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サードプレイスとしての米津玄師【タイ移住日記2024/04/29-05/06】

最近音楽の話ばかり書いている気がするが、それだけ音楽ばかり聴いているということだろう。ここ1ヶ月ぐらいは追っているアニメもずっと見ているドラマもなく、サブスク代が無駄になってしまっている気がするが、それも仕方ない。今は音楽が聴きたい時期なんだ。

最近いろんなことがあり、心がざわついている。日常の雑踏のようなものがないと耐えられない。集中して映画を見られない。でも本は研究なのだからと割り切って読めている。音楽が一番ちょうどいい。音もあるし、Youtubeなら映像もある。一歩ドアの外に踏み出して散歩するも音楽と同等に良い。みんな何かそれぞれの目的に向かって移動している。いろんな矢印が見える。「たくさん」のよいところはその「雑多性」なのだろう。私は基本的にYoutubeでPVを流しながら聞くタイプなので、私にとっての音楽はそういう意味で、耳と目を使うために「雑多性」があるのでラクなんだろう。

日本に先日約10日ほど一時帰国していたが、その時に朝ドラがちょうど始まり、なんだかんだ毎日しっかりと見ていた。友人が俳優として出演していて、曲も米津さんの新曲というのだから私的にはそれは見るしかなかった。

「さよーならまたいつか!」のゆるやかさと挑戦的な歌詞が心地よくミックスされた感じは、毎朝聞くのにちょうどよかった。なんなら米津ファンの私としてはYoutubeでPVが公開されてから毎日のように朝の支度、風呂の間もリピートで聞いていたので、再生回数の1/1000は私が貢献しているのではないかと思うほどだ。その結果、完全にギャルピースのタイミングを一致させることができるようになった。米津さんのライブでしか使えない特技だ。これまで2回ライブに妻と参戦して、「米津そうでもなかった民(でもちゃんとハチ時代からオンタイムで聞き馴染んでいる)」の妻は2回目のライブ(去年のツアー「空想」)では、まさかの米津さんから5列目の席を引き当ててしまい、米津さんにハートを飛ばしまくっていた。絶対歌いづらかったと思う。だってすぐそこに一人ジャニーズのライブのノリのお客さんがいるんだから。行く前にはうちわ作って持ってく?とか言い出していた(米津さんのLIVEでは光物などNG)。一回目が合った気がしたが、それ以降こっちに目線が向かなくなった。でも米津さんのファンが一人増えたので良かったということにしよう。

一方、私はいかにもイメージ通りの米津さんのファンだ。ヨネラーのような輩ではないことは断っておく。歌詞の内容や音楽性が高校生の受験期~大学入学頃に気に入り、Lemonでバカ売れした時に嬉しかった一人でもありつつ、ちょっと寂しかったファンの一人である。でもライブにいくとそのおかげで、おばちゃんファンが急激に増えていたりして、ガチャガチャを交換し合う。米津さんはファンクラブを持っていないので、ファン同士はゆるやかに縦と横につながっている感じがして、サードプレイスのような居心地の良さがある。そしてライブでも米津さんが毎回のステージでお話されるように決まったコールや動きなどはなく、立って聞いても座って聞いてもいいというライブだ。いろんな人を受け入れてくれるサードプレイス。

わたしは大学生の時によくライブバイトをしていた。アーティストが公演する際の裏方のスタッフや、警備員を行う。ジャニーズの開催が多いが、コブクロなどアイドルではないアーティストも行った。アイドルの開催に行くとやはり日本の「息のしづらさ」を感じてしまう。みんな「同じ方向」を向かないといけないというルールだ。オタクカルチャー(ヲタクカルチャー)はここ十数年でだいぶ変わり、息がしやすいものになったが、私は以前のあのカルチャーが好きではなかった。程度の強弱で門前払いされる感じ。

そういう意味では米津さんは新しい道を開いてくれたのだと思う。心地よい。コブクロもおばちゃんに連れられてきたご夫婦やおばちゃんの同好会、おばちゃんに連れてこられた子供(私の世代)ばかりでなんか頭がくらくらした。(ちなみにわたしはコブクロ大好き。親の影響であるのは間違いないが、ライブまではいかなくとも暇さえあればコブクロがかかっていた)

米津さんのライブに行くと、初めてライブに来たよ!という人が多い。その熱も様々でいわゆるハチ世代、Lemon世代、ポストLemon世代に大きく分けられるが、もしかしたら今回の朝ドラでおじいちゃんおばあちゃん世代も増えるかもしれない。次のライブが楽しみだ。

私が最近聞いていて落ち着く曲は「春雷」である。みんなにも聞いてほしい。そこまでコアな曲というわけではないのだが、聞いたことがないあなたにとっては新曲である。平成を思わせるサウンド。言葉の、文字の詰まってる感じ。「言葉にするのも形にするのもそのどれもがおぼつかな」いという行き詰まりを音楽に昇華させているところ。すべてが私にとっての安心材料になっている。私も言葉ではなく今の苦しさやもどかしさをストーリーとして昇華させていきたい。



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