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生きる喜びが消えた日

生きてるのか死んでるのか分からない

今日、ふとこの想いに駆られた。
7年間共に過ごした共同経営者に裏切られ、もうすぐ会社は倒産する。会社の負債4700万円をどうするのか、今、生臭い争いの最中にいる。私としては、共同経営者は7年間私を騙し続けてきた犬畜生であるから、相応の仕打ちを与えようと思っている。直近2ヶ月間、奴に対して「お前が人間としていかに終わっているか」を滔々と説き続けてきたら逃げ出してしまったが。だがこの資本市場、がんじがらめの信用チェーンの奴隷である我々は、もう債権者の追い立てから逃げることはできない。で、債権者は金のあるところから取り立てるしかないから、金だけは持っている共同経営者の口座を差し押さえて終わるだろう。奴には海外逃亡する度胸も馬力もないから、奴の人生が終わるのも時間の問題だ。

生物にとっての根本の生き苦しさである親。これをぶちのめした私には、良いのか悪いのか、もう守るものがない。守るものがないから、自分の感情100%で生きるだけ。金も名誉も地位も、社会的称賛を浴びるための何かも、もう何もない。この資本主義市場、ルッキズム帝国において、私は「生きる価値」が測定不能な存在、というより測定対象ですら無くなってしまったようだ。
守るものがない。守るのは、ありのままの自分。100%の、ドス黒い自分の本音。これだけ。だからあれだけ恐れていた、創業当初は雲の上の存在だと思っていた共同経営者が詐欺師であることにも気づけたし、人格ごと真っ向から否定できた。そしてぶちのめし、奴は逃げ出してしまった。

会社が無くなる。これでいよいよ、私の社会的名札が無くなる。「あなたの仕事は何ですか?」という、初対面の人間に確実に聞かれる質問に対して、その答えが無くなる。
今までずっと私を鬱に落とし込んできた、父親たちのような依存症者との関わり。これを丸ごと消す決断を、ようやくすることができた。お陰で今は、自分を苦しめるものがない。

いよいよ悩みがなくなった。私の周りから、私を苦しめてきた人間たち、邪悪な詐欺師たち、その全てが消え失せた。
悩みがない。人とのつながりもない。仕事もない。最近は適応障害の診断がでて、若干の抑鬱状態に突入している。気持ちが落ちている。
昼前に起きて、納豆ご飯か卵かけご飯を食べて寝る。意識が堕ちても堕ちなくても、とりあえず身体をベッドに預けて天井をただ見つめる。コンクリートの天井を見上げると、毎日その模様が変わっている。今日は憎たらしい、純粋な笑みを浮かべる赤ん坊の絵が浮かび上がっていた。
いつの間にか堕ちていて、夕方に目が覚める。辺りはオレンジ色の夕陽が差し込み、少し暗くなっている。そして何も考えることなく、2日前にスーパーで買った野菜やら何やらを煮込んで味噌汁にして飲む。で、素っ裸で窓際によたれかかりタバコを吸う。ただただ、そんな毎日を繰り返している。

あれ、と思った。
生きてるのか死んでるのか分からないな。

昔は、生きる事とは何かを成すことだった。あるいは、成すために鋭意努力しております、と世間にアピールすること。「普段何してんの?」と誰かに聞かれたら、「えーすごいね!」と言われるための何かをすること。それが生きることの定義。
だから何かを成さねばならない。このままだと、生きている価値がないと社会から言われてしまう。でも、身体が辛すぎて何もできない、もう一歩も動けない。ベッドから起き上がれない。その板挟みで、親共から、親の代理人共から植え付けられた呪いの奴隷であった俺は、死にたくて死にたくてしょうがなかった。

今はどうか。今も、生活自体はぶっちゃけ死にたがりの昔と何も変わらない。というか、昔よりもだいぶ酷くなっている。周りに人がいないし、人付き合いもないし、ずっと家の中で横になっているだけ。気が向いたらこうして文章を書くだけ。ただひたすら、資産が目減りしていくだけの生活。落伍者・人生の負け犬街道を時速200kmで突っ走っている。
でも、すごく楽なのだ。死にたい、という気持ちがない。昔のように、「死にたい」→「死ぬほど頑張って、本当にたま〜に良いことがあってアドレナリン爆発して、狂乱のエクスタシーを感じる」というような、感情のジェットコースターのような人生ではなくなってしまったから。だから、正直言うと今は生きている実感がない。生きていること、呼吸すること、この世界の一員であるのだ、という手触り感が全くない。
昔の自分であれば、今の自分を見た時に、「死ぬほどみっともない」男だと思っていたはず。惨めな、死んだほうがマシ、と思って絶望してしまうぐらいの男が今の自分。ただ不思議なことに、この世界に存在してないような、ゴーストであるような自分が今は好きなのだ。楽でしょうがない。この世界にいても良いのだ、俺は愛されているのだ、という安心感は微塵もないのだが。それでも、100億倍、今の生き方が好きだ。だって死にたいと思うほど、「死にたいほど苦しいから誰か助けて」となるほど追い詰められることがないから。もう、誰にも傷つけられないから。自分を本当の意味で大事にする、その生き方が仕上がって、環境を作り上げてしまったから。だから、生きてるのか死んでるのか分からない、今の自分が大好きだ。

大好きだけど
それでも、やはり眠れない夜がある。それがここ数日続いている。どれだけ日中、自分を甘やかしても、身体が寝つこうとしてくれない。だから3時ごろ、うんざりする気持ちで身体を起こす。そして安っぽい椅子に座り、網戸越しに真っ暗な外をぼんやりと見つめる。このまま孤独が永遠に続くのではないか、という絶望に持っていかれそうになる。油断するとまた、ああ、死にたい、という地獄に突き落とされそうだ。もう一生、自分はこのままなのかな。もう、人生で欲する安心感は得られずに、心の底からのパートナーにも出会えずに、このまま真っ暗な人生が続いていくのか。このままずっと、孤独で死んでいくのか。そんな鬱に飲まれそうになる。それが今は少し苦しい。苦しいし、寂しい。昔みたいに涙は出てこないけれど、このまま5階から飛び降りたいとかも思わないけど、発狂しそうな寂しさには飲まれる。

そんな時に限って、古い友人から連絡が来たりする。今日、もう2年近く会ってない友人から、会社宛に連絡があった。それに加えて、私のLINEにも連絡があった。すごい度胸だな、と思う。親ですら、連絡が途絶えた時にも会社に連絡してこなかったのに。その地元の古い友人は、躊躇なく会社に連絡して、社員に伝言で「折り返しが欲しい」とまで伝えてきたのだ。
寂しくて発狂しそうな今日この頃であるから、何というタイミングかと思った。昔だったら、ああ有り難やとなって速攻連絡していただろう。それで、大して心を通わせるわけでもないのに、お互いにお互いの孤独を一切理解し共感し合うわけでもないのに、雑談に興じて、何となくの暇を弄ぶだけの時間となっていただろう。それでお互い、俺たち友達だよな、という牽制をしあって、お互いに魂の震えない相槌と愛想笑いと、気遣いに塗れた疲れる会話の応酬を積み上げていたはず。

本当に申し訳ないんだけど。もう辛すぎるんだ。その友人は本当にいい奴で、善良に満ちていて、男としても筋肉と気力に満ち溢れている、この世界における適応者であるから。だから、自分と徹底的に対話し切ること、普通であればただ息苦しさが増していくだけの、自分の本当の孤独と向き合うこと。その絶望と、魂が震えるほどの快感を分かち合えない。社会人になった後も、何度もその友人とは会っているが、やっぱりそれを共有できなかった。自分の醜さを晒して、本当の孤独とは、を分かち合えない人間と過ごすのはやっぱり辛すぎる。ああ、本当に申し訳ないんだけど、すごく疲れた。やっぱり会わなきゃよかったな、と。多分今回もそうなる。それが怖いし、辛すぎる。だから、せっかく連絡してもらっておいて申し訳ないんだけど、そっとLINEは非表示にさせてもらった。
人間は、24時間365日、そして100年近いその年月。そのうんざりするほど退屈で孤独で仕方がない時間のその全てを、100%自分に注ぐべきなのだ。自分を喜ばす人、自分を満たしてくれる人とだけ関わるべきなのだ。見返りをくれない人に関わっている暇も気力もない。見返りをくれない人に関わる資格があるのは、その器が愛情と安心感で溢れてしまっている人間だけ。そうじゃないと、ただ新たな怒りと悲しみを生むだけだから。だから絶対に今の私は、私を満たしてくれる人以外とは会ってはいけないのだ。

これを書いている今、少し気持ちよくなっている。自分の身体の底から言葉を出すこと。自分を喜ばすための解を見出し、それを文章にしていくこと。つまり、自分と対話をしていくこと。人間にとって、こんなに気持ち良いことはない。
さっき冒頭で、「生きる喜びが消えた」と書いたが。生きてるのか死んでるのか分からない、と書いたが。これはやっぱり間違いかもしれない。
人生と向き合うこと、自分との対話をただただ続けていくこと。今日気づいたが、これが生きる喜びなのかもしれないな。







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第一弾:親殺しは13歳までに

あらすじ:
2006年。1日に1件以上、どこかの家庭で親族間殺人が起きている国、日本。そんな国で駿は物心ついた頃から群馬県の田舎で、両親の怒号が響き渡る、機能不全家庭で生まれ育つ。両親が離婚し、母親が義理の父親と再婚するも、駿は抑圧されて育ち、やがて精神が崩壊。幼馴染のミアから洗脳され、駿は自分を追い込んだ両親への、確かな殺意を醸成していく。
国内の機能不全家庭の割合は80%とも言われる。ありふれた家庭内に潜む狂気と殺意を描く。


第二弾:男という呪い

あらすじ:
年間2万体の自殺者の山が積み上がる国、日本。
想は、男尊女卑が肩で風を切って歩く群馬県の田舎町で生まれ育つ。
共感性のかけらもない親たちから「男らしくあれ」という呪いをかけられ、鬱病とパニック障害を発症。首を括る映像ばかりが脳裡に浮かぶ。
世界中を蝕む「男らしさ」という呪い。男という生物の醜さと生き辛さを描く。


第三弾:監獄

あらすじ:
21世紀半ば。第三次世界大戦を経て、日本は「人間の精神を数値化し、価値算定をする」大監獄社会を築き上げていた。6歳で人を殺し人間以下の烙印を押された大牙(たいが)は、獲物を狩る獲物として公安局刑事課に配属される。最愛の姉に支えられ、なんとか生きながらえていた大牙は、大監獄社会の陰謀に巻き込まれ、人として生きる場所を失っていく。
あるべき国家運営と尊厳の対立を描く、理想郷の臨界点。

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