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それぞれのクリエイター

表現者にずっと憧れがあった。
歌が歌える、お芝居ができる、絵が描ける、
作品が作れる、踊れる、スポーツを極める、
映像や音を作る、写真で伝える、料理を魅せる。
どれもが自分を伝え、人の心に響くものだから。
でもそれは"誰か"みたいな人になるのとは違った。
"何でなら"一番に自分を伝えられるかだったから。

自分には得意がなく、何もできそうになかった。
ふと見回して残ったのは文章と写真。
どちらがより好きかと聞かれたら文章だった。

だからこうしてnoteに残せる文章があることは
自分の気持ちを表現できる場所になっていき、
書けることに満足、消化できる時間にもなった。
たとえどんなにアップダウンのある自分もちゃんと自分なんだと思えるようになったし、それすらも肯定できる余裕も少しずつ生まれていった。

反応がすべてではないけれど、やっぱり誰かの反応が自分の気持ちをも肯定もらえていることだと感じて嬉しかった。
励みに書いているというよりは、認めてもらえるから安心して書いていけるような気持ち。それは自分自身を認めることでもあった。

noteを読んでいて自分と重なる言葉に多々出会う。
過不足なく正確に伝えたいという感情の一部。
自分が自分であるために表現していること。
感情に出会う旅がしたいのだということ。

自分の気持ちに気づくことから始まり、
アウトプットする習慣となり、
好きな文章を通してnoteに綴るようになった。
浮かんでは消える思考や想像の整理にもなった。
綴ることは創作であり、自分の一部であり、
このnoteの世界での、いちクリエイターなのだと思えたら自分と向き合えることもわるくない。
なんだかそんな些細なことでも嬉しくなったんだ。

文章は、自分が自分を知るきっかけ。
まだまだ自分にしかないものを見つめていきたい。

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