タイでやること

タイで唯一やることが決まっているのは妻の勤めている大学でタイ語学習をすること。これまで英語以外ではフランス語、インドネシア語を学んできましたが、初めてアルファベットと漢字ひらがなカタカナ以外を学ぶのでまったくの未知の世界に足を踏み入れる。

私と妻が住むことになったのはタイ・チェンマイという古都が街中に残っていて、カフェやレストランがたくさんあり(日本食レストランが感覚的に一番多い!)、文化的にも豊かな場所。今後はチェンマイを紹介しながらの日々の生活観察日記を書いていこうと思いますのでどうぞお楽しみに。

ひれ伏してのみなさまへのわがまま

今のところ本当にタイ語しかやることがなく、妻が仕事の間はマンションの窓から見えるタイの街並みを眺めているだけでひたすら文章を読んだり書いたり。ずっとその作業をしていると頭が痛くなるので横になったり。タイっぽさはない生活。流れていく車を眺めているか、空港が近いため飛行機の通り道になっていて30分に一度ぐらいその音が聞こえるのを聴くだけ。それでもタイっぽさはない。唯一感じるのは毎日電車に揺られて仕事場に通わなくてよくなったので(公共交通機関はほぼGRABという配車アプリ状態)、そのストレスから解放されたことが海外に来たなあという感じ。(それなら日本の田舎に引っ越したのも変わらないでしょと言われた気がします)

ひたすら日記とタイでの気づきをnoteとブログで書いていきますので楽しんで読んでいただけると嬉しいです。家の中にいても日々何か違うことは起こっているの日記は書けます!(笑)

ただ、一度文章を書き始めたら止まらないのですが、一度止まってしまうと全然立ち上がらないのでハートマーク1つつけていただけるだけでもやる気が出ます。(本当にやるき出るのかこいつ?)

そしてあわよくばのあわよくば、ですが、noteの作家サポート機能?があるのでしょうか。ほとんどnote使ったことないのでまだよくわからない(マガジンとか作れるのであれば作ってみたい)のですが、励ましのお言葉やちゃんと継続的に書けよ!というお叱りの言葉(傷つく言葉はやめて~)、金銭的なサポート(今はコロナ禍にコツコツ貯めたお金だけしかないので1年後にばたりと倒れる計算)をいただけますとうれしいです。

そしてタイ・チェンマイでやってほしいことやお願いなどあれば私にできることであればやります(文章が好きなのでお手紙とか?←どこでもできる)のでお仕事ください!(退職するときにみんなに言われましたので犯罪グループの指示役ルフィとかスーパーサイヤ人とかには絶対なりませんからね!)

勝手に日記を書いていくだけなのにおこがましいですが、ぜひ読んでいただけると嬉しいです。


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