マガジンのカバー画像

掌編

21
掌編置き場
運営しているクリエイター

記事一覧

生き物でいたいとその人は言った。巡る命は石の棺に引きこもったりしないと、そう笑った一月後、たった1人で永遠の循環の中へ溶けていってしまった。いつも、心のどこかで想っている。あの人は正しく巡れたのだろうか。そぼ降る雨の中に。あの鳥の羽の一枚に。目の前の一盛りの米の中に。

始末のよい人がいる。その人の周りはいつでもスッキリしていて持つものも少ない。口数は少なく表情は穏やかで、人付き合いも、始末がよい。皆その人を良い人と言った。私にはこの世に何某かを残すのを厭うているように見えた。あの人はきっと、霞のように消えたいのだ。寂しい人だと言う人は、居ない。

天気雨が降る中を行列が行く。狐の嫁入りと言っていたのは誰だったか。めでたいと言ったのは誰だったか。行列の後ろ姿を見送る背後は墨の湧いたような空。行列は進んでゆく。明るい天気雨の中を。どこへ輿入れすると言うのだ。ここから去って。頬を伝う滴が雨なのかどうか、私には最早分からなかった。

月影が照らした雪原は、鼻先が悴むほどの寒さの中でも不思議な事に寒さを感じることはない。こんな日は足元を照らすなど無粋でしかなく、灯を持たないのが常だった。ぎゅ、ぎゅと雪を踏み締めながら畑へ向かう。雪原が明月に満たされた収穫の日。どうか良い薬になりますようにと、円い月に願いながら。

足元ばかりを見ていた視界に黒い長靴が現れた。大きな手が頭の雪を乱暴に払ったかと思うと、そこにぽんと何かを置かれた。驚いて伸ばした手に触れたのは、探していた祖父に貰った御守りで、ありがとうございますと顔をあげると、その人はもういなかった。雪の上に、足の跡すら残さずに。

お迎えにあがりましたよという母は大層若く、銘仙の愛らしい着物を着ていた。お待たせしましたと出てきた父も大層若く、上等なスーツに高山帽を被っていた。それは父の秘蔵の服で、道理で白装束は着せてくれるなとしつこく言っていたわけである。愛した妻に20年ぶりに会うのだから。

雪の無い追儺の夜に庭の奥から声がした。祖母に腕を引かれたかと思うと目の前で引戸の鍵が鳴る。あれは何と問おうと祖母を見ようとした目を塞がれ、お前は何も見なかった、何も聞かなかった、と泥濘みに沈むような声で言われればもう何も言えず、哀れな気配のその声はやがて闇に溶けていった。 #掌編

雑木林の広場にはクローバーが茂っていた。特に土が盛り上がった場所のクローバーは、葉の数が4枚だったり5枚だったり6枚だったりした。はしゃぎながらそれを摘んだあの場所は今、アスファルトで覆われている。クローバーが妖精の国への鍵と知った日、雑木林の入り口には鉄の網が張られていた。

彼女が結婚する。
祝福の最中、私はここではない場所を見ていた。
二人で歩いた夜の海。満月が明るくて波の音がして、静かだった。
あのまま世界に二人きりになりたかった。
背の高い彼女の横の、私の愛する彼女。
祝福の中私だけが月夜の浜辺を歩いていた。月は、私だけを照らしてた。
#掌編

深夜のファミレスで怪訝な顔をされた。さっき確認した時は確かに奥にもう1人いて、全部で4人を案内したのだ。もう一度卵雑炊のお客様はと聞くと、1人がハッとした顔をした。それを見た2人もハッとした顔になり、やがて嗚咽となった合間から、好きだったよね、と小さなつぶやきが聞こえた。 #掌編

桜色の花が咲く。小さな花の塊がまるで綿菓子の様だ。
咲き誇るその花達を、塊が崩れぬ様にそうッと収穫する。
冬を越えたモノ達が目覚める為の花。冬という死を乗り越えて春という誕生の時に口に含む生命の乳。穢れた血生臭さとは程遠い漲る血潮の香りを、次の春への想いと共に箱へ納める。 #掌編

雲は薄い虹色をしている。
そう言うと大体は怪訝な顔をされる。
聞かれなければ答えることもないし、正直に答えたところで利はない。
と、思っていた。
姉が、それは玉虫色というんだと教えてくれるまでは。
以来姉との朝の挨拶は、今日も良い玉虫色だね、になった。
利は、割とある。 #掌編

スコップを振るいながら思う。桜の下には死体が埋まっていて、だから桜は美しく咲くというが、でもそれは違うけど正しいと僕は思う。肌寒い夜風の中、汗を腕で拭う。傍にスコップを突き立て、穴のふちに膝を落とす。
桜の下には、血を吐く様な恋心と、少しの涙が埋まっている。 #掌編 #桜

友人夫婦の家は良い家だが、廊下の奥だけは日中も煤けた様に暗い。転居祝いの宴会の時手洗いから戻らない共通の友人を捜しに行くと、煤けた奥でしゃがみこんでいる。友人は私に気づき振り向くと、シィ、と指を口元に当て何事も無かった様に戻っていった。その日以降、あの暗さは消えたという。 #掌編