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人といるから孤独になる

孤独が人間を殺す。
我々は孤独に耐えられない。自分がこの世界に独りなのだと、誰も自分を理解してくれる人なんていないんだ、と。そんな寂しさを感じることに耐えられない。孤独、寂しさこそがこの世の絶望なのだ。我々はそう信じて疑わない。

だから人を探す。つるんでくれる人を探す。どんな手を使ってでも、どれだけ時間と金を注ぎ込んででも。どれだけ身と心を削ろうとも、自分を受け入れてくれる人を探し続ける。独りになるぐらいなら死んだほうがマシ。独りになるのは死ぬよりも辛い。だから、自分の生々しい、ドス黒い悪魔のような本音に蓋をして偽りの仮面を被り、頬を引き攣らせながら無理やり笑みを浮かべて、今日も誰かと過ごす。

わたしはずっと愛想笑いを貼り付けて生きてきた。この30年間、誰かに構って欲しくて、誰かに理解され寄り添って欲しくて、常に頬を引き攣らせ張り詰めて生きてきた。人がどう思うか、どう振る舞えば人から好ましく映るか。どんな言動で、どんな身なりをして、どう相手の心中を慮れば女性から愛されるか。それだけを考えて生きてきた。

生まれてすぐ、母親の腕に抱かれた。俺より先に生まれた長女によって散々齧られた、腫れ上がった母親の乳首にかぶりつき、必死に乳を吸って生きてきた。次第に自我が芽生え、自分が「3歳である」ことに気づく。自分は3歳の男である、という認識が生まれた。
俺は母親の愛が欲しかった。母親も、口先では「大好きだよ」と言ってくれていた。でもその言葉はどこか薄寒く、「本当に愛されている」という安心感を俺にもたらすことはなかった。いつも俺は、愛情に飢えていた。
母親は、俺を大好きという。だがその目はいつも虚で、枯れ果てていた。夜になれば乾いたその眼球に涙が浮かぶ。母親は、散々俺に呪いをかけたのだ。

ママは、なんて不幸なんだろう。
ママは、なんて可哀想なんだろう。
パパは、本当に酷い男なのよ。

そう、俺に呪いをかけた。そして俺に、「駿くん、大好きだよ」と言う。その言葉は、俺に向いていない。「私がこんなに言っているんだから、お前は私を大事にしろ」という脅しなのだ。誰も味方がいない、誰も理解者がいない私。本来味方になるべき旦那が、年中飲み会やらゴルフやらで家に寄りつかない。そんな可哀想なママを、あなたは放っておくの。そんなわけないわよね。これだけ苦労して育ててあげてるんだから。面倒だけど、ちゃんと愛情表現だって、たまにはしてあげてるんだから。だからちゃんと報いなさいよ。ちゃんと、私の味方でいなさいよ。

つまりはそういうことだったのだ。俺は脅しに屈した。心底恐ろしかったから。母親こそが俺の唯一の味方であり、その母親を失えば俺は生きていけないのだと、4歳ごろには確信していたから。だから俺は常に笑顔で応じた。必死に、柔らかい無邪気な表情をつくり、全身全霊で母親の毒を浴びた。喜んで旦那への怒りを受け止め、俺はそれを体内に溜め込み続けた。
だがあっけなく捨てられた。それが8歳の時。

あまり映像として脳内に残っていない。ただ感覚だけが残っている。底なしの無が全身を包む感覚。身体中から生気を抜き取られた無力感。そうだ、これは孤独によるものなんだ。俺は誰かといないと、この底なしの無に飲み込まれてしまう。発狂してしまう。そんな悪寒に包まれた。
だから仲間を求めた。俺の言うことを聞く、俺に従う仲間。俺を裏切ることのない仲間。母親が俺にしたように、俺もクラスメイトに服従を求めた。俺の声に従わない奴は殴った。泣いて媚び諂うまで殴った。しばらくは、母親に従っていた俺のような子分どもが、俺を取り囲んだ。

だが、俺の帝国はあっさりと崩れた。子分どもが、俺を担任の教師に売ったからだ。いかに俺が酷い人間か、尾鰭をつけて担任にチクった。田舎で思考停止で生きる、無能な公務員教師はクラスメイト全員の前で、俺がいかに酷い人間かを演説した。俺は俺以外の30名の子供達全員から避けられた。子供達だけでなく、その親たちまでもが、「どうしようもない子」というレッテルを貼り付けた。「駿くんと遊んじゃだめってお母さんに言われてるから」と、俺と関わりがあった奴ら全員が言って、蜘蛛の子を散らすように俺から一斉に離れていったのだ。

俺は負けた。大人たちの暴力によって、あっさりと村八分にされ生き血を吸い尽くされた。母親に負け、父親に負け、そして教師と保護者たちに負け。母親に捨てられた時の絶望に、さらに上乗せされた無に俺は負けた。自分の気持ちを全面に出すと、人間に捨てられるのだと心底思い知った。

チンポを引っこ抜かれた、弱い、ゴミ虫が完成した。男なのか女なのかわからない、弱々しい生物。常に、「他人から見て、自分がどうか」「目の前の人間が何を感じ、どう思っているか」「どんな言葉を欲しているのか」に囚われた。いかに人間が自分の敵に回らず、そして人間が自分の味方として振る舞うこと・あわよくば自分を喜ばせる振る舞いを返すように仕向けること。その打率をいかに高く維持するか、そのスキルを磨いてきた。スキルが高まれば高まるほど、こころは削り取られていった。

行きたくもない、むさ苦しい男子校に進学したのも
そこで3年間、鬱病とパニック障害になっても勉強をひたすら続けたのも
親族内の序列を上げるためだけに、姉が落ちた横浜国立大学に進学したのも
本当はなりたくもない起業家になって、毎日バカみたいに働き続けたのも
鬱病が再発しても、「成功者にならなければ」と張り詰めて、そこにしがみついてきたのも

全て、己の市場価値を上げるため。市場価値をあげなければ、己を「市場価値が高い」と実感させてくれる、市場価値の高い女性から愛されないから。
ただそれだけが、俺の渇きを埋めてくれる。どうでもいい女と適当に付き合って適当に結婚して適当に子供を二・三匹作って、朝から晩まで働いて、小遣い3万円の中で、給料日前に同僚とゴルフに行って。仕事で疲れて帰ってきても妻から雑に扱われて喧嘩が絶えず、子供達が成人したら妻から離婚されるような。そんな、散々見てきた糞みたいな人間たちの生き方は、絶対にしたくなかった。それならもう今すぐ死にたい。死んだほうがマシ。そうならないために、俺は市場価値を上げ続けなくてはいけない。そう、自己洗脳しながら生きてきた。

市場価値を上げて。つまりは、経済力と社会的地位を上げること。そしてそれだけでは足りない。それだけでは女性から捨てられる。女性から捨てられないためにはどうするか。それは、女性が「私はちゃんと愛されている」と安心させ続けること。そのためには、女性の機微に聡くなくてはいけない。ちゃんと察して、寄り添える男でなくてはいけない。ちゃんと、適度に女性のニーズに応えられる男でなくてはいけない。99%の男がそれをできていないから、それができてしまえばもう大丈夫。俺は、絶対に捨てられることはない。絶対に、女性から選ばれ続ける男として生き存える。安心して生きていくことができる。そう信じていた。

自分の経済価値を上げるために、関わりたくもない人間たちと交友を深めて。飲み会だか食事会だかホームパーティだかなんだか知らないが、誘われたものは絶対に断らずに、喜んで参加して。
顔も整形して。美容皮膚科にも通い詰めて。服装も髪型も、自分の好みは排除し「量産型で、絶対に外さないシルエット」を踏襲して。
女性目線で楽しい会話、を意識してあげて。
デートも、少なくとも2〜3回に一回は、女性目線での映え、女性目線での楽しい場所に繰り出して。でっかいネズミがうろつくテーマパークにも、インフィニティプール付きのホテルにも、適度な海外旅行にも。そのすべてが、何が面白いのか全くわからなくても、さも「心の底から楽しんでます」という顔を貼り付けて、演技して。

全ては、孤独にならないため。美しい妻がいて、気心知れた友人たちに囲まれて。南青山に住んで、子供二人には何不自由ない生活をさせて。経営する会社は自動運転で、毎月キャッシュが500万円入ってくる状態を作り上げて。毎日昼頃起きて、妻と食事を摂った後、でっかい犬を散歩させて。夕方、本を読み耽り。子供達が帰ってきたら一緒に夕食を摂り、たまに子供達の勉強を見てあげて。そんな日常を送りながら、月に一回は家族で旅行に行って。

そんな絵本のような生活を送るために。一分の隙もない、孤独など入り込む余地もない。そんな男になる、ただそれだけのために生きてきた。毎日毎日、一ミリも面白くない日々。絵本のような生活を想像しても、微塵もワクワクしない日々。ただ、怒りと恨みと寂しさだけが膨らんでいく日々。
当然、人間として壊れた。

孤独が人間を殺す。
我々は孤独に耐えられない。自分がこの世界に独りなのだと、誰も自分を理解してくれる人なんていないんだ、と。そんな寂しさを感じることに耐えられない。孤独、寂しさこそがこの世の絶望なのだ。我々はそう信じて疑わない。

ずっとこれを信じて生きてきた。だから、孤独にならないために、人に縋って、人に依存して生きてきた。構って構って、と犬っころのように尾を振って。

だから人を探す。つるんでくれる人を探す。どんな手を使ってでも、どれだけ時間と金を注ぎ込んででも。どれだけ身と心を削ろうとも、自分を受け入れてくれる人を探し続ける。独りになるぐらいなら死んだほうがマシ。独りになるのは死ぬよりも辛い。だから、自分の生々しい、ドス黒い悪魔のような本音に蓋をして偽りの仮面を被り、頬を引き攣らせながら無理やり笑みを浮かべて、今日も誰かと過ごす。

だからこれを実践したんだ。だから人に囲まれて生きてきたんだ。だが必死に人に囲まれようとすればするほど、孤独に追いやられて死にたくなった。
意味がわからなかった。世の中の教えを、世の中が提示するロールモデルを信じて疑わず必死に生きてきたというのに。なんという非道な仕打ち。
だが少し考えれば明確になった。必死に、人といようとするから孤独になったんだ。

私はどこで道を踏み間違えたのか。
答えは、生まれた時から。愛情に飢えた男女の元に産まれ堕ちてしまったから。子供が子供を育てようとした、そんな機能不全家庭に産まれ堕ちてしまったから。だから、産まれた時から孤独だったのだ。

そもそも孤独とはなんだろう。
孤独とは、「ドス黒い本音を理解されないこと」だ。奥底の、醜い人間としての純度100%の本音。純度100%の弱み。これを理解して受け入れられないこと、寄り添われないこと。これが孤独の正体だ。
言葉にするのは簡単。だが実践するのは困難の極み。本来、これは産み堕とされた家庭で担保されなければいけないものだ。だが、これが担保されている家庭など、日本中探しても1%もないだろうが。

我々は、3歳ごろから自我が芽生える。自我が芽生えるとはつまり、この世の信号を受け取るということ。運良く、糞を漏らしても耳を劈くほどの声で泣き喚いても、「よしよし」と受け入れられてきたとして。だが3歳ぐらいを超えると、世の中はもうそれを許してくれない。「周りのことを考えろ」「人に迷惑をかけるな」「相手を思いやれ」だのなんだの、耳障りの良い呪文を、大人たちは唱えてくる。大人たちの中でもとりわけ親という仮面をつけた大人たちが、躍起になって押し付けてくる。自分たちが曲解した「こうあるべき」を、子供のためとほざきながら押し付けてくる。

そうして、家庭で過ごしているだけで、我々は孤独に追いやられる。自分の「ドス黒い、悪魔のような本音」を、親たちから拒絶される。

愛されるためには、本音を押さえ込まねばならない。

これを、もう3〜4歳で我々は学ぶのだ。そして信じて疑わなくなる。
そうして、言葉にならない孤独感を抱える。その孤独感を解消するために、「友達をたくさん作りなさい」と大人たちが呪いをかける。友達100人できるかな、という北朝鮮顔負けの軍歌を、大声で歌わされる。

教室の片隅で、ポツンと一人で本を読んでいると、可哀想な子供と認定される。友達から「遊ぼう」と誘われないと、可哀想な子供と認定される。「ああ、僕は可哀想なんだ」と、思わされる。
そうして、人の輪に入らなければいけなくなる。人の輪に入るための必須条件は、「ドス黒い、悪魔のような本音」を封じ切ることだ。友達4人グループであれば、その4人の全体最適を目指さなければいけない。まあ実態は、全体最適といっても4人のうちのボス1人が放つ「こうあるべき」に合わせるだけなのだが。ともかく、自分の感情は押し殺さなくてはいけない。もちろん器用な、要領の良い強者は自分の感情を「小出し」にすることはできるが、100%を出し切ることはできない。親から抑圧されてきているから、「100%の悪魔のような本音」を、自分で認識できていないからだ。認識できてないものなど、出しようもない。

そうして、「ほどほどに、要領よく付き合う」ことを、我々は刷り込まれる。大体、小学校3年生ぐらいには、この国家洗脳は完成する。あとはもう、国家が敷いたレールの上を、息切れしながら走り切るだけだ。週5日、8時間働き。たまに仕事終わりに死ぬほど行きたくない飲み会に誘われ。土日は、恋愛して結婚しなさい、という呪いに冒されて、ああ行きたくないとため息をつきながらデートのために外に出掛け。

もう、自分が何を望んでいるのか、皆目わからなくなっている。大人たちのおかげで、小気味よい掛け合いスキルは磨かれ。大勢の人と関わり、その中でも「気の合う友達」「親友」と信じ込まされている人間とも、深い関わりと信じながら時折過ごすこともできる。

大丈夫。私には理解者がいるわ

大人たちが作り上げた脳の常識が、必死に私を説得してくる。でもなぜだろう。人と関われば関わるほど、友達や親友と関われば関わるほど、心に北風が吹くような感覚に襲われる。歳を重ねるごとに、その北風が強くなる。そして家に帰ったときに「ああ……」と深い溜息をついて、ベッドに倒れ込む自分がいる。
どれだけ関わっても。「友達」「親友」と信じている人間とどれだけ深く関わろうと頑張っても。互いを理解し合おうと躍起になっても。一緒に過ごせば過ごすほど、孤独感を感じる。虚しさに覆われて発狂しそうになる。「本当のわたしを、誰も理解してくれてない……」となる。
当たり前だ。「本当のわたし」を晒してないのだから。表に出てこないものなんて、誰も理解しようもない。

孤独の定義を再確認する。

孤独とは、「ドス黒い本音を理解されないこと」だ。奥底の、醜い人間としての純度100%の本音。純度100%の弱み。これを理解して受け入れられないこと、寄り添われないこと。これが孤独の正体だ。

親から呪われたままの脳で。親から呪われたままの心と身体で作り上げた人間関係というのは、この定義に相反するものだ。「ドス黒い本音を出してはならん」という大原則のもと、構築された人間たちとの網。その網の中で踠けば踠くほど、孤独感に押しつぶされていく。そして、孤独感を抹消したい、と度を超えて頑張る強者たちから首を吊っていく。

ではどうすればいいのか。
答えは、「ドス黒い本音を出していくこと」だ。そのためには、自分の悪魔のような、100%の本音を認識しなければならない。
認識するためには、親からの呪いを解かなくてはならない。あなたが幼児の頃から押さえ付けられてきた、純度100%の本音。これが受け入れられなかった恨み、怒り、哀しみ。そして、目の前に親がいながら孤独感を味わされた、その寂しさと絶望。それを書き出し、ぶつけなければいけない。

苦しくて吐いてしまうかもしれない。発狂して、精神が崩壊するかもしれない。
呪いを解くのは容易ではない。文字通り「呪い」であるから、ただ死ぬよりも恐ろしく、身を切り裂かれるほど辛いだろう。

親への怒りを書き出す。それをぶつけて受け取らせる。一つ、小さな成功体験を積む。
成功体験を積むと、思いもよらなかった、悪魔のような本音が溶岩のように湧いて出てくる。「あなたを殺したかった」というほどの怒り、本音が湧いて出てくるかもしれない。
そうして後から湧いて出てきた本音を、また親にぶつけて受け取らせる。親も可哀想だろう。親なりに必死に育ててきた我が子から、「殺したかった」と言われてしまうのだから。打ちのめされ、自殺してしまうかも、と心配になる程、「可哀想」という演技を親たちはするだろう。だが所詮演技だから、我々が全く気にする必要などないのだ。一切の妥協・一切の容赦をしてはならない。「悪魔のような本音」を、我々は認識して、出せるようにならなければいけないのだから。文字通り悪魔のごとく、親に全て出し切って、突きつけなければならない。

100%出し切った

そう確信できた時、もう呪いは解けているだろう。「親を殺してやりたい」という気持ちは、まるで遠い国の物語のように消えてしまうだろう。そうして、「本当に思っていることを伝えるのが怖い」と怯える自分から、少しずつ卒業していけるのだ。

ドス黒い本音を認識し、少しずつ出せる自分へと変わっていく。
すると、今まで構築してきた人間関係が、何の価値もないものであるという残酷な現実に気づいてしまう。99%の繋がりが、我々にとって意味のないものである、と感じる残酷な自分に気づく。人によっては、100%、意味のない繋がりだったと気づくだろう。
なぜなら、

孤独とは、「ドス黒い本音を理解されないこと」だ。奥底の、醜い人間としての純度100%の本音。純度100%の弱み。これを理解して受け入れられないこと、寄り添われないこと。これが孤独の正体だ。

こちらの定義に合致しない人間関係だから。本当の意味での孤独を解消してくれない人間たちだから。
ドス黒い本音を認識し始めると、「そもそも会う時間がもったいない」となる。
また、「会ってもいいかな」と思って会話していくと、絶望的なまでに噛み合わなくなる。ドス黒い本音が止まらずに出てしまうから、自分も相手も「うわ、居心地悪……」となり、金輪際会わなくなる。そうして綺麗さっぱり、あなたの周りから人間が消えていく。

我々の周りから、びっくりするぐらい人がいなくなる。というか、誰もいない・物理的に孤独になる。でもなぜだろうか、今まで感じたことのない安堵感に満たされる。人と関わろう関わろう、と頑張っていた頃の苦しさ、孤独感を、もう思い出せなくなっている。

仮に、人間関係が一人もない状態になっても。親とも親族とも親友とも、知人とも、100%繋がりが切れたとしても。「やばい、今倒れたら誰も助けてくれない」という状況に陥っても、恐るるに足らず。

人間は引き寄せ合う動物なのだ。
ドス黒い、純度100%の本音を発することができれば。それを認識して吸い寄せられるように、本物の理解者が現れる。
その理解者が本当の意味で、あなたを孤独から救い出してくれる。






以下の長編小説、企画出版希望です。
編集者や出版関係者でこちらの内容を本で出版したい、と思ってくださる方は、

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こちらまでご連絡ください。

第一弾:親殺しは13歳までに

あらすじ:
2006年。1日に1件以上、どこかの家庭で親族間殺人が起きている国、日本。そんな国で駿は物心ついた頃から群馬県の田舎で、両親の怒号が響き渡る、機能不全家庭で生まれ育つ。両親が離婚し、母親が義理の父親と再婚するも、駿は抑圧されて育ち、やがて精神が崩壊。幼馴染のミアから洗脳され、駿は自分を追い込んだ両親への、確かな殺意を醸成していく。
国内の機能不全家庭の割合は80%とも言われる。ありふれた家庭内に潜む狂気と殺意を描く。


第二弾:男という呪い

あらすじ:
年間2万体の自殺者の山が積み上がる国、日本。
想は、男尊女卑が肩で風を切って歩く群馬県の田舎町で生まれ育つ。
共感性のかけらもない親たちから「男らしくあれ」という呪いをかけられ、鬱病とパニック障害を発症。首を括る映像ばかりが脳裡に浮かぶ。
世界中を蝕む「男らしさ」という呪い。男という生物の醜さと生き辛さを描く。

第三弾:監獄

あらすじ:
21世紀半ば。第三次世界大戦を経て、日本は「人間の精神を数値化し、価値算定をする」大監獄社会を築き上げていた。6歳で人を殺し人間以下の烙印を押された大牙(たいが)は、獲物を狩る獲物として公安局刑事課に配属される。最愛の姉に支えられ、なんとか生きながらえていた大牙は、大監獄社会の陰謀に巻き込まれ、人として生きる場所を失っていく。
あるべき国家運営と尊厳の対立を描く、理想郷の臨界点。


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