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vol.30 太宰治「皮膚と心」を読んで

数十年ぶりの太宰。
西加奈子のおすすめ作品とかで、この短編を読んでみた。

「ぷつッと、ひとつ小豆粒に似た吹出物が、左の乳房の下に見つかり、よく見ると、その吹出物のまわりにも、ぱらぱら小さい赤い吹出物が・・・」と、ブログの告白みたいな文章に、なんだなんだと読みはじめた。

おたふくと自称する28歳独身女性の「私」は、なかば結婚をあきらめていたけれど、亡父の恩人のお話を断りきれなく、財産も学歴もなく、離婚歴のある35歳の「あの人」と結婚する。

夫婦となった「私」と「あの人」は、互いに容姿や経歴などに負目を感じながらも、「あの人」はいつでも「私」を大事にしてくれた。そんなある日、「私」に地獄絵のような吹出物ができる。

「こんなものが、できて」と「私」は「あの人」に見せる。「あの人」は「痒ゆくないか?」と尋ね、裸身の「私」をくるくる廻して、なおも優しく念入りに調べてくれる。そして、「あの人」は「私」の醜い容貌を、「いい顔だと思うよ。おれは、好きだ」とサラッという人。

それでも、「私はお化けでございます。・・鬼。悪魔。私は人ではございませぬ。・・もともと醜い私が、こんな腐った肌になってしまって、もうもう私は取り柄がない。屑だ。はきだめだ」と、「私」はますます自分を追い込む。

とにかくこの作品、全ての語りが「私」の一人称なので、「私」というフィルターを通して出てきた言葉だけど、極端な言葉が続く。男の僕からしたら、そこまで吹出物を拒否するかと、可笑しくなるくらい。体じゅうのブツブツはジェンダーに関係なく心配事になるけど、「私」の落ち込みようはいかにもすごい。これが女心なのかしら。

さらに地獄絵は続く。「思わぬ醜怪の吹出物に見舞われたら、私ならば死ぬる。家出して、堕落してやる。自殺する。女は、一瞬間一瞬間の、せめて美しさのよろこびだけで生きているのだもの」と。心の中だけのわがままな「私」のつぶやきなのだろうけど、吹出物ぐらいで大げさだなぁと、僕なら「私」を不思議がる。でも「あの人」は違った。

「あの人」は、「しょげちゃいけねえ」と励まし、「少しはよくなったか?」と優しく患部に触れ、「よし。泣くな。お医者へ連れていってやる」と力強く促す。さすがの「あの人」だ。

しかし、皮膚科の待合室でも「私」は、めそめそと自分を卑下し、周りを憎み、「あの人」まで疑う。ほんとにもう、「私」ってやつは。フランス文学の「ボヴァリイ夫人」にまで妄想を飛ばす。

でも結局は単なる食中毒。お注射した夫婦仲良くの帰り道、「『もう手のほうは、なおっちゃった』『うれしいか?』『そう言われて私は、恥ずかしく思いました』」なんなんだこの作品は。「私」と「あの人」の単なるのろけ話か。

太宰の小説は、暗闇にどっぷり浸かりながら、悩み、苦しみ、照れ、自嘲などが主流だと思ったけど、この「皮膚と心」は、儚く、かわいく、切実な女心の描写に引き込まれた。これこそが太宰の得意とする女性特白体なのか。次にどんな言葉が出てくるのか、わくわくできるみごとな文章だと思った。

ちなみに、僕の妻は難病中。いろんなことがだんだん一人でできなくなっていく。だけど、妻の体は僕が助け、僕の心は妻が支えている。どちらかの優しさに頼らない。持ちつ持たれつが心地いい。「私」も「あの人」も互いに必要な関係だと思う。太宰が描くこの夫婦、これはこれできっと心地いいんだろう。(おわり)


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