見出し画像

【連載小説】「きみの手、ばりきれい」#7

 地下鉄山科駅の、コンビニや雑貨屋に囲まれた駅前プラザから、脇にそれて沿線の狭い道を進んでいく。一筋目の角を左に折れ、奥まった路地に入る。すると、突き当たりに五階建てのワンルームマンションがある。色合いも外観も極めて地味だが、一目見てそれとわかるほどには、マンションの体を成している。そこの五階にある一室が、俺の下宿である。

 一部屋の面積は約十三じょう。つまり約二十一平方メートルで、坪に換算すると六・五坪ほどである。蓮実さんの下宿と比較すると、狭く感じないこともないが、一人で生活するには十分の広さだと思う。

 俺はとにかく、実家から離れたかった。決して、実家暮らしが不満だったというわけではない。むしろその逆だ。このまま実家という名の養鶏場に居座り続け、与えられた餌だけを貪り、知らぬ間に肥え太らされ、自堕落な生活を送ることになるのを危惧したからだ。

 仮面浪人している身で何をほざくと読者は思われるかもしれない。だが、人は誰しも、独り立ちしなければならない時が来る。十八歳とは子供と大人の中間地点、なんならもう大人と呼んでも差し支えない年齢なのだから、俺は高校卒業を契機とし、一人暮らしというものに挑戦したいと一念発起した。

 奇しくも、兄がすでに山科駅近くに住んでいたので、俺がそこに転がり込むことになった。兄の通う大学は京都市内にあったのだが、市街地よりは閑静で、京都駅まで電車で一駅という利点もあり、特段不便というわけでもない。市街地に居を置くより安上がりだということと、兄はどちらかというと静閑な環境を好むため、理想の物件だと話していた。

 それに加え、俺がこれから一年間(あくまで予定)通う学科のことを思うと、周りにいくつかの寺社仏閣が点在しているという点も、ポイントが高かった。

 山科駅を中心に考えてみる。

 北西に向かえば、金閣寺や清水寺が傲然たる佇まいで観光客たちを迎え入れ、北西の小関峠を越えるとそこはもう滋賀県で、琵琶湖がその広大な湖面を北西に広げている。

 さらに、南へ足を伸ばせば山科の豊かな自然を一処に閉じ込めたかのような、閑静な庭園の美しい勧修寺かじゅうじ隨心院ずいしんいんがある。加えて南には、山科屈指の名刹めいさつと名高い醍醐寺だいごじ。その直通便が、山科駅のバス停から一時間に一本ペースで発車している。

 穴場も多く、外国人団体観光客もほとんどいないので、むしろ京都駅付近に住むよりも山科に住んだほうが、それらの由緒正しき清閑な歴史遺産をじっくりと堪能できる。

 俺にとってもかなりの好条件が揃っていたので、特に揉めるでもなく、そのまま俺が契約を引き継ぐ形になった。

 一人暮らしについては、父も「そうしたほうがいい」と思いのほか乗り気で聞いてくれた。母は最初、渋っていたものの父の後押しも手伝って、自炊を条件に承諾してくれた。代わりに兄が実家に出戻り、大学院に通うという約束を取りつけてくれた。

 お金は現状ではどうにもならないから、家賃や光熱費諸々は父、学費と生活費に関しては、仕送り金として月五万円を母がそれぞれ振り込んでくれることになった。兄も学部生時代にアルバイトをしていたとはいえ、両親から同じくらいの援助を受けていたから、それを今度は俺がそっくりそのまま引き継いだことになる。

 契約者の名義変更やら、諸々の手続きはあったものの、兄に懇切丁寧に教えてもらいながらどうにかこなし、この春、晴れて俺の念願であった一人暮らしが始まった!

 ああ、なんて清々しい気分だろう!

 明坂から言わせると、「八割くらい両親の力を借りてるじゃないか、それは自立とは言えないんじゃない?」ということらしいが、彼は何もわかっていない。

 一人暮らしをする。それ自体が、立派な大人への第一歩ではないか。自炊、掃除、洗濯……それらを全て自分一人でこなさなければならない大変さを知り、一人で暮らすというのはこういうことなのかと、まずは知見を広める。

 誰にも甘えられない環境に自ら置くことで、臥薪嘗胆がしんしょうたん、己に鍛錬を強いる。甘えていいのは自分だけである。

 この考え自体、何も間違っていないと思うのに、根本的に何かが間違っている気がするのは気のせいだろうか。

 駅まで徒歩一分ほどであり、かつそこから大学直通のバスも出ているので、今のところは特に不便に感じたことはない。

 が、全体的に自堕落に陥っている気がするのはなぜだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?