人智を越えた奇跡
現在、次の小説の執筆に向けて色々と準備中です。
→要するに、まだ「藤葉栄衰記」の読解や須賀川の二階堂氏一族についてのリサーチに追われている^^;
結構、漢文調の文章を書き下し文にするだけで大仕事なんですよ💦
戦前の子供らは、小学校から漢文に親しみ、白文(返り点の付かない文章)もすらすら読んでいたようですから、今更ながら、その能力がほしい(笑)。
さらには、ツイッターのフォロワー様から「安部井磐根の小説も書いてほしい」というリクエストも頂きまして、そちらも資料集めを始めております。
※安部井磐根:幕末~明治にかけて活躍した二本松藩士の一人。福島県内では、自由民権運動の立役者としても知られています。
こうして日々四苦八苦している最中、飛び込んできたのが、拙作「直違の紋に誓って」の主人公・剛介様のご子孫である今村様から、「剛介の除籍簿が見つかった」という知らせです。
現在もまだこの作品を読んでくださっている方がいらっしゃるので、ネタバレにならない&個人情報の阻害にならない範囲で申し上げると、
剛介の大人になってから(明治時代)の結婚関係は、かなり史実に近い設定でした!
具体的に言うと、
これは、本当に当っていた!ということです。
これには、設定を考えた私もびっくり(笑)。そして、人智を越えて、剛介様の遺志が働いたように感じられてなりません。
もっとも、小説とは大きく異る部分もあります。
一例としては、剛介との年齢差を「4歳」で設定していましたが、史実では「9歳差」である、など。
剛介様と伊都。この二人がどうなったかも、小説とは大きく異なります。
史実でも、剛介様にとって妻が「掌中の珠玉」の存在であったことは、疑う余地がありません。
総じて、小説の結末よりは幾分が穏やかな選択をされたとだけ、申し上げておきましょう。
それでも、この夫婦が波乱万丈の人生であったことには違いないですが……。
実際の剛介様は4男1女に恵まれたことが、除籍簿から判明しました。
そして、剛介様が亡くなったのが昭和15年ですので、その際に作られていたのは「大正4年式戸籍」です。
大正4年式戸籍(1914年式)
興味深かったのが、この時代の戸籍は、「子の配偶者及び孫」まで記載されること。
ちなみに、最初はこんな感じ。
剛介様が戸主ですので、「戸主」の欄には彼の名前があります。
この除籍簿は剛介の息子によって申請されて作られた除籍簿ですので、戸籍簿全体に大きくバツ印が引かれているのが、特徴。
ちなみに、作中で登場したお父様の「半左衛門」様は、その後改名されており、剛介様の除籍簿には「嘯雲」のお名前が記載されていました。
母である「紫久」さんは、私の作品の都合で漢字を当てたものの、本来のお名前は「シク」で、恐らくカタカナ表記です。
※名前を漢字表記にしないと文章の中で埋もれてしまいやすく、見つけにくいのですよ(´・ω・`)
剛介様は最終的には「今村」の姓を名乗られているので、戸主の欄には「今」の字が見えますね。
そして、その隣には「妻」の名前が。
この妻を、剛介は生涯大切にしていました。
そして、現在の戸籍と大きく異なるのが、「孫」まで記載されている点です。
戸主の妻と区別するためでしょうか。
子供らの妻には「婦」の字が当てられていました。
へえ~!
戸籍制度については色々と批判もありますが、やはり「個人のルーツ」を調べるには、便利なアイテムです。
ちなみに、私自身の「戸籍」のルーツは、まず辿らないでしょうね^^;
両親共に「ザ・庶民」の出なので、調べても大した情報が出てこないということが、あらかじめ予想できますので……。
そんなわけで、多少投稿ペースが鈍っても、ちゃんと「創作活動」をしていますよ!
……という、お知らせでした(*^^*)
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