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甘えるってなんだ

甘える、というのがよくわからない。
単語としては知っているが、自分の身体にはしっくりきていない。

都会の、熟練度の高い大人たちは「人にちゃんと甘えなさい」と言ってくれる。
田舎の、思考停止している大人たちは「人に迷惑をかけるな」と言ってくる。

わたしは田舎の、思考停止した大人たちにガチガチに囲まれ、思考停止したまま生きてきた。だから東京の、余裕のある大人たちが放つ「ちゃんと甘えなさい」にはびっくりした。30歳になった今もまだ、さながら幼児のように探り探りだ。

甘える、というのは自分を曝け出すこと。
自分の醜さを晒すこと。
路上の猫のように、人が近寄ってきたらゴロンと寝転がり、お腹を見せること。

「甘」という単語を使うくせに、相当厳しいことを要求しているなと思う。
甘えるというのは、ものすごく弱々しい、なよっとした響きを伴うが、その実態は修羅の道だ。これほど、人としての強さを試される概念はない。

我々アダルトチルドレンは物心ついた頃から不安感でいっぱいだった。家庭内に本当の意味で安心できる場所はなく、常に何かに怯えていた。何かというのはもちろん親だが。
自分を曝け出すなんて、これほど恐ろしいことはない。猫のようにゴロンと腹を出そうものなら、槍で腹を突かれて致命傷を与えられる。というか与えられてきた。そしてその傷は癒えていないまま。

わたしは群馬県太田市の田舎で生まれた。人間としての温かみなど微塵もない家だった。

4歳の時
近所の友達と畑で遊び、泥だらけで帰ったら頬を打たれた。泥だらけで帰ってきて「もう、しょうがないわね」と呆れたように、母親に笑って欲しかった。だが自分が満たされてない母親は「何笑ってんのよ」とキレて、俺を殴った。そして風呂場に投げ捨てられ、服を自分で手洗いしろ、と怒鳴られた。

5歳の時
公文式の塾を辞めて遊ぶ時間が欲しいと言ったら、ダメと言われた。

「何かを要求すると返り討ちにされる」というのを、深く学んだ。
本音を押し殺し、「親のキャパの範囲内」の発言をしないと相手にされない、というのを学んだ。

だが10歳の時、サッカーでプロを目指していた俺は、キングカズがブラジル留学を経てトップ選手に上り詰めたことをテレビで知った。返り討ちに合うのはわかっていたが、それでも湧き上がる欲求を抑えられなかった。母親に、「ブラジル留学をしたい」と決死の覚悟で伝えた。
あの時の、母親の冷たい目は一生忘れない。心の底から、俺を馬鹿にしたあの顔。そして勝手に「自分が傷つけられた」と、哀しみを帯びた顔。

「うちがお金ないって知ってるでしょ。何言ってんの」

俺が崖から飛び降りる覚悟で、恐怖を乗り越えて晒した想いを
まるでゴキブリを殺すかのように、はたき落とした。粉々に壊され、侮辱された。

母親としては「わたしが苦労しているの知ってて、なんて子なの」という気持ちだったのだろう。全然私のこと大事にしてくれないのね、冷たい子ね、と。ちなみに金がないのはギャンブル狂いの男を養っているから、なのだが。

甘えるというのは、自分を晒すこと。
弱く、醜く、生臭い人間性を相手の前に差し出すこと。
そしてそれを拒絶されるのは、自分の人間性を否定されること。

親たちと過ごした0〜18歳までの時間で、それを嫌というほど学んだ。
甘えるというのは、ほぼ負け確のギャンブルなのだと。
負けたら致命傷を負わされ、発狂したくなる。自分を惨めにするロクでもない概念だと。

甘えた時に、ハシゴを外さないで欲しかった。
「うちがお金ないって知ってるでしょ。何言ってんの」
というのではなく。
「うーん…ちょっとお金が厳しいんだよね。太田のお父さんに手紙書いてみたら? 僕はこういう思いで、サッカー頑張りたいんです、ブラジル留学行ってプロになりたいんです、って。太田のお家はお金持ちだから、出してくれるかもよ。もしダメって言われたら、またどうするか考えよ」
と言って欲しかった。
親というのはハシゴを外すのが仕事ではなく、子供に道を示すのが仕事だと思う。まあ、一人目の父親に頼る、というオプションを思いついて行動できなかった俺が悪いのだが。だが長年の親たちの教育の賜物で、「拒絶された=人間として否定された」の方程式が出来上がってしまっていた。そこから奮起して行動しまくる、なんて、寝込んでしまった俺にできるはずもない。

そこからは当然のように、人に頼らなくなった。全部自分でやった方が楽だから。絶対に傷つけられることがないから。だが人間が、所詮一人でできることなんて限られている。「傷つけられるかも」という掛け金を払わない分、得られるものなんてたかが知れている。
自分の中だけで、自己完結だけで生きていく。でも、絶対に他者より上回っていなければいけない。起業して成功者にならなくてはいけない。
起業なんて、他者に甘えるプロが蠢くレッドオーシャンなのに、他者に甘えられない俺が勝てるわけもなく。そして勝てない自分が、なぜ勝てないのか、何の課題に向き合わなくてはいけないのか。心の奥底では薄々気づいていた人生の課題に目を背け続け、怒りを溜め続けて。張り詰め続けた結果、廃人と化した。

人に甘えずに、自分ひとりで生きていくなど不可能だ。
濃淡はあれど、必ずどこかのシーンで自らを差し出さなければ人生は終わる。差し出せる質と量が上がれば上がるほど、そのリターンは鮮やかで彩り深いものになる。

もう、誰にも傷つけられたくない。

そうやって殻に閉じこもっている場合ではないと思った。
だってそうやっていると死んでしまうから。まだ生きていたいから。
だからやっていくしかない。甘えるという、ほぼ負け確のギャンブルを攻略するしかない。

何から始めようか。
わたしは自分に自信がないくせに、理想を描くのが大好きだ。そして理想から逆算して、計画的に課題をクリアしていくのが好き。瞬発力がないから、一気に理想を叶えるという技をまだ使えない。いつかは使えるようになりたいが。

作家として文字を書くこと。これだけやっていればよい、という生活を送ること。

これが私の理想。では理想を実現するための要素は何か。
それはシンプルで、作家として月30万円以上稼ぐこと。これだけ。
月額1万円を払ってくれるファンの方、30名いてもらうか。
それとも月30万円支援してくれるパトロンの方を見つけるか。

言語化すると簡単に見えるが、これが結構簡単なことではない。特に甘えるのが苦手な、我々アダルトチルドレンにとっては。

作家というのは、作品にお金を出してもらうのではない。
自分という人間そのものが商品なのだ。
だから人間そのものに価値を感じてもらえなければ、お金を出してもらえない。
だから「自分には価値がある」と理解し、そして自分を差し出さなければならない。甘えなければならない。

考えれば考えるほど、修羅の道なのだ。
生きていれば、無数の人に出会う。自分を受け入れ、価値があると算定してくれるかもわからない人に、「僕を買ってくれませんか」とお願いしまくる。大体は、「あ、えーと…」と、残酷な対応をされるだろう。「は?」と言われるよりは100億倍有難いが。
拒絶され、否定され。「自分はやっぱり価値がないんだ」と打ちのめされながら、甘え続けなくてはいけない。

ここまで書いて思ったが
そもそも人に甘えるには、「自分には価値がある」と教えてくれる人が側にいないとダメなんだ。じゃないとそもそも、「僕には価値があるので、僕を買ってくれませんか」とお願いすることすらできない。怖すぎて、そんなこと言えるわけがない。

だから、今この瞬間に取り組むべきは、「あなたには価値がある」と言ってくれる人を見つけることだ。最初はお金を出してくれなくてもよい。わたしの作品を「おもしろいね」と言ってくれる人を、まずはひとり見つければよい。そのひとりが見つかったら、今度は100円出してくれる人を見つける。次は200円、1000円、10,000円。やがて30万円出してくれるひとが見つかる。

理想を叶えるためには、甘えなければいけない。
この修羅の道を歩み続けなくてはいけない。

あなたの周りには、何人かひとがいるだろう。
その中に、あなたの人間性を受け入れてくれる人がいるだろうか。
もしいなければ、外に出かけよう。人と出会おう。
絶対にカッコつけてはいけない。絶対に「よく思われよう」として、言葉を選んではいけない。
とにかく自然体、ありのまま。人を徒に傷つけることのない、ありのままの言葉を発していこう。
その言葉に、柔らかい笑顔を向けてくれる人が必ずいる。
その人に勇気をもって、あなたという人間を差し出そう。





以下の長編小説、企画出版希望です。
編集者や出版関係者でこちらの内容を本で出版したい、と思ってくださる方は、
kanai@alba.healthcare
こちらまでご連絡ください。

第一弾:親殺しは13歳までに

あらすじ:
2006年。1日に1件以上、どこかの家庭で親族間殺人が起きている国、日本。そんな国で駿は物心ついた頃から群馬県の田舎で、両親の怒号が響き渡る、機能不全家庭で生まれ育つ。両親が離婚し、母親が義理の父親と再婚するも、駿は抑圧されて育ち、やがて精神が崩壊。幼馴染のミアから洗脳され、駿は自分を追い込んだ両親への、確かな殺意を醸成していく。
国内の機能不全家庭の割合は80%とも言われる。ありふれた家庭内に潜む狂気と殺意を描く。


第二弾:男という呪い

あらすじ:
年間2万体の自殺者の山が積み上がる国、日本。
想は、男尊女卑が肩で風を切って歩く群馬県の田舎町で生まれ育つ。
共感性のかけらもない親たちから「男らしくあれ」という呪いをかけられ、鬱病とパニック障害を発症。首を括る映像ばかりが脳裡に浮かぶ。
世界中を蝕む「男らしさ」という呪い。男という生物の醜さと生き辛さを描く。

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