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人智を越えた奇跡④

本日7/27は、明後日の「二本松落城の先触れ」として、本宮・糠沢戦争で多くの二本松藩士が戦死した日です。
その前に、白河戦争でも幾人も亡くなってはいるのですが。

そして、「創作大賞」の「お仕事部門」に出したのが、「白露」でした。
歴史小説ではありますが、応募カテゴリーを敢えて「お仕事部門」にしてみたのは、「民を守ることこそ武士の本分」という、二本松藩の藩風に感銘を受けたからです。
何となく諸々のエピソードからそんな気風は感じていたのですが、少し前に公開した「鬼と天狗~第三章【掃討(4)】」の源太左衛門様のセリフで、その方針が裏付けられる形になりました。

わが藩の祖宗以来の精神は、民生の撫育にございます。多年住民が培ってきた街を惨しき焦土と為すは、他領といえども藩風に背きまする

きっと、死を覚悟し糠沢組の代官として農民と共に戦った市之進様も、御家老と同じような心境だったのではないでしょうか。

【白露】~或る二本松藩士の物語(1)
【白露】~或る二本松藩士の物語(2)
【白露】~或る二本松藩士の物語(3)
【白露】~或る二本松藩士の物語(4)
白露】~或る二本松藩士の物語(5)
【白露】~或る二本松藩士の物語(6)
【白露】~或る二本松藩士の物語(7)
【白露】~或る二本松藩士の物語(8)
【白露】~或る二本松藩士の物語(9)

さらに妻の立場から夫への手紙として、こんな長歌も詠んでみました。多分私が長歌を詠むのはこれが最初で最後のような気もしますが(笑)、割と気に入っている作品です。

詳しくは、こちら。

そして、最近「人智を越えた奇跡」が再び起こりました。
著作権の兼ね合いもあり証拠公開は控えますが、「白露」にあった「二本松藩が米沢藩に援軍を求めていた」という記録が、米沢藩側の日記から見つかったのです。

このお知らせをもたらしてくださったのは、私がXを始めた頃からお付き合いのあるM様。
やはり歴史、とりわけ戊辰戦争に深い関心を寄せられている方で、各地に足を運ばれては資料収集をされているようです。
M様が米沢で出会った「上杉文書」に含まれる「鶏肋後集」という、米沢藩のさまざまな文書や記録を集めた日記の一節に、「二本松ヨリ援無」という記述があったというのです。

日付から判断すると、必ずしも市之進様が使者として赴いたとも限らないのですが、少なくとも、二本松藩が米沢に援軍を求めていたのは間違いありません。

二本松藩から米沢に援軍を求めていた証拠が出てきたのは、私が知る限りこれが初めてです。
今回、このような資料の知らせがもたらされたことも、ひょっとしたら、市之進様を始め、二本松藩士らの何らかの導きなのかもしれません。
本当に、二本松藩の作品に関しては、次々とこのような奇跡が起こっているのです。

そして明後日は落城の日。
多くの二本松藩士の命日でもあり、やはり色々と考えずにはいられません。
当日は諸事の都合で、今年は投稿をお休みしますが、彼らの御霊が安らぐよう、静かに祈りたいと思います。

©k.maru027.2024

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