20240608

My body is not mine/Aurora

"I built my walls so it's safe to hide
And the people I love I left behind
They see too much when they look in my eyes"


↑ほんとにそれなーーーー
英語圏で育たないと拾えないであろうニュアンスが惜しいけど、直訳「彼らは私の目を見る時、あまりに多くを見る」だけでも首がもげるほど共感できちゃう
誕生するとっっくの昔から身体に書き込まれている歴史(歌詞ではpast?)を漂白したい。

And the past feels like another life
When the story they somehow all survived
Repeats itself so many times
Written cold in blood, heavy as a Bible

冷たい血、既に死んだ/忘れ去られた人間たちが作り上げた情報が、常に予めわたしたちの身体には書き込まれている。
それは人種であり、性別であり、国籍であり、すなわち歴史であり、わたしにはなんら関係ないはずの言葉であるはずだ。
しかし、それが聖書のように重い。本当にそれな!?!?どうしてか伝統としてのこれらの束縛から逃れることはむずかしい。神の言葉であるかのように、疑うことなく、それらにより自らを戒め、他人に要請する。疑える時と、そうでない時が確実にある。苦しい。

ちなみにだけど、
"When the story they somehow all survived
Repeats itself so many times"/「何とか生き延びた物語たちが何度も繰り返される」という歌詞がすごく優しくてAuroraらしさだなと思った。
書き連ねられた物語への想像力を失っていない。この歌では、生きてしまったものたちの誰も、悪者になることはきっとないだろう。

...けれどもやはり、Auroraは身体を「わたしのものではない」と断言する。「わたしには身体が必要ない」とすら歌う。ありがとう。マジで。
やっぱりこの歌詞が、生きづらさへ共鳴してくる核となるポイントだと思う。背負わされるものが大きすぎるんだ。

ただ、わたしはこの曲は嘆きではないように思えた。それでも身体とともにあることを背負わされ、縛り付けられることを「引き受ける」ことを歌っている。
曲中で繰り返される歌詞"When you need my heart, you cry You need my body, body"、
だれかをわたしの心(heart)に触れさせるためには、身体が求められるという葛藤。
他者の要請によってわたしの身体は在るという理解は、度し難い自らの身体性を割り切ることに繋がるとわたしは感じた。
あなたといるわたしのために、わたしの身体を許容したいから。

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