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ぼくが幸せにならないと、親は幸せになってくれない

こどもの不幸はなんだろう

年に一回旅行に行けないことか。
月に一回外食に行けないことか。
学習塾に行かせてもらえないことか。
誕生日にゲームのカセットを買ってもらえないことか。

全然違う。
そんなこと、どうだっていいのだ。

親が不幸であること
これが、こどもにとっての不幸だ。親が不幸面をしていることが、最大の虐待なのだ。

わたしは群馬県の田舎に生まれた。平成5年に生まれたが、その田舎は昭和69年だった。新しい時代に喰らい付いていく気概などなく、皆がどうしようもない弱さを抱えていた。自分のご機嫌取りを他人に強要する、最低な村。
私の家は裕福な農家だった。そこでは祖父が殿様。祖母は家来、父親は手下。そして母親はその父親の手下。「女は男に従え」を地でいく村だった。皆が殿様に媚びへつらい、24時間息苦しさを抱えたまま生きる。そして大人たちの息苦しさの捌け口は、我々こどもたち。

専業主婦の母親はいつも辛そうだった。夜になると泣いていた。うつ病だったのだろう、その目は死んだ魚のようだった。だが昭和の価値観にどっぷり浸かった父親は「女は家にいろ」という傲慢さを発揮し、妻と向き合うことを放棄して外でゴルフだの飲み会だのに興じていた。
当然、俺からみたら祖父母、母親からみれば義理の両親、は助けてくれない。そしてあろうことか母親の実の両親も助けてくれなかった。「一度嫁いだ女はそこで生を全うしろ」ということだ。俺の親族は皆、共感性のかけらもない、人の皮を被った畜生だった。

逃げ場のない母親。残された選択肢は一つしかない。子供にあたること、それだけが母の生存戦略だった。気が強い俺の姉は年中母親に、父親に、祖父に逆らっていたが、その度に返り討ちにされていた。頬をぶたれ、庭の大木に縛り付けられ。公開処刑を見せつけられていた俺は震えあがり、口ごたえするという概念すら消えた。従順なペットとして俺を懐柔した母親は、俺に呪文を唱え続けた。「あなたの父親は、ロクでもない男なのよ」と。

俺が8歳の時に両親は離婚した。お互いに向き合うことができない、大人の皮を被ったこどもである両親だから当然の結果。不倫相手の男と母親は再婚した。だがギャンブル狂いの再婚相手を養っていた母親は、また夜になると泣いていた。泣きながら、いかに酷い男なのかを俺に説いていた。そしてスッキリすると謝るのだ。「ダメな母親でごめんね」と。
俺が17歳のとき。ギャンブル狂いの男は会社の金を横領して逮捕された。男は借金だけを残し、家から消えた。

離婚しないの?
10歳のとき俺は何度も聞いた。母親は困ったような顔をして、ただ哀しそうに笑っていた。
離婚、した方がいいんじゃない?
13歳のとき俺は何度も聞いた。母親は無表情で、そうね、とだけ言っていた。
離婚しろよ
15歳のとき俺は何度も言った。母親は顔を赤らめて、「うるさいわね」と怒りを向けてきた。

こんなどうしようもない女を前にしても、俺は何もわかっていなかった。高校を卒業して上京するまで、「母親は被害者だ」「母親が可哀想」「母親を苦しめる、男たちが悪いのだ」と本気で思っていた。だから父親たちは怒りの対象でしかなかった。ギャンブル狂いの二人目の男に対しては、本気で殺したいと思っていた。
俺はすっかり騙されていたのだ。あの女は被害者面をして俺から同情を買い、俺に感情を吐き出してスッキリして、現状維持を続ける。俺は母親から浴びせられた怒りの感情を溜め込み続けて、17歳でうつ病と診断された。「母親が愚弄されている」という暴力を受け続けてきた背後で、あの女は俺を嘲笑っていたのだ。都合のいい男ね、便利だわ、と。そして精神病院の帰り、母親は平然とした顔で言った。「なんで駿はこうなっちゃったんだろうね」と。

俺はどうしようもない、馬鹿な男だった。
あんな女に騙されて、一人で勝手に苦しんで。

大人になってようやくその事実に気付いた。かつてないほどの殺意が湧いた。

母親と対峙した。今までのことを全て確認した。
そして言ったのだ、「自分を大切にできない、現状を変えようとしない馬鹿な女である、あなたが大嫌いだ」と。

大嫌いだった、ではない。今この瞬間も大嫌いなのだと。
俺が成人してから、母親は三回目の結婚をしていた。この三人目の男もモラハラの、クソどうしようもない男だった。だからこの女は、俺が向き合った時も何も変わっていなかった。現在進行形で「思考停止した、自分が愚弄されてもそれに甘んじてしまうクソ馬鹿な女」だったのだ。当時は、モラハラ男と母親と、俺の妹の三人暮らし。「親が愚弄されている」という虐待を、この女は性懲りも無く、妹にもしていたのだ。

母親は泣いていた。ただただ、「本当に申し訳なかった」「ごめんなさい」と俺に謝った。俺が欲しいのは謝罪じゃなくて、理解と行動ですよ、と言ったが、それでも謝っていた。
何に謝っているのですか
そう問うても、目を腫らした、ぼんやりとした顔でただ黙っていた。

俺の言葉は、全くこの女に届いていなかった。
自分を本当の意味で大切にしないこと。それが子どもたちを傷つけ、苦しめてきた最大の要因なのだと。だからお前も自分の人生の課題と向き合って、自分を幸せにする努力をしろ、と。だから、お前を大切にしない糞モラハラ男と別れろよ、と。ちゃんと、一緒に住んでいる娘を大事にしろよ、と。俺は何度も、詳細に伝えたがそれでも全く理解されなかった。

離婚しないの?
10歳のとき俺は何度も聞いた。母親は困ったような顔をして、ただ哀しそうに笑っていた。
離婚、した方がいいんじゃない?
13歳のとき俺は何度も聞いた。母親は無表情で、そうね、とだけ言っていた。
離婚しろよ
15歳のとき俺は何度も言った。母親は顔を赤らめて、「うるさいわね」と怒りを向けてきた。

この時と全く同じだ。
俺の声は、母親には届かない。理解されない。

絶望したが、ふと気付いたのだ。
この女の状況は、鬱になった17歳の時の俺と同じだと。

自分を本当の意味で大切にしないこと。それが子どもたちを傷つけ、苦しめてきた最大の要因なのだと。だからお前も自分の人生の課題と向き合って、自分を幸せにする努力をしろ、と。だから、お前を大切にしない糞モラハラ男と別れろよ、と。

これと同じなのだ。
自分を本当の意味で大切にすること。それはつまり、自分を理解し・大切にしようとしない人間を切り離すことだ。つまり俺でいえば、母親という血が繋がっているだけの他人を切り捨てること、だ。いつまでも「ママ、ぼくを愛して」と執着している場合ではない。子どもが欲する愛情を与える、その覚悟と器量のない人間にいくら求めても無駄なのだ。

自分を幸せにする努力をしなければならない。これはまさに、俺に突きつけられている課題。

なぜ俺は、

親が不幸であること
これが、こどもにとっての不幸だ。親が不幸面をしていることが、最大の虐待なのだ。

この真理に気づけたのか。
それは俺自身が死ぬ気で内省をしたからだ。30年にわたる自分の人生で、溜まりに溜まった膿を根底からほじくり返して綺麗にしていったからだ。その過程は崖から飛び降りるほど恐ろしく、そして発狂するほど苦しかった。
なぜ俺はその苦行を乗り越えられたのだろうか。
それは、俺の師が身をもって体現してくれていたから。この苦行を乗り越えれば、本当の意味で楽に生きられる。本来の自分の生き方を取り戻せる、と。これ以上ない説得力をもって、俺に示してくれていたから。

じゃあ、俺はどうなんだ?
このくたびれきった、母親という名札のついた女に対して必死に「俺の気持ちを理解しろ」「そのために、お前も俺と同じように親と向き合え。人生の課題と向き合え」と突きつけている俺は、果たして本当の意味で幸せか。本当の意味で人生の課題をクリアして、楽に生きることができているのか?

この世は「何を言うか」ではない。「誰が言うか」これが全てだ。
結果の出ていない、力のない者の言う言葉は無意味。
誰もそんな奴の言葉に惹きつけられない。導かれたい、言うことを聞きたい、なんて思うわけがない。

俺が本当の意味で幸せになること。そのために、人生の課題をクリアしきって、一切の悩みがない・完璧に健やかな生き方を創り上げること。
その姿を見せられなければ、母親が「変わりたい」と思うはずがない。人生の課題・親の課題と向き合うその苦行を乗り越えて、私もこういう生き方がしたい、と惹きつけられるはずがない。

こどもにとって親は全て。自分の世界そのもの。
情けないが、年齢だけ20歳を超えても親の呪いが解けていないと、いつまで経っても親に縛られてしまう。親の呪いを投影した世界を彷徨い続ける。母親に、自分の姿を投影してしまう。
殺したいと思うのはつまり、それだけその相手に想いがあるということ。

いつまで経っても、自分を大切にできない。
自分を大切にしないモラハラ男と離婚できないでいる。
左腕の痺れが取れない、と悩んでいる。
全く幸せそうではない顔を貼り付けて、日々を苦しそうに生きている。

本当の意味で、幸せになってほしい。
そう思うのであれば、今はもう切り捨てるしかないのだ。
「もうお前と関わるのは人生の損失だ」としっかり伝えて、関係を絶つことだ。
他人に関わっている場合ではない。人生の時間、100%を自分に注がなくてはいけない。

まずは人間関係を一掃することだ。価値観の合わない者、自分を大切にしない人間、その全てを切り捨てる。職場に嫌な奴がいるのであれば、そいつを排除するか、自分が離れよう。微塵も妥協してはならない。妥協した瞬間に「本当の意味で健やかな生き方」は実現できない。

そして人間関係を一掃すると同時に、パートナーを見つけよう。あなたの弱み100%を出し切って、それを丸ごと愛してくれる。そんなパートナーを。

自分が好きな人間だけに囲まれて生きること。
これが人生で最も難しい。だが、人間に最も幸福をもたらしてくれる。
これに気づき、実現できた者からストレスと縁が切れる。鬱だった自分を、もう思い出せなくなってしまう。

わたしも、もうすぐ実現できる。
その日を楽しみにして一日一日、しっかりと課題と向き合いクリアしていく。
そして、100%悩みがないと言い切れるその日が来たら。母親に会いに行き、突きつけてやろうと思うのだ。

「親との課題に、取り組みますか?」






以下の長編小説、企画出版希望です。
編集者や出版関係者でこちらの内容を本で出版したい、と思ってくださる方は、
kanai@alba.healthcare
こちらまでご連絡ください。

第一弾:親殺しは13歳までに

あらすじ:
2006年。1日に1件以上、どこかの家庭で親族間殺人が起きている国、日本。そんな国で駿は物心ついた頃から群馬県の田舎で、両親の怒号が響き渡る、機能不全家庭で生まれ育つ。両親が離婚し、母親が義理の父親と再婚するも、駿は抑圧されて育ち、やがて精神が崩壊。幼馴染のミアから洗脳され、駿は自分を追い込んだ両親への、確かな殺意を醸成していく。
国内の機能不全家庭の割合は80%とも言われる。ありふれた家庭内に潜む狂気と殺意を描く。


第二弾:男という呪い

あらすじ:
年間2万体の自殺者の山が積み上がる国、日本。
想は、男尊女卑が肩で風を切って歩く群馬県の田舎町で生まれ育つ。
共感性のかけらもない親たちから「男らしくあれ」という呪いをかけられ、鬱病とパニック障害を発症。首を括る映像ばかりが脳裡に浮かぶ。
世界中を蝕む「男らしさ」という呪い。男という生物の醜さと生き辛さを描く。

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