二次元オタク文化を敵視する草の根女性が40〜50代に多いことに関する一考察
はじめに一つ断りを入れておきます。この記事は「たわわ」騒動が終結した頃に執筆を始めたものですが、その後「AV新法・AV禁止法」が問題になり、公開の機会を逸してしまったものです。なお、「AV新法・AV禁止法」に関しても別個記事にするつもりですが(現在はこちらの記事も公開しています)、そこで「今回の議論」も大いに関わってきます。
少し前、女性の性的表象について、問題視する女性は40代に最も多く、逆にそれより下の世代の女性では、問題視するのは圧倒的少数派だということが話題になりました。
これについてオタク界隈・表現の自由運動界隈では「意外性が全くない」「オタク差別が一番ひどかった世代」「これからは『更年期のしわわ』とでも呼ぼうか」などという声が相次ぎました。
このような議論は数年前からあったもので、すもも氏の『萌えイラストを公的機関が採用するとこじれる理由 ~自主企画インターネット調査を踏まえて~』(削除済)などが代表的です。
また、「表現の自由戦士」の主要論客となったヒトシンカ氏は次のように述べています。
しかし私は、そんな単純な話で括れるものではないと思います。この世代の女性には、その世代特有の「特性」があり、それが複合的にアイデンティティを形成しているというのが私の見解です。今回はそういった世代の「草の根フェミ」について掘り下げていきたいと思います。
「バブルの栄光」をぎりぎり手にできなかった世代
まず、話は1985年まで遡ります。そう、男女雇用機会均等法の成立した年です。この年を境に、日本の性別役割分業の解体が始まるわけですが、この時期、実際に起きたことといえば、「女性のライフプランの二極化」です。すなわち、当時の新成人女性(現在だと50〜60代になる)はほとんどが社会進出を目指したわけではなく、均等法施行と同時に行われた主婦の年金権確立などとも相まって、従来の家族観のもとで生きることを選ぶ女性も少なくなかったわけです。
ここで注意しておきたいのは、二極化したのはあくまでも女性のライフプランだということです。現実にはその実現に成功したか失敗したかでも分かれるので、実際に観測されるライフスタイルは四極化していると考えられます(これも「草の根フェミ」を考える上で重要なポイントになってきます)。
そして、それとほぼ同時にやってきたのが、バブル景気・バブル文化の隆盛でした。
ところが、このバブル景気は、今の40代後半が成人する頃に崩壊。この世代の男性たちは、「妻子を養う甲斐性を持つ」ことが極めて難しくなります。しかし、だからといって女性たちに「自立して自分で稼ぐ」という意識の変化が起きたわけではありません。結果、崩壊直後の時期(といってもだいたい10年くらい続く)では、今とさえ比べ物にならないほどの「男への高望み」が発生することになります。この世代は「団塊ジュニア」とも呼ばれ、他世代から第3次ベビーブームを牽引することを期待されていましたが、これでは「儚くも実現しなかった」のは無理もありません。
その「女による要件」を満たした男性は、彼女らと同年代ではほんの一握りに過ぎませんでした。当然、80年代〜バブル的な男女関係をそのまま履行できた女性も限られ、そこを目指すには厳しい「性的魅力の競争」を強いられてきたものと思われます。一方で、バブルが崩壊する前に社会人となった男性の財力はほぼ失われずに残りました。それでも、バブル女性の選別でふるい落とされた男性は多かったわけです。その結果、歳の離れた男女間の取引関係、すなわち「ブルセラ・援助交際」ブームに繋がっていったと考えられます。
このあたりの話を「当時の女子」の視点からまとめられた記事です。ミソジニストながら参考にさせていただきました。
ロスジェネ男性の「代替手段」としての二次元文化の発達
一方で90年代は、ゲーム機やパソコンの性能が飛躍的に向上し、また一般家庭への普及も急速に進んでいった時代です。そんな中で「恋愛ゲーム」、あるいは「その延長で性的なことができる成人向けゲーム」も発達していきました。これが今の40代男性たちを取り込み、その消費に支えられてアニメ化などもなされ、「萌え文化・二次元文化」のルーツの一つとなっています。
このことについて上野千鶴子氏が「マスターベーションしながら死んでいただければいいと思います」と言ったことは有名な話かと思います。この上野氏の発言は、今でこそマッキノンやドウォーキンの発言と並べて語られますが、私は正直言ってそのような風潮に違和感を覚えます。というのも、確か(昔図書館で借りた本のうろ覚えですが)こういう文脈で語られていたからです。
確かに「蔑視」的ではありますが、少なくともマッキノンやドウォーキンのような「憎悪」を煽るものではありませんし、当時から反フェミニズムの主流は「少子化問題」を盾にしてフェミニズムを批判していたことを窺わせます。
ではなぜ「その下の世代」では、こうした意識は失われたのか?
一方で、20代・30代女性では、オタク文化・萌え文化を問題視する傾向も少なくなってきます。これはその後に出てきた「コギャル文化」を謳歌した世代であったからと考えられます。
もっとも初期では「ブルセラ・援助交際ブーム」と重なっていたこともあったようですが、さらに少し下の世代(児童買春・ポルノ禁止法成立後)ではそのようなこともなくなり、「比較的安全に」、「自分たちの『女らしさ』の文化を」愉しめるようになったと思われます。
その「コギャル文化」も2010年頃にファッションとしては完全に廃れますが、この時期はちょうど「空気系・ハーレム系アニメ」ブームとも重なり、結果的に萌え文化がその表象を引き継いだわけです。
とはいえ、これは元々から「現在の40〜50代女性の物語」ではない。その下の世代にもたらされた恩恵に対する嫉妬の側面は、完全に0とは言えないでしょう。
今度は「男をあてがえ」の時代がやってくる?!
まあまとめますと、彼女らも「ロスジェネ」、つまり昭和期〜バブル期の結婚観・家族観を維持できなくなった直後に成人〜婚姻適齢期を迎えたからこそ出てきたわけですね。男で言うと「キモくて金のないオッサン」の世代、「女をあてがえ論」を主導した世代そのものです。大百科掲示板(ただし「マスキュリズム」とは別スレです)でも、「キチフェミって実は女版インセルなんじゃないか」と言われていましたが、まさにその通りといえます。
ただこれは言い換えると、「男をあてがえ論」の変形とも解釈できます。小山晃弘もとい狂人note氏は「皆婚社会が実現したとき、あてがわれるのは女でも男でもない、男女のパートナーシップだ」と述べましたが、これは重要な指摘です。
そう、「女をあてがえ論」の最も重大なリスクは、その論理をそっくりそのままフェミ側に利用されるということであったのです。彼女らが婚姻適齢期を大きく過ぎてしまったことは、不幸中の幸いかもしれません…がしかし。
上野千鶴子氏がくたばれば、日本におけるフェミニズムの首領たる論客は、確実に「この世代」となるでしょう。
凍結前の青識亜論氏は、このことに関連する重大な指摘をしていました。
上野氏を諸悪の根源とみなすアンチフェミニスト論客は多いですが、「新世代のフェミニスト」はその感情をも大いに利用すると思われます。ちょうどスターリン批判をしたフルシチョフのように。
そうした変化を迎え撃てるか、というのは今後の反フェミニズムにおける最も大きな議論の焦点になります。
さて、その後に「AV新法・AV禁止法」騒動が起こるわけですが、それはまさにこの推測の「答え合わせ」だったように思います。
次回では(公開時期未定・下手したら数年後かもしれない)、この記事に沿って騒動について考察していきたいと思います。
…と言いたい所ですが、以下の記事って元々それを要約したようなものなんですよ。だからそのまま公開すると議論が重複することになってしまいます。
他にも書きかけの記事はまだまだありますので、多分こちらのほうが先に公開されると思います。