最近の記事

20240620

NARUTOのジェンダー観に思うところがありすぎて全然集中できない まだ中忍試験のところだけど、主にサクラという人物の描き方やその他女性キャラへの扱いがひっっどいという話です。 サクラというキャラクターはいまのところ、ずっと一緒に行動してるナルトとサスケが身を削って戦ってる時にも全然がんばらないし、口を開いたと思ったらサスケへの恋愛感情しか喋らせてもらえないし、「年頃の女は修行よりも恋愛ばっかり」とカカシに言われることで初めて物語における役割を与えられる始末で、努力、友情、

    • 20240615

      話す時、笑いがおこる=解決になるのが歯がゆい けど、人といる時くらい笑顔でいたいの気持ちもあるし、自分も人もピリつかせるのもなー いや笑いがおきない=ピリつくなわけなくない?無言なだけで簡単に気まずさを感じすぎだよ 他者という宇宙への想像力を持ちすぎると、内面化された人からの視線に突き刺されてしまう

      • 20240611

        幸せなのって今だけかぁ😂とか言いだしそうになったら、いまやってることは楽しくするためにやってるんだということをおもいだそう

        • 20240608

          My body is not mine/Aurora "I built my walls so it's safe to hide And the people I love I left behind They see too much when they look in my eyes" ↑ほんとにそれなーーーー 英語圏で育たないと拾えないであろうニュアンスが惜しいけど、直訳「彼らは私の目を見る時、あまりに多くを見る」だけでも首がもげるほど共感できちゃう 誕生するとっ

          20240607

          「誰かの主観的な脅威になるという理由だけで、生物学という事実を無視するつもりはない」 アメリカの保守派がトランスジェンダーをトランスエイジに準えて「魔法のよう(magical)」と批判した言葉です。 男女に分類されることは、生物学という"事実"だから重要であるという主張は、トランスジェンダーだけでなく、社会に生きる全ての人々を苦しめるものです。 同時に、医療や法律が圧倒的な権威であるこの社会において、科学的な根拠というのは絶対的に信頼されるものでもあります。 しかし、生物学

          20240607

          20240606

          秋山黄色×ヒトリエ 正直、秋山黄色WIN!だった 始まる前は秋山黄色ね、うんうん、くらいに思ってたくせに、いざ黄色が歌い始めると自分の口が勝手に動いてて、うわーーーーーわたしこの歌手めっちゃすきやーーーんってなった。高二の時、不安も怒りも全部代弁してくれてた金髪マッシュのギターモンスター。イヤホンで秋山黄色にずっと叫ばれてたし、叫んでた。 なんなら歌詞完コピしてんのになぜ忘れてたかと言えば、秋山黄色が逮捕されてからわたしの中で完全に曲の世界が崩れてしまって、全然好きじゃなく

          20240605

          わたしは今とても幸せ 少しづつ注釈を剥がして、コントロールして、苦手だったものたちと同化したい。 統合、uni‪^._.^^._.^、ユニ(バババババ)

          20240529

          人のメイク講座見るのすきすぎる〜〜〜! とくにノーズシャドウをアイシャドウの締め色で書いたり、涙袋の影とダブルラインをわざわざおなじ色で書いて統一感出したり、1箇所しか使わないラメのための筆が登場したり、本人からしたら必然の段階を踏んで独自の手法を編み出してて、その人が選びとってきたものの積み重ねが垣間見える瞬間が最高。いとしい。 そしてそのめちゃめちゃキマったメイクをわたしの顔で実践しようとしても全っ然上手くいかないというのがたまらん。わたしはわたしの手法を編み出さなけれ

          20240522

          父が使う「正しい」「偉い」という褒め言葉が本当に嫌い。一元的な評価しかない大人が嫌い。 今の社会=差別を孕んだ男性中心の環境で培った歪んだ価値観で、わたしたちの世代がつくるものを測ろうとする鈍感さが憎い。 その社会ではあなただけが幸せなんだよ 「男性脳」という言葉が示す通り、男性は概して論理を重視して、感情的な部分とか曖昧さを嫌うと思われている。 これは日本社会のルールを作る権威的な職業に男性が多すぎることと関係していると思う。 大勢の人をまとめるための規範を取り決めるには

          大吉原展、どう思った?

          東京藝術大学大学美術館にて5/19まで開催中の「大吉原展」を観覧してきました。 見る人によって所感に大きく差が出る内容だったので、わたしの考えたことを書き記しておこうと思います。 開催前の炎上が展示に もたらしたこと 周知の通り、今回の展示は発表時点で多くの批判的な意見を受けた。 性的搾取の場で興った文化芸術を取り上げることで、吉原が抱える人権侵害の歴史を、現代において肯定(美化)してしまうのではないかという指摘である。 こうした批判を受け、タイトルを含めたいくつかの要

          大吉原展、どう思った?

          20240515

          気づいたことがもうひとつ、 わたしはもう十二分に男性性を獲得していること

          20240514

          新しい環境で話しながらすごく思う、わたし、めっっっちゃ茶化すクセがある、すげーーやだ わたしが大きな意味で社会から逸脱しなかった(できなかった)のって、なんかそういうところにある気がする。よく言えばユーモア、世界の揚げ足を取ることで問題を先送りにする姑息なマインド、、 日記がなぜか読み物になってしまったり、どこまでも内面化した他者を意識してるんだなって思う。場を茶化してへらへらすることで安心する部分があるの、いまはすごく嫌だ。せめて自分が突き詰めなければならないと思ったこ

          20240512

          家父長制はゴミです 家庭のなかで1人だけに財産が偏るせいで、夫婦や親子間の対等な関係は崩壊し、対話によるやりとりが難しくなる場合があります。 家族という情緒的な相互関係が最も大事な組織において、こうしたパワーバランスの偏重は最悪の事態と言ってもよく、長い時間を共にしたいならば排除するべき構造であると言えます。 この馬鹿げた家庭環境を可能にしてしまうのが、家族を神聖化する神話の存在であることは既に何度も指摘されてきています。 いわく「一家の大黒柱」だの、「愛妻弁当」だの、「

          20240508

          居場所がないとは口が裂けても言えないけど、今生きている社会現実は八方塞がりのディストピアである。考えれば考えるほど、詰んでね?って感じがする。 日本に居場所がなくて海外に渡る人達に対して、どの環境に行ってもそこにはそこの苦しみがあるだけだろうと半ば冷ややかに思っていたけど、だんだん共感するようになってきた。語学の壁が大きいけれど、やっぱり同性婚のレベルで尊厳を重視する価値観がある国にいくことは魅力的だ。それに、今興味をそそられるデザインやアートの形は大抵海外で発展してきたも

          20240507

          全部自分のせい

          20240503

          異性装 "異性"装? "女性"的とみなされる服の特徴は、布の形というよりは露出度の高さにあるんじゃないかな スカートに限らず、ショーパンでも同じような視線を受ける。もし露出度に依存するとしたら、それはやっぱり"男性"からの視線に依拠した"女性"的であって、ゆがみだよなーと思う 女性に愛嬌や可憐さを求め、突き抜けた優秀さを遠ざけようとする権威的な男性らしさはそうやって阻害されてきた歴史的な女性の存在のもとに成り立っているから、つき崩すのは簡単なはずなのに、人との対話のうちで