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vol.32 岡本かの子「老妓抄」を読んで

老妓とは「年をとった芸妓」とあった。「抄」は聞き書きぐらいか。この聞き書きの主な展開は、老妓が発明家を志す若い男柚木を物心両面で援助する物語。

これも短編なので繰り返し読めた。読むたびに新たな気づきや疑問が起こった。特にはじまりのシーンはとても映像的で印象深い。女優岩下志麻をイメージした。

「人々は真昼の百貨店でよく彼女を見かける。目立たない洋髪に結び、市楽の着物を堅気風につけ・・・憂鬱な顔をして店内を歩き回る。・・・思いがけないような遠い売場に佇む。彼女は昼間の寂しさ以外、何も意識していない。・・・」この描写が老妓「小その」の本名「平出園子」の本当の姿なのだろうと思った。

この老妓「小その」に対して興味が湧いてくる。彼女の死生観とか境地とか、なんだか取材したい。割り切り方とかこだわり方とか、粋な様に触れたい。なんだか深い悲しさもあり、それが魅力的にも思える。柚木との関係も本意はどこにあるのか、読むたびに興味が尽きない。また、「小その婆さんの人生相談」とかあれば人気が出そうな気もする。

なぜ、この老妓は、若い男、柚木を援助しようとしたのか。彼に何を期待したのか。自分の欲求はどこにあったのか。寂しさからか。人生の反省からか。

柚木は電気屋に勤めていたが、「こんなつまらない仕事は、パッションが起こらない」という。柚木は、発明をして、専売特許を取って、金儲けをしたいらしい。それを聞いた老妓は「ふと、老妓に自分の生涯に憐れみの心が起きた。パッションとやらが起こらずに、ほとんど生涯勤めてきた座敷の数々、相手の数々が思い泛べられた」とある。おそらく、老妓は今まで芸妓として一度もそのパッションとやらが起きなかったのかもしれない。それで、若い頃の自分を取り戻すかのように、柚木のパッションが起きる仕事を応援したくなったのかもしれない。

しかし柚木はまもなく発明に対して興味が薄れる。老妓から支援を受けてからは生活の心配もなくなり、芸妓への色気も感じす、おまけに麦とろばかり食べてるから太ってきて、日々何もしなくなった。そして、出奔を繰り返し、老妓やその養女「みち子」を心配させる。

それでも老妓は柚木に寛容な態度をとる。

「そんな時はなんでもいいから苦労の種を見つけるんだね。苦労もほどほどの分量を持ち合わせているもんだよ」と、柚木にアドバイスしながらエールを送り続ける。また、柚木の退屈な気分を変えてやろうと、若い芸妓らを連れて、「退屈の慰労会」を催す。そんな時でも老妓はすべてに対して気にかけず、悠々としたふりをする。

もし、老妓が柚木を援助なんかしなかったら。夢見る青年が努力の甲斐あって立派な発明家になったかもしれない。そう思うと老妓のやったことはなんと罪深いことだろうと思った。

この老妓の人生、幼少の頃から厳しい芸に鍛えられ、人間の醜さにふれ、男女の悲哀に浸り、お金は溜まったが前線を退いた今なんだか物足りない。そんな中、若い男柚木が現れ、夢を語る。その夢を援助することで、冥土のみやげ的なものにする。そんな感じだったのかもしれない。

しかし、手をかけた柚木は発明の研究はせず、麦とろばかり食べてブクブク太り、それを注意しようにも老妓のポーズに合わず、寛容さを漂わしながらも影で泣く。

巻末に現在の老妓の心情がよく出ているとされる和歌がある。「年々にわが悲しみは深くして いよよ華やぐいのちなりけり」

岡本かの子は画家岡本太郎の母で、夫公認で若い男と同居する「一妻多夫」など愛を爆発させていたらしいが、難儀な生活を送り、仏教に救いを求めている。悲しみは深い方が、人生は豊かなのかもしれない。そんなことを思った。(おわり)


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