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総書記グエン・フー・チョン氏の生涯、経歴、功績

 ベトナムの政治家であり、長きにわたり国家の重要な役割を担ってきた1944年生まれのグエン・フー・チョン総書記。

 病気を患った後、党、国家、そして一流の教授や医師、医療専門家たちの尽力にもかかわらず、今日、2024年7月19日13時38分、中央軍事病院108で亡くなりました。

 享年80歳でした。

今日の午後、ベトナム国民は悲しみに包まれました。

 グエン・フー・チョン氏の死去はベトナム共産党によって発表され、国葬が行われる予定です。グエン・フー・チョン氏の生涯、経歴、そして功績について、日本人としての視点から書いて心よりご冥福をお祈りいたします。

生涯と初期の経歴

 グエン・フー・チョン氏は1944年4月14日に、ハノイ市ドンアイン郡のライダー村で生まれました。彼は貧しい農家の家庭で育ち、家族は4人兄弟の末っ子として彼を見守りました。

 幼少期から学業に励み、1957年から1963年までハノイ市ロンビエン区のグエン・ギア・ティエウ中学校および高校で学びました。その後、1963年にハノイ大学文学部に入学し、文学士号を取得しました。

 彼の学歴はその後も続き、1973年8月には政治経済学の研究生として、グエン・アイ・クォック学校(現在のホーチミン国家政治学院)で学びました。

 さらに1981年9月から1983年8月まで、ソビエト連邦に派遣され、ソビエト連邦共産党中央委員会社会科学アカデミーで歴史科学の准博士号を取得しました。

 これらの学歴は、彼の後の政治キャリアに大きな影響を与えました。

政治経歴の始まり

 グエン・フー・チョン氏は1967年12月19日にベトナム労働党(後のベトナム共産党)に入党しました。

 彼は学習雑誌(後の共産主義雑誌)で勤務し、その後1983年にソビエト連邦から帰国し、共産主義雑誌の党構築部門で働き続けました。

 1983年10月には副部長、1987年9月には部長、1989年3月には編集委員、1990年5月には副編集長、1991年8月には編集長に昇進しました。

 1994年1月の党全国代表会議で彼は党中央委員会に選出され、1997年12月には政治局員に選出されました。

 2000年1月にはハノイ市党委員会書記に就任し、党の理論研究を担当しました。彼の政治キャリアはここから急速に発展していきました。

重要な役割と功績

 グエン・フー・チョン氏は、2006年から2011年までベトナム社会主義共和国の第9代国会議長を務め、2018年から2021年まで第10代国家主席を兼務しました。

 彼は2011年の第11回党大会で書記長に選出され、2016年の第12回党大会でも再選されました。

 彼の指導期間中、ベトナムは経済成長と社会の安定を達成しました。

 特に注目すべきは、彼が主導した「炉の火を灯すキャンペーン」として知られる大規模な反汚職キャンペーンです。

 このキャンペーンは2012年の党投票で正式に始まり、彼は政府の汚職防止の権限を党の委員会に移管することに成功しました。

 多くの高官が調査、逮捕、または職務を辞任する結果となり、ベトナムの政治に大きな影響を与えました。

汚職防止の取り組み

 グエン・フー・チョン氏の反汚職キャンペーンは、彼の最も重要な功績の一つとされています。このキャンペーンは2013年に正式に開始され、数千人の高官が調査、逮捕、または職務を辞任しました。

 その中には、11人の政治局員が汚職事件に関与していたことが発覚し、1人はディン・ラ・タン氏が逮捕され、1人が解任され、2人が警告を受け、7人が辞任を余儀なくされました。

 このキャンペーンは、ベトナム共産党の内部を浄化し、党の信頼性を高めるための重要な取り組みでした。彼のリーダーシップの下で、ベトナムは国際的な汚職防止ランキングでの大きな評価を受けています。

国際的な影響力

 グエン・フー・チョン氏はまた、国際的な舞台でも重要な役割を果たしました。2023年9月には、アメリカのジョー・バイデン大統領がベトナムを訪問し、ベトナム・アメリカの戦略的パートナーシップを包括的な戦略的パートナーシップに引き上げることに同意しました。

 これを機に、米国はベトナムと最も高い外交関係を持つ第5の国となりました。

 この出来事は、ベトナム戦争の際の敵国であったベトナムとアメリカが痛ましい過去を乗り越え、多くの分野で協力するようになった大きな歴史的変遷、重要な外交イベントとなりました。

グエン・フー・チョン氏と日本との関わり

 グエン・フー・チョン氏は日本との関係強化にも尽力しました。彼の指導の下、ベトナムと日本の二国間関係は経済的、政治的、文化的に深化しました。

経済協力

 ベトナムと日本は、長年にわたり経済協力を強化してきました。日本はベトナムにとって最大の援助国の一つであり、インフラ整備や技術移転など多くの分野で支援を行っています。

 グエン・フー・チョン氏の指導の下で、両国の貿易関係も飛躍的に成長し、日本企業のベトナム進出が加速しました。これにより、ベトナムの経済発展と雇用創出が促進されました。

政治・外交関係

 政治・外交面でも、グエン・フー・チョン氏は日本との関係を強化しました。彼の訪日期間中には、両国間の戦略的パートナーシップの深化が図られ、地域の平和と安定に向けた協力が確認されました。

 特に、2018年に行われた安倍晋三首相との会談では、経済協力だけでなく、防衛・安全保障分野での協力強化も話し合われました。

文化交流

 文化交流も重要な分野として位置づけられました。両国の文化交流プログラムや人材交流が活発に行われ、相互理解が深まりました。

 特に、ベトナムにおける日本語教育の普及や日本文化の紹介イベントが開催され、ベトナム人と日本人の友好関係が一層強化されました。

健康状態と晩年

 グエン・フー・チョン氏の健康状態は、彼の政治キャリアの後半において大きな関心事となりました。

 2018年、彼は国家主席を兼務していた際に、自身の限られた能力と高齢について言及し、2019年4月14日には、キエンザン省での公式訪問中に脳卒中の疑いが報じられました。

 その後、ベトナム外務省のスポークスマンであるレ・ティ・トゥ・ハン氏が「過酷な激務が彼の健康に影響を与えた」と説明しました。

 2021年2月、彼が前例のない第3期の総書記に再選された際には、彼自身が健康状態の悪化と高齢を理由に辞任を望んでいたと語りました。

 2019年10月には、彼は「今年75歳で、今も患者である」と述べました。

 2024年初めには、彼は2週間にわたり姿を見せず、重要な外交イベントを欠席しました。その際、彼の健康状態に関する憶測が広まりました。

総書記としての遺産

 グエン・フー・チョン氏は、ベトナムの政治、経済、社会に多大な影響を与えました。彼のリーダーシップの下で、ベトナムは汚職防止、経済成長、国際関係の強化を達成しました。彼の死去は、ベトナムだけでなく、国際社会においても大きな喪失です。

 彼の遺産は、彼が生涯を通じて取り組んだ反汚職キャンペーンや、ベトナムとアメリカ、日本などの国際関係強化に見ることができます。彼の努力により、ベトナムはより透明で信頼性の高い国家へと進化してきていることは国際社会から大きな注目を浴び続けています。

 私も特に注目してきた「炉の火を灯すキャンペーン」となりました。グエン・フー・チョン氏の死後も、その影響は長く続くことでしょう。

まとめ

総書記グエン・フー・チョン氏の生涯、経歴、功績について詳述しました。

 グエン・フー・チョン氏はベトナムの政治史において重要な役割を果たし、汚職防止や国際関係の強化に尽力しました。

 また、日本との関係強化にも大きな貢献をしました。グエン・フー・チョン氏の死去は大きな喪失です。

 その遺産はベトナムの未来に大きな影響を与え続けることでしょう。彼の功績を称え、その生涯に敬意を表し心よりご冥福をお祈りいたします。


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