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皆婚社会の再構築に反対します

4月初め、マスキュリズム左派にとって、とてつもなく衝撃的で残念な事件が発生しました。

おそらく日本初の「MGTOWインフルエンサー」となった、茂澄遙人氏のサイト及びTwitterアカウントの削除です。

「結婚を望まない」という選択をする、それ以上に大切なこと

私が今、彼のことについて語るのには、理由があります。

MGTOWという「生き方」自体は、5年くらい前に日本にも紹介され、じわじわと「インセル」に代わって男性達に広まっていったものです。

茂澄氏はその「MGTOW」を自称していた論客の一人でしたが、私ははっきり言って彼はそれ以上の存在であると思います。彼はさらに、他の人がその「選択」をすることを全面的に後押ししていました。

これをちゃんとやっている人は、自称MGTOWの中でも本当に数えるほどしかいません。一応私もいくつかの記事で示唆してきましたが、ここまできっぱりと言ってしまっている彼にはまだまだ及ばないと今でも思います。

日本では2010年代初頭に流行した「草食男子」との関係も深いため、MGTOWに対して批判的な言論は少ないですが、海外ではあえてインセルとの区別をつけずに批判・誹謗する言論も少なくありません。カナダではある政治家のSNSに「MGTOW」というタグがついていたことで大バッシングに発展した例もありました(ちなみに本人や秘書がつけたものではないようです)。

特にRedditの顛末はこの流れを加速させたところがあります。インセルのSubreddit(コミュニティ)は2017年11月にBANされましたが、その残党の一部がMGTOWのSubredditに流入して主張の過激化を招き、こちらもやはり暴力と憎悪を助長するとして2021年8月に完全にBANされました。

もちろん海外にも、MGTOWに対して(肯定的ではないものの)良心的な報道をしているものもあります。これはとあるスペイン語圏メディアが報じたものを(うろ覚えで)翻訳したものです。

彼らが憎悪を向けるのは「女性」だけではない。その「女性」を愛そうとする男性、愛している男性、難なく会話できる男性にも、同様の憎悪を向けている。

そう、旧来の「恋愛観・結婚観・夫婦観」まで含めて敵視していることこそが、MGTOWのMGTOWである所以であると私は思います。「Their own way from women」である以前に「Their own way from traditionalism」なのです。その意味ではMGTOWはLGBTQ+のAromanticと変わらないという指摘もあります。

女がどんなに強欲で他責的な生き物であったと仮定しても、そのような在り方を許す男たちの責任を免れさせることはできません。旧来の「恋愛観・結婚観・夫婦観」とて、ある程度はその在り方を許さなければならない状況にありました。

ですから、旧来の「恋愛観・結婚観・夫婦観」に乗っかろうとする男性をこれ以上増やさないように呼びかけることも、本当はMGTOWにとって大切なことだったのです。

「結婚」という社会システムそのものの病理

彼が「70年代生まれの団塊ジュニアロスジェネ世代」を名乗っていたこともポイントです。

この記事で述べたように、この世代の男性は「キモくて金のないオッサン論」・「インセル的女をあてがえ論」を主導してきましたが、女性たちにも「一夫一婦の皆婚規範が徹底されていたほうがましだった」と考えている層が多いと思われます。

近年は、政府がここ数年間で一応のロスジェネ世代支援をやってきたこともあり、この世代の男性にも「結婚できるほどには」財力をつけられた人が増えてきています。そういう男性たちに「女性があてがわれる」と、どうなるでしょうか。

そう、「フェミ騎士」と化すのです。

夫側は性経験が全く無く、妻側は自由恋愛の恩恵で性経験が豊富なのであれば、その性経験をすべて「被害」として捉えてしまえば、夫をコロッと感化させることができるでしょう。「私達は買われた」も「グラデーションレイプ」も、そのためのレトリックという面があります。

ですから、「フェミ騎士」について一般的に言われている「性欲にかまけたおっさんがフェミ騎士と化す」も私は信じていません。むしろ「女があてがわれたおっさんがフェミ騎士と化す」のです。

男が結婚しようとする動機は、まず第一に「自分の子供を作る」ことです。「性欲を満たす」ために結婚するのではありません。なぜならば、子供は現状女性の妊娠を介してしか作ることはできないからです。代理出産の技術も一部フェミニスト活動家の抗議によって潰されてしまいました。これは私の主張してきた「フェミニズムのただしさは政治的ただしさではなく、共同体の子産み要員であることが最も保証している」ということと同義です。

まだまだ闇雲に女があてがわれれば良い、と考えている未婚男性はこのロスジェネ世代には少なくないでしょう。だからこそ、この世代の「既婚者」がこれ以上増えるのは危険であると私は考えます。

しかし私もロスジェネの一回り下の世代です。自分でこのような説得をロスジェネ男性にするのは極めて難しい立場です。しかし茂澄氏ならやってくれる、そういった希望がありました。

その灯を、絶やしてはいけない

「反フェミニズム」の中でも、このような立場から批判する勢力はまだまだ盤石ではありません。ちょっとしたパワーバランスの変化で一気に潰されるリスクは、常にあります。だからこそ、この理論・言説は誰かが語り継ぎ、絶やさないようにしなければならないのです。

上野千鶴子の入籍スクープ然り、最近の白饅頭日誌の内容然り、世間は再び結婚奨励主義に傾きつつあります。非婚主義者はここで踏ん張らなければ、「不本意」であろうとなかろうと、旧来の「恋愛観・結婚観・夫婦観」に則らなかった人達──それは当然、性別を問わないでしょう──への風当りは、どんどん強まっていくだけです。

私は「皆婚社会の再構築に反対する」というスタンスを崩すつもりはありません。それで解決しない問題があることを知っているからです。だからまずは、こうした旧来の観念への回帰とは別の選択肢が必要なのです。

「選択肢を増やすこと」に根本から対抗できる手段は、「選択肢を増やすこと」だけです。女性の「選択肢が増えた」なら、伝統主義はそれを上回るインセンティブを女性に対して提示しなければなりません。それが加速すればするほど、ジェンダーロールも「女性に都合いいように」ゆがめられていきます。その「ゆがめられた性役割」に迎合してまで、そこへ回帰する義理がどうして我々にあるのでしょうか?

もう一度言いますが、旧来の「恋愛観・結婚観・夫婦観」こそ敵視できなければ、意味がありません。あなたがその復古を願うのであれば、フェミニズム寄りだろうとアンチフェミ寄りだろうと、私の敵です。