何となく「知らない」陶芸家について

「人間という生物が蝟集した都会とは無縁な田舎生活を満喫し、土と戯れながら生きている」
これこそが陶芸家たる人物像である、と私は陶芸家について認識していました。
が、どうやら世界は想像以上に広いらしいですよ。そして陶芸家の世界も広いらしい。

さて、私がなぜ陶芸家について記事を書こうかと思ったのかについて説明します。
それは3日ほど前だったでしょうか。私は日常的に読書をする身でして、とある本に「陶器が趣味」という記述がありました。どうやら私はこの「陶器」というワードに引っ掛かったようです。陶器について何も知らないな、と。興味が湧いたらすぐにGoogleで検索。ググるというやつです。(いやー、私も現代っ子になったものですな)そしたら当然ですが見たこと聞いたこと知ったこともない陶芸家の名がウジョウジョと出てきました。そしたら陶芸家について調べようと、お尻に火が着いたというわけです。
では、いよいよ本題へ。

陶芸家について


Wikipediaには、「陶芸家とは、陶芸を生業とする者を指す。陶工とも呼ばれる。」とありました。また「日本の主な陶芸家」と続いていたので、まずは日本の有名陶芸家について調べてみようと思います。

鈴木藏1934年~

(「陶器といったら瀬戸物焼でしょ→岐阜県」とういう安直な思考の結果たどり着いた人物です。)
鈴木藏は岐阜県土佐市出身の日本の陶芸家。重要無形文化財保持者。岐阜県土佐市は美濃焼の産地でありそこで育った彼は、陶芸の研に没頭。荒川豊蔵や加藤土師萌など師事。

とWikipedia書いてあったので、美濃焼・荒川豊蔵・加藤土師萌をについてまとめます。「美濃焼、そこからか!」と思われるかもしれませんが、そうです。そこからです。そこから私はわからないのです。ご辛抱ください。

美濃焼
美濃焼はどうやら歴史が深いようです。「織田信長の経済政策により瀬戸市の陶器生産がより盛んになった」とのこと。織田信長・・・、そんな昔からか!特徴は「織部好み(織部焼)」と呼ばれるものが有名なんだとか。千利休の弟子との関係があるそうです。歪んだかたちや扇子などの具象的なものもある。
歪んだお皿、いいですね。自分でも創ってみたい。失敗をごまかせそうですしね。

荒川豊蔵1894年~1985年

昭和を代表する美濃焼の陶芸家。多治見市出身。研鑽を積んでいるうち高級コーヒー茶碗をプロデュースしたんだとか。画像を検索して拝見しましたが、なかなかよいですね~。「相棒」の右京さんが気に入りそうなカップです。これを自分で創るのは遠慮しておきますね。織部焼と違ってごまかせそうにないので。

加藤土師萌1900年~1968年

人間国宝に認定された。東洋の陶磁器に対して高い見識をお持ちの方です。
瀬戸市出身で1937年のパリ万博博覧会でグランプリ受賞。中国明朝の黄地紅彩を復元・・・。
パリ万国博覧会といえば、渋沢栄一!これは大河ドラマの観すぎでしょうか。(渋沢栄一が体験した博覧会は1867年ですが)ちなみに鎌倉どのと・・・も観てますよ!一代目鎌倉どのが死去した辺りからのあのドロドロ具合、最高です。

終わりに

どうでしたか?陶芸家についての記事を堪能していただけたでしょうか。
こうやって記事を書いておりますと、日本語というか作文というかアウトプットは難しいなと実感します。ああでもない、こうでもない、こうか?ああか?と文をいじくる。意外と面白いのですね。なんだか小学生の頃に取り組んだ「あのね日記」が懐かしいですなあ~。ちなみにあのね日記とは「あのね」で始まる日記のことですよ。週末課題として出されました。
あのね、先生、昨日ね、朝ごはんにね、つくったトマトが出てきてね・・・というふうに。
あの頃はごまかすという概念が私にはありませんでした。溜め込んできた日記の宿題を日曜日になって一気に書き上げていたものです。なので2日前のことも「昨日」とかいていました。(笑)
ああ、イケナイイケナイ。明鏡止水な心はどこへいってしまったのやら。
「初心忘るべからず」ですね。




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