橘樹 啓人

自身の経験や価値観に基づいた小説を主に書いています。現在、京都を舞台にした小説「きみの…

橘樹 啓人

自身の経験や価値観に基づいた小説を主に書いています。現在、京都を舞台にした小説「きみの手、ばりきれい」を連載中。「小説家になろう」、Kindleなどでもオリジナル作品を投稿しています。

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記事一覧

【連載小説】「きみの手、ばりきれい」#8

 俺個人のカリキュラムでは、午後からの授業は一コマだけだったので、四限の終わりに教務棟の前で明坂と落ち合うことになっていた。俺は三限目の『東洋美術史』の講義に出…

橘樹 啓人
4日前
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【連載小説】「きみの手、ばりきれい」#7

 地下鉄山科駅の、コンビニや雑貨屋に囲まれた駅前プラザから、脇にそれて沿線の狭い道を進んでいく。一筋目の角を左に折れ、奥まった路地に入る。すると、突き当たりに五…

橘樹 啓人
11日前

【連載小説】「きみの手、ばりきれい」#6

 俺は、自分の進路について納得がいっていなかった。納得がいっていないというか、ほかに行きたい大学があったと言うべきか。これといって特に表立った理由はなく、俺にと…

橘樹 啓人
2週間前
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【連載小説】「きみの手、ばりきれい」#5

 学生会館正面の教務棟の前には、帰宅学生による蜿蜿長蛇の列ができている。それを見て俺は、食堂でわざわざ時間潰しなどする意味のなかったことを知った。  俺は、腹の…

橘樹 啓人
3週間前

【連載小説】「きみの手、ばりきれい」#4

 四限終わり、俺は明坂と会う約束をしていたので、学生会館二階の学生食堂に行った。  天井には何のためか、正方形の鏡が何枚も連結し、それが幾何学的なジグザグ模様に…

橘樹 啓人
1か月前
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【連載小説】「きみの手、ばりきれい」#3

 一限目の民俗学の講義を、俺は夢うつつに聞いていた。昨晩は夜三時過ぎまで過去問題集と睨めっこしていたため、十分な睡眠が取れなかったのだ。教授の長ったらしい論説を…

橘樹 啓人
1か月前
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【連載小説】「きみの手、ばりきれい」#2

 古来より、あらゆる人間科学において、「人間の手」というのは限りなく高尚な研究テーマの一つである。この世には、およそヒトの手とは思えないほど美しい手を持った人間…

橘樹 啓人
1か月前

【連載小説】「きみの手、ばりきれい」#1

「君におすすめしたい場所があるんだよ」  これまでの会話の流れを切るように、何の脈絡もなく、明坂がいきなり言い出した。 「大宅廃寺っていうんだけど」 「なんだっ…

橘樹 啓人
1か月前
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【連載小説】「きみの手、ばりきれい」プロローグ

 世の中の安寧を伝えるような、滔々と流れる川の音。春の温順な気候、代わり映えのない晴天。南から吹く心地良い爽風が、俺の頬を掠めていく。  京都市山科区から南西へ…

橘樹 啓人
2か月前
【連載小説】「きみの手、ばりきれい」#8

【連載小説】「きみの手、ばりきれい」#8

 俺個人のカリキュラムでは、午後からの授業は一コマだけだったので、四限の終わりに教務棟の前で明坂と落ち合うことになっていた。俺は三限目の『東洋美術史』の講義に出たあと、明坂との待ち合わせ時間まで、構内の図書館で時間を潰すことにした。

『地域研究』という全クラス合同の特別授業では、三つのグループに分かれ、それぞれの班で『京都三大祭』をテーマに発表しなくてはならない。この後、そのメンバーたちとの顔合

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【連載小説】「きみの手、ばりきれい」#7

【連載小説】「きみの手、ばりきれい」#7

 地下鉄山科駅の、コンビニや雑貨屋に囲まれた駅前プラザから、脇にそれて沿線の狭い道を進んでいく。一筋目の角を左に折れ、奥まった路地に入る。すると、突き当たりに五階建てのワンルームマンションがある。色合いも外観も極めて地味だが、一目見てそれとわかるほどには、マンションの体を成している。そこの五階にある一室が、俺の下宿である。

 一部屋の面積は約十三帖。つまり約二十一平方メートルで、坪に換算すると六

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【連載小説】「きみの手、ばりきれい」#6

【連載小説】「きみの手、ばりきれい」#6

 俺は、自分の進路について納得がいっていなかった。納得がいっていないというか、ほかに行きたい大学があったと言うべきか。これといって特に表立った理由はなく、俺にとって難関ならばどこでもよかったとも言える。
 俺が自身の進路を語る上で、まず、俺の家族構成について触れておきたい。

 高校時代までの俺は、両親と五つ年上の兄、そして父方の祖父母と一緒に、大阪高槻の実家で暮らしていた。父母ともに大学教授とし

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【連載小説】「きみの手、ばりきれい」#5

【連載小説】「きみの手、ばりきれい」#5

 学生会館正面の教務棟の前には、帰宅学生による蜿蜿長蛇の列ができている。それを見て俺は、食堂でわざわざ時間潰しなどする意味のなかったことを知った。
 俺は、腹の底から湧き上がる私憤を燃やし、列に並んだ。明坂の誘いを断っておけば、あと三十分ははやく帰宅できたのに、と嗟嘆しながら。

 学生たちの行列は、少しずつゆっくり前に進む。本当に「少しずつ」進むのだ。
 四限終わりは山科直行の便も多く、五分間隔

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【連載小説】「きみの手、ばりきれい」#4

【連載小説】「きみの手、ばりきれい」#4

 四限終わり、俺は明坂と会う約束をしていたので、学生会館二階の学生食堂に行った。

 天井には何のためか、正方形の鏡が何枚も連結し、それが幾何学的なジグザグ模様に嵌め込まれている。床はひし形模様のフローリングで、壁はレンガ造りとなっており、ここに学生しかいないことを除くと、西洋風の洒落た喫茶店のような構造である。

 普段、俺は昼食はコンビニのパンかおにぎりで済ませることが多く、個人で食堂に行く用

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【連載小説】「きみの手、ばりきれい」#3

【連載小説】「きみの手、ばりきれい」#3

 一限目の民俗学の講義を、俺は夢うつつに聞いていた。昨晩は夜三時過ぎまで過去問題集と睨めっこしていたため、十分な睡眠が取れなかったのだ。教授の長ったらしい論説をうつらうつらしながら聴講していると、不意に「オオヤケハイジ」という言葉が聞こえた気がして、俺ははっと目を開けた。

 昨日、明坂がそんな名前の遺跡の話をしていた。もしかするとここで詳細が聞けるのではないか、という若干の期待が膨らみ始め、眠気

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【連載小説】「きみの手、ばりきれい」#2

 古来より、あらゆる人間科学において、「人間の手」というのは限りなく高尚な研究テーマの一つである。この世には、およそヒトの手とは思えないほど美しい手を持った人間がいるという。それは数世紀に一度、我々の世界へ顕現すると言われ、昔の偉い研究家によって「神の手を持つ人」と名付けられた。砂漠地帯に突如として現れる朝陽のように眩く、真夏の太陽を照り返す碧海のような、言葉ではとても言い表せないほどの美しさを備

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【連載小説】「きみの手、ばりきれい」#1

「君におすすめしたい場所があるんだよ」

 これまでの会話の流れを切るように、何の脈絡もなく、明坂がいきなり言い出した。

「大宅廃寺っていうんだけど」

「なんだって?」

「お、お、や、け、は、い、じ」

 明坂は妙な抑揚をつけて、繰り返した。

 一限目の英語が定刻より早く終わって、まだ閑散としている第一館の廊下を、同じ教室で授業を受けていた明坂と一緒に歩いている。

 彼は顔面に少年のよう

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【連載小説】「きみの手、ばりきれい」プロローグ

【連載小説】「きみの手、ばりきれい」プロローグ

 世の中の安寧を伝えるような、滔々と流れる川の音。春の温順な気候、代わり映えのない晴天。南から吹く心地良い爽風が、俺の頬を掠めていく。

 京都市山科区から南西へ縫うように走るその川は、山科川という。京都では鴨川や宇治川、桂川などが耳慣れた河川として名を馳せるが、それらと比較して知名度こそないものの、山科川も心が休まる穏やかな小川である。

 遠方から鶯の囀りが聴かれ、川のせせらぎが日々の鬱屈とし

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