【連載小説】「きみの手、ばりきれい」#2
古来より、あらゆる人間科学において、「人間の手」というのは限りなく高尚な研究テーマの一つである。この世には、およそヒトの手とは思えないほど美しい手を持った人間がいるという。それは数世紀に一度、我々の世界へ顕現すると言われ、昔の偉い研究家によって「神の手を持つ人」と名付けられた。砂漠地帯に突如として現れる朝陽のように眩く、真夏の太陽を照り返す碧海のような、言葉ではとても言い表せないほどの美しさを備えた手。古今東西、津々浦々、遍く探し歩いても見つけられないとされる幻の存在。
……という話はすべて俺の妄想、もとい出鱈目に過ぎないのだが、そのゴッド・ハンドと呼ぶに相応しい人種を、俺は一人だけ知っている。
俺が小学校低学年だったころ、高槻の家の隣に、十歳以上歳の離れたお姉さんが一人で住んでいた。その彼女の手が、あまりにも美しかったのを今でも鮮明に覚えている。何かの手違いで神様のコレクションが地上に落ちてきてしまったのではないかと思えるほど、完璧な美しさを持っていたからだ。
両親が多忙で、帰宅後は家に一人でいることの多かった俺は、よく彼女の家に遊びに行った。彼女は小学校から高校までピアノを習い、将来はプロのピアニストを目指していた。俺はリビングのソファーにちょこんと腰かけ、じっとピアノを弾く彼女の手を観察した。鍵盤を弾く彼女の軽やかな指の律動、時に大きく、時に小さくリズミカルに躍動する下膊は、十八歳を通り越した今もなお、克明に思い出すことができる。
ピアノの練習が終わるとよく、ソファーの上で腕枕をしてもらった。眼前の彼女の小手は、天使のように純白に光り輝いていた。眠気を誘う午後の陽射しが、大きなテラス窓を透かして部屋中を満たし、さらにその光が、彼女の上肢一点に集まってくるように思われた。
微睡みの最中、俺は不思議と、聖母マリアに抱かれたような心地に浸った。
彼女の温かい手が、優しく俺の丸い背中を撫でた。そのとき俺は、どうしてこの人はこんなにも綺麗な手をしているのだろうと考えた。
これは天から与った一種の才能、ある特殊な因果が巡り巡って得た、運命的な人間的芸術ではないかとすら思えた。
たとえば彼女のピアノ演奏を、比類するものが思いつかないほど美しいと思えるのは、彼女のその天才的に美しい手によるものではないか、と俺は考えていた。今にして思うと、俺に審美眼や美的感覚がまったく備わっていなかっただけかもしれないが。
彼女は高校を卒業し、俺が小学校二年生となる春に、東京の芸大に進学するため、家を離れて上京していった。それ以来、彼女とは一度も会っていない。
誰しも、一度は「フェチ」という言葉を聞いたことがあるだろう。特定の条件下によって、ヒトやモノに極度に執着してしまう、ある種の性癖のようなものだ。声色だったり、仕草だったり……その対象になりうるものは、人間によって千差万別である。
俺は彼女が旅立ったその年から、「ゴッド・ハンド」という妄想を始めた。人間の手に異様なまでに固執し、自分を「ゴッド・ハンド追究家」と名乗り、世にいるゴッド・ハンドを追い求めて、日夜人間の手を観察し、そして研究している。つまり、これが俺の「フェチ」なのである。
しかも、友達に言わせれば、それは常軌を逸するばかりか、変態的性癖に片足どころか上半身どっぷり浸かっているという。実に失礼な話である。
繰り返すが、俺が最も愛してやまないのは「人間の手」であり、どこからどこまでを手とするかの判断基準は場合によって異なるが、俺の定義において、こう位置づけた。その感覚的評価の判定範囲は、肘から下の部分、つまり前腕から爪の先までとする。
下膊はふくよかだが決して太すぎず、ちょうどいい細さで、端麗な流線と鮮やかな濃淡で描かれた絵画のように、程よく日に焼けている。爪は短く切り揃えられ、爪甲はほんのりと赤みを帯びた桜色がいい。
その判断基準でもって、他人の手をジャッジすることを、俺はゴッド・ハンド追求の一環として、自らに課した。
電車やバスに乗れば、乗客の手を見比べて点数を与え、それを脳内で数値化する。そうして俺は、「手偏差値」というものを編み出した。
友達にインターネットで「友人A、バスの中で乗客の手を観察なう。気持ち悪くて草」と書き込まれるくらいには、俺は無意識に他人の手を眺める癖がついた。友達や知り合いはそれが気持ち悪いと言うが、俺にはよくわからない。ただ「見ている」だけで、誰にも迷惑はかけていないのだから、咎められる筋合いもないはずだ。
俺が矯めつ眇めつ他人の手を精査するようになったことの根底には、無論、以前自宅の隣で暮らしていたあのお姉さんの存在が寄与している。彼女の手が、俺が他者の手を評価する上での判断基準なのだ。付け加えると、自分の手は評価対象に含まれない。
しかし俺はまだ、彼女と同じ「あの手」を持つ人間にいまだ出会えていない。そしてこれからも、おそらく出会うことはない。……そのはずだった。
この十八年という人生の中で、あれほど美しい手を持った人間を見たことがない。綺麗という言葉では言い表せないくらい、潔白で艶美な手だと思った。
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