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マルチタクスの危険性

現代人の多くの仕事はマルチタクスを求められることがとても多い。例えばオフィスワークで自分の作業をしつつ部下の進行状況を把握したり、電話対応をしたり、動画を見ながら他の何かをしたりするのもそうだ。子育ても子供を見ながら様々な事をするのでマルチタクスと言えるだろう。タイパなどと言われてタイムパフォーマンスを求めより効率がいいより多くの成果を短時間であげることが重視されているが、このようなマルチタクスは健康上非常に悪影響だと研究されている。また脳の疲労度も非常に大きい、本来人間は牧歌的な生活をしているうえでほとんどマルチタスクを求められるような生活をしてこなかった。またそのように進化してきていない。
マルチタクスはカッコいいし、仕事ができる感じがする。そう考えていた時期が私にもあったが今にして思えばマルチタクスを突き詰めていくことは自分の疲労度やストレスを増大させて自分を機能不全にするうつ病などの精神疾患に悪影響を与えていたのではないかと思う。我々にはもっと考えない時間が必要だし、作業もあまり考えないで坦々と行うのが望ましいのだ。
しかし現代社会はより成果をより多くの作業をより複数の作業を求める傾向が強い、AIの普及は労働の軽減になると考える人も居るかもしれないが結果的にAIが単純な作業や労働をやってしまうことで人はより複雑な例えばAIのやった複数の作業をチェックしたりとか複数のAIを起動しつつAIにはできないような他の作業を行うなどより人への負荷は増していくだろう。そして人口減少時代、労働の担い手が減ることでより多くの作業や負荷を一人の人間に求めるだろう。それは結果的に精神疾患やうつ病患者を増やし結局全体の生産性を大きく下げてしまうのではないか?
もっと私たちはシングルタクスに仕事をするように努力しなければいけない。家の作業や休日は特に多くのことを同時にするべきではない。またスマートフォンはできれば定期的にシャットダウンする時間が必要不可欠だ。こういうことをして時に自然をぼーっと眺めたり、好きな漫画をだらだらと読んだり、寝る時間も必要だ。アクティブに何かをするのだってシングルタクスに遊ぶことに集中できた方がいい。たぶん人間の脳はマルチタクスを使いすぎると今が異常事態だと判断して交感神経が活発化して常に緊張モードに入ってしまう。それがずっと持続するとリラックスできなくなり、不眠になり鬱になり、何もできなくなる。禅や仏教の教えで今やってることを一所懸命にやる、つまりその作業のみに集中してひたすらそれをするという修業がある。それはつまりシングルタクスの能力を鍛えているのである。シングルタクスの能力を鍛えるとより仕事に没頭して作業効率があがり、同じ作業を繰り返すことでそれが人間の脳をリラックスさせたうえで仕事をしている状態になる。驚くことに脳が休みながら仕事をしているような状態になる。それは本当の効率の良さではないだろうか?
ひたすらに同じことを集中してやっていくうちにリラックスして次第に何も考えなくなり、同じことを同じことの中で一つの悟りへの入り口としてそれが見えてくるのかも知れない。我々は機械ではない人間である。より多くの作業をしなくていいし、より効率的に仕事する必要などない。むしろ人間の尊厳を守り自分たちが自分らしく生きられる生き方に全力を尽くすべきだ。他者の奴隷のようになるべきではない。私たちは企業や国や組織の歯車ではない。人間として人間があるべき幸せのために、私たちは多くのことを考える自由も考えない自由もあるべきである。

「過剰な労働は最上の警察である。なぜなら、思案したり、思い悩んだり、
心配したり、愛したり、憎んだりするための神経の力を奪ってしまうからである」 ニーチェ『曙光』


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