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中国史(やあ、僕はパンダ・・・深いいみはありませんw)

第一次世界大戦頃からの中国歴史について見ていくよ。間違えていることをのべていたっらすまない。私は、歴史の専門家ではないので。まあ、間違えていても対した問題ではないと思うが。

まずは知っていそうで知らない人・・・歴史の漫画で頭に入っていることは入っているが何やった人なのかは・・・。

袁世凱


袁世凱・・・中華民国の初代大統総
毛沢東・・・中国共産党等の指導者
蒋介石・・・中華民国総統
張作霖・・・日本の関東軍に殺された

知っていそうで知らない出来事
五・三〇運動・・・上海での反帝国運動
五・四運動・・・北京大学学生中心の反日運動
北伐・・・国民革命軍の北方軍閥に対する出兵


流れ

五・四運動

第一次世界大戦中に中国を留守にしていたヨーロッパにかわり日本がチャンスとばかりに中国進出スタート。
日本が中国に二十一ヶ条の要求を出す。「りょうとう半島・山東半島をよこせすると北京大学の学生たちが激おこぷんぷん丸に。これが「五・四運動」である。

乗りに乗ったチャイニーズは中国国民党と中国共産党という二つの正当を作る。
国民党は民主主義、共産党は社会主義である・・・もうお分かりのようになか悪い

正当ができたはいいものの中国北部には軍伐がいた。これはこれで大暴れ中。ここで、日本に中国進出を許すぐらいなら国民党と共産党で協力しあったほうがましなのではないかと考え、第一次国共合作を実現(第一次国共合作は北方軍伐にたいして)。
ところがどっこい、裏切り者が出現。ドラマでよくある流れである。国民党の蒋介石が共産党員を虐殺。この事件を上海クーデタというのだがこれにより再び共産党と国民党の仲は悪化。「一人でやるもん」というばかりに国民党が中国を統一宣言。

満州国の建国

日本軍は中国進出の口実をつくるために関東軍が経営していた満州鉄道を爆破。そう、自作自演。口実ができた日本は中国進出を開始。日本はヨーロッパの国々に植民地化されるのを避けたい。北方から迫り来る大国ロシアのクッション材となるよう満州国を建国したのである。建国の際には清最後の皇帝溥儀が執政として宣言された。一応、日本人にも満州国建国に反対の人はいたが五・一五事件でその人物はお亡くなりに。そう、その人物とは立憲政友会総裁で金輸出再禁止した犬養毅首相である。
中国側ももちろん黙っちャーいない。国際連盟に日本の中国進出について訴える。訴えられた国際連盟はお馴染みのリットン調査団を中国に派遣。そのレポートには「中国進出について日本を非難する」とあった。しかしレポートの最後には、「迫り来る大国ロシアを相手に植民地化を避けたい日本が中国進出するのもわからないわけでもない」という趣旨の文があったらしい。しかし、日本は国際連盟から脱退する。
一方その頃中国共産党と国民党の争いは同時進行中。国民党は満州国がどうのこうのより共産党の打倒を優先。共産党の本拠地瑞金を攻撃。攻撃を逃れるため共産党は「長征」を開始。新根拠地延安に到着。

第二次国共合作

上海クーデタや長征などで激しく争ってきた両者が再び手を組むことになる。関東軍に殺害された張作霖の息子張学良が「よくもお父ちゃんを殺したな!」とばかりに日本に対抗することを決意・・・これがまた相当強い決意なんだな~。
蒋介石は共産党が嫌いなため張学良の考えに反対する。ががが、まさかのまさか、張学良は蒋介石を監禁し強引共産党と手を結ばせる(西安事件)。第二次国共合作である(第一次は軍伐に対し、二次は日本に対し)。その後日本は盧溝橋事件をお越し中国と戦争を始めることになる。いわゆる泥沼の日中戦争。

日中戦争

 日本が何度も何度も叩いても中国側の勢力は衰えるところを知らない。なぜか地球儀を回して考えてみよう。国際連盟を脱退した日本は孤立状態にあるのである。強いていうなら仲間は1936年に日独防共協定を結んだドイツとドイツが師匠と慕うイタリアぐらい。

ここでドイツとイタリアについても齧っておこう。ドイツは国政をナチスいわゆる国民社会主義ドイツ労働者党が牛耳っていた。その総統であるヒトラーがミュンヘン一揆という政権獲得のために起こした出来事がある。これはヒトラーがムッソリーニを真似して起こしたものだった。イタリアのムッソリーニはファシスト党の党首である。政権を獲得しようと国王をびびらせようと軍隊を引き連れ行進する。これをローマ進軍というのだが疑心暗鬼で行動を起こしたムッソリーニもビックリ。まさかのまさか、国王から首相に任命されたのである。
こーんなこともあり、ヒトラーはムッソリーニを真似してミュンヘン一揆を起こしたのである。

さてさて、話を中国に戻そう。叩いても叩いても復活する中国のお話だった。中国を支援するであろう日本の敵は想像すれば簡単にわかるであろう。そう、イギリスとアメリカである。この二国は中国を支援していた。インドネシアを経由して蒋介石を支援していたため援助の「援」、蒋介石の「蒋」をとり援蒋ルートと呼ばれる。後に援蒋ルートを遮断するために日本がインドネシアら辺の東南アジア地方へ軍事侵攻することになるのだが、それが太平洋戦争の火種に。

それからときは経ち、第二次世界大戦が終了する。
いや、なんだか映画のラストシーンでよく目にする「10年後」のようになってしまい申し訳ない。

大戦中の共産党と国民党は呉越同舟というやつだったね。共通の敵がいなくなれば、共産党と国民党が同じ舟に乗るわけがない。大戦後に国共合戦が再発。(国共合作に国共合戦、覚えやすいね~。私がつくづく思うのは、古代中国bの秦王朝がずーっと続いていたら、王の名を覚えずともよかったのにということである。始皇帝、二皇帝、三皇帝、、、。まったく項羽め、よくもややこしくしてくれたなw)
今回の共産党と国民党の争いは共産党が勝利して「中華人民共和国」を建国。国家首席にけさわひがし、首相に周恩来が就任。(じょうだんじょうだん、毛沢東もうたくとう)


いっぽう破れた国民党は台湾に避難。そして今に至る。先日の台湾の代表選挙で蒋介石のひ孫が出馬していたはず。歴史は繋がっているとは、よくいったもんだな~。

終わりに

長々と書き連ねてしまいもうしわけない。だが歴史はもっと長い!



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