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総書記長グエン・フー・チョン氏の国葬


国民の深い敬意〜ベトナムの発展と国際社会への功績〜日本との関係強化



 2024年7月19日に逝去したグエン・フー・チョン総書記長の国葬が、7月25日から26日にかけてハノイ市国家葬儀場で行われました。



 彼は、ベトナム共産党の最高指導者として、その生涯を通じて国の発展と安定に尽力し、多くの国民から深い敬意と信頼を集めました。

 その死は国内外に大きな影響を与え、特に日本との関係強化や国内の少数民族の生活改善、経済発展における彼の功績は広く認識されています。

1.国葬の様子と国民の反応


 国葬初日の25日、午前7時からハノイ市の国家葬儀場で告別式が執り行われました。この儀式には、ベトナム全土から多くの国民が参列し、総書記長に対する感謝と敬意を表すために集まりました。


 参列者の中には、老若男女を問わず様々な背景を持つ人々が含まれており、彼の死は多くの人々に深い哀悼の意をもたらしました。

    参列者たちは、国家のために尽力した書記長の貢献を思い起こし、その功績に対する敬意を表すとともに、彼の死を深く悼みました。

 告別式は、厳粛かつ荘厳な雰囲気の中で行われ、総書記長の生涯と業績が称えられました。参列者たちは、一人一人が静かに黙祷を捧げ、彼の魂が安らかに眠ることを祈りました。

 その後、午後には総書記長の棺が葬儀場から埋葬されるNghĩa trang Mai Dịchギアチャンマイジィック墓地へ、運ばれるため、ハノイ市内の道路沿いには、多くの市民、全国から駆けつけた国民がすべての通りを埋め尽くしました。また、その光景がSNSやインターネットで中継や報道されていました。



 この日、コンクリートの沿道の気温は42度にも達する猛暑となり、炎天下での長時間の待機は身体に負担をかけるものでした。

 しかし、それでも多くの人々が道の両側に並び、熱中症の危険を顧みずに、書記長に対する深い敬意と感謝の意を示しました。

 熱中症の危険を顧みずに集まった多くの人々は、総書記長に最後の別れを告げました。

 午後からの14時から15時にかけての棺の運ばれるコンクリートの沿道では、暑さは42度にもなりました。



 ある女性は、熱中症の危険の中、命賭けでチョン総書記長のお棺が運ばれる光景の動画を手にしているスマートフォンで撮影。お見送りの感謝のお祈りを泣きながら遂げた直後に、その場に倒れ込み見ず知らずの周りの人たちと警察官が必死の回復を試みました。



 また、ある女性は熱中症に倒れかけそうになりながら、チョン総書記長が生前に大好きだったグラジオラスの花束を、大事に抱えて最後の棺かわ運ばれるお見送りに通り沿いの人混みの中にいました。



 周りにいた人たちは、ある人はその女性を抱あげながら人混みを必死でかき分けて進む。棺が運ばれる通りの最前列へ連れて行ってあげないとと。ある人はうちわであおいでその女性を労り、ある人は無償でお水をあげて支えようとする。

 見ず知らずの人たちが、その一人の女性を助けてあげる光景も悲しみと感謝を感じさせる命賭けの行動もチョン総書記長がいかに慕われ、感謝されていた人物であったかを心に焼き付けるものでした。

 この光景は、彼が国民に対して抱いていた深い愛情と、国民からの揺るぎない信頼を象徴するものでした。



 チョン総書記長は気さく方でたくさんの国民から慕われ愛されていて、ベトナムの若者たちは"チョンおじいさん"と呼んでいるそうです。

 ハノイ市の他にも、ホーチミン市1区の統一会堂とチョン総書記長の故郷であるハノイ市ドンアイン郡ドンホイ村でも葬儀が行われました。ホーチミン市では、訪れた国民が多かったため、受付時間が午後11時まで延長されました。

 沿道に集まった市民たちは、静かに手を合わせたり、花を手向けたりしながら、書記長の棺が通過するのを見守りました。

 多くの人々が、涙を浮かべながら彼に敬礼する人々の姿も見られ、彼が国民に与えた深い影響を強く感じさせるものでした。

 この光景は、彼が国民からどれだけの愛と尊敬を受けていたかを物語っています。

 印象的だったのは、家族連れや若者たちの姿です。多くの若者が、この歴史的な瞬間を見届けるために集まり、書記長の業績に対する感謝の意を表しました。

 彼らは、チョン総書記長が残した遺産と教訓を引き継ぎ、未来への責任を果たしていく決意を新たにしていたと思います。

 また、高齢者たちも多く参列し、長年の記憶に残る彼のリーダーシップを偲びました。

 ハノイ市内の主要な通りだけでなく、各地の公共スペースでも大きなスクリーンが設置され、告別式や棺の移送の様子がライブ中継されました。

 現場に来ることができなかった多くの国民も、テレビやオンラインを通じてこの歴史的な出来事を目の当たりにしました。この国葬は、全国的な出来事として、多くの国民が一体感を感じる機会となりました。




 Nghĩa trang Mai Dịchギアチャンマイジィック墓地での埋葬式にはトー・ラム国家主席、ファム・ミン・チン首相、チャン・タイン・マン国会議長をはじめ、外国の友人、党と国家の元指導者、各機関、段階、地方の代表らが参列しました。



 党と国家の指導者、およびチョン総書記長の遺族の立ち合いで棺ひつぎを地中に葬ほうむる儀式が始まりました。




 埋葬後、墓所は花輪で覆われています。チョン書記長の遺族や弔問者は1分間の黙祷を捧げました。



 埋葬式後、葬儀実行委員会委員長を務めるルオン・クオン政治局員・書記局常務はチョン総書記長の弔問式、追悼式、埋葬式に参列した党と国家の指導者、外国の指導者と代表団、同胞、軍隊、知識人、聖職者、国際組織の代表、外国の友人らに感謝の言葉を述べました。

2.日本との関係強化


 グエン・フー・チョン総書記長は、ベトナムと日本の関係を強化するために多大な貢献をしました。


 日本はベトナムにとって重要な経済パートナーであり、両国の関係は多岐にわたる分野で深まっています。チョン総書記長のリーダーシップの下、両国は戦略的パートナーシップを強化し、特に経済協力と技術移転の分野で顕著な成果を上げました。

 日本からの支援は、ベトナムのインフラ整備や産業の近代化に寄与し、これによりベトナムの経済発展が促進されました。

 特に、日本からのODA(政府開発援助)は、道路や橋梁、港湾などのインフラプロジェクトを支援し、ベトナムの物流と経済活動を活性化させました。また、両国は環境保護や防災分野でも協力を進めており、持続可能な発展を目指しています。

 日本との協力は経済分野にとどまらず、教育や文化交流の面でも深まっています。多くのベトナムの若者が日本で学び、働き日本の労働人口の減少を支えています。

   その知識と技術を祖国の発展に役立ようとしています。

 また、両国の文化交流プログラムを通じて、相互理解が深まり、より緊密な関係が築かれています。

 チョン総書記長は、これらの交流を通じて両国の友好関係をさらに強固なものとし、地域の安定と発展に寄与することを目指しました。

3.ベトナム経済の急速な発展


 チョン総書記長の経済政策は、ベトナムの急速な発展を支える重要な柱となりました。彼の指導の下、ベトナムは多くの経済改革を実施し、外国投資の誘致や輸出拡大を進めました。

 この結果、ベトナム経済は急速に成長し、貧困率の低下と生活水準の向上が実現しました。特に製造業の発展は、ベトナムをアジアの新興経済国としての地位を確立させました。

 日本との経済協力もこれに寄与し、多くの日本企業がベトナムに進出し、雇用創出と技術移転が進みました。

4.少数民族の生活改善


 チョン総書記長の下で実施された経済改革と社会政策は、ベトナムの少数民族の生活改善にも大きく貢献しました。彼の指導のもと、少数民族地域への経済支援と教育機会の拡大が図られ、これにより貧困層の生活水準が向上しました。



 特に、農村地域のインフラ整備や教育の普及は、地域の経済活性化と社会的な平等の促進に重要な役割を果たしました。

 私も北部の山岳地帯の少数民族の生活の向上をこの12年間で目の当たりに実感してきました。

 少数民族のコミュニティに対する支援は、国家の統一と社会の安定に寄与し、国民の間に公平性と共生の意識を醸成しました。

 ベトナムは多様性を尊重しつつ、社会全体の発展を目指す国家としての方向性を強化しました。

5.「バンブー外交」と国際的地位の向上


 チョン総書記長は、「バンブー外交」という独自の外交理念を提唱し、国際社会におけるベトナムの地位を大きく向上させました。この外交方針は、竹のようにしなやかでありながら強靭な特性を持ち、国際関係において柔軟かつ現実的なアプローチを取ることを象徴しています。


 彼の活躍の下、ベトナムは中国、アメリカ、ロシアなどの主要国との関係を強化し、特に首脳会談を通じて国際的な信頼を築きました。

 この牽引により、ベトナムは国際社会において信頼性と影響力を高め、地域の安定と発展に貢献する重要な役割を果たす国となりました。

 特に、2019年にハノイで行われた米朝首脳会談は、ベトナムが国際的な問題解決の場としての地位を確立する一助となり、私の記憶にも鮮明に焼き付いています。

6.反腐敗運動「燃える炉」


 チャン総書記長のもう一つの重要な功績は、反腐敗運動「燃える炉」です。彼はこの運動を通じて党内の不正行為を厳しく取り締まり、汚職に対する厳格な姿勢を示しました。



 この取り組みは、ベトナム国内の政治的安定を確保し、国民からの支持を集めることに成功しました。「燃える炉」の取り組みは、党内の透明性と責任性を高め、国民の信頼を築く重要な手段となりました。

最後に


 グエン・フー・チョン総書記長の死は、ベトナムにとって大きな損失です。しかし、彼の遺産として残された功績は、今後もベトナムの発展と安定に寄与し続けるでしょう。



 チョン総書記長の「バンブー外交」と反腐敗運動「燃える炉」は、ベトナムの未来に向けた重要な指針となり、国民の心に長く刻またと感じています。国葬での国民の深い敬意と感謝は、彼が残した影響の大きさを物語っています。



 ベトナムと日本の友好関係もまた、チョン総書記長の指導の下で強化され、今後も両国の協力がさらに深化することが期待されています。

 彼の外交手腕と戦略的ビジョンは、ベトナムを新たな高みに導き、国際社会におけるその地位を確固たるものとしました。

 今後も、彼の遺産はベトナムの指導者たちによって受け継がれ、国のさらなる発展に貢献していくことを心より願って居ります。



 チョン総書記長に心から謹んで敬意と感謝を込めて、このnoteに書かせていただきました。心よりチョン総書記長のご冥福をお祈りし、ご家族への哀悼の意を捧げます。


 2024年7月26日
       アイアジアグループ
           東城 敬貴



ウィキペディアWikipedia
グエン・フー・チョン(阮 富仲、ベトナム語:Nguyễn Phú Trọng / 阮富仲、1944年4月14日 - 2024年7月19日)は、ベトナムの政治家、2011年から2024年まで、ベトナム共産党中央執行委員会書記長(同国の最高指導者)を務めた。


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