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大吉原展、どう思った?
東京藝術大学大学美術館にて5/19まで開催中の「大吉原展」を観覧してきました。
見る人によって所感に大きく差が出る内容だったので、わたしの考えたことを書き記しておこうと思います。
開催前の炎上が展示に
もたらしたこと
周知の通り、今回の展示は発表時点で多くの批判的な意見を受けた。
性的搾取の場で興った文化芸術を取り上げることで、吉原が抱える人権侵害の歴史を、現代において肯定(美化)してしまうのではないかという指摘である。
こうした批判を受け、タイトルを含めたいくつかの要素が変更されたものの、概ねの展示内容は予定通りに開催された「大吉原展」。
来場者の数も大変多く、展示を前にした人々の反応も様々だったように思う。
以上の流れを踏まえ、大吉原展の感想を以下に綴る。
感想と疑問
(個人的な期待外れについて)
率直に言うと、
展示全体を通して
何を受け取ればいいのかがわからなかった。
前提として、わたしは日本美術そのものの技巧やその鑑賞にあまり関心がなく、ビジュアル的な表象としてそれらを参考にするという目的を持って訪れていないということを断っておく。
むしろそれよりは、前述の炎上を受けて「自分の通う大学の美術館がどんなキュレーションを行ったのか」を確かめたいという気持ちが強かった。
すなわち、権力者が人権侵害に加担したという歴史をもつ文化をどう扱うのか。
「江戸文化の中心地としての吉原」を前傾化するとしても、女性への性的搾取の事実をそのまま取り上げることは同時的だ。
それでも展示会を行うのだから、歴史的な芸術に現代の価値観をある程度反映させることは織り込み済みなのだろう。そのキュレーションの手法を参考にしたかったのである。
しかし、実施の展示の内容からはそうした意図を感じられなかった。
それどころか、なぜこの時代にこれをやろうと思ったのかがわからなかった。しかも藝大で?
同じような肩透かしを食らった来場者も多いのではないだろうか。
理由について考えたい。
なぜこんなことになったのか
・来場者が期待したものとの差
まずは、ネット上の騒動を見て「炎上覚悟でも実践したい、さぞ革新的な展示なのだろう」と、多少来場者が期待しすぎていた感は否めない。
展示内容はもともと、吉原を文化芸術発展の地として再考するというような趣旨だったので、人権問題に言及が少ないのは当然と言えば当然だ。
しかし、それ抜きにしても、前情報から期待できる内容と実際の展示には明らかに差があったように思える。
・言ってることとやってることが違う
展示が始まる前日に発表され、その後も美術館の入り口に掲載された学術顧問担当の田中優子氏による声明では、
「遊廓を考えるにあたっては、このような日本文化の集積地、発信地としての性格と、それが売春を基盤としていたという事実の、その両方を同時に理解しなければならない、と思っています。」
と明文化されている。
つまり、
江戸の文化芸術を発展させた場としての吉原と、売春という人権侵害で成り立つ場としての吉原の両方を展示においては前傾化する必要があるということになる。
しかしこうした前情報と実際の展示には、いくらか乖離があるのである。
例えば、なぜ春画は一枚も展示されていないのか?という疑問が生まれる。
春画こそ、吉原に於ける江戸の美術と性産業の実態をまさに“同時に”理解できる展示品ではないだろうか。
また、Xで上野千鶴子氏も言及しているが、あれだけ美人画を掘り下げておいて、浮世絵と地続きである春画が登場しないのは不自然である。
…やはり実際に展示内容を振り返っても、追い詰められた遊女の地獄の生活や搾取への言及は“注意書き”程度で、あくまで「文化の中心地としての吉原」に偏った内容だったように思える。
こうした期待との落差によって、残念な気持ちを抱えたまま美術館を後にする人が生まれたのではないだろうか。
・本当に「再考」できていたか?
ここまでで、「大吉原展」を「吉原という文化集積の地を再考し、女性の人権状況についても考える機会」として捉えることで溜飲を下げたいと思う。
実際に、先述の資料の最後はこんな文面で綴じられる。
ところで、この4月からは「女性支援法」が施行されます。これは、売春女性を「更生させる」という従来の考え方から、女性たちを保護するという「福祉」へ、制度の目的を変える法改正です。しかし女性が人権を獲得するには、それだけでは足りません。女性だけが罪を問われることは、一方的すぎます。北欧やフランスでは、「買春行為」をも処罰の対象とする法律が制定されています。日本もまたその成立を目指すべきだと思っています。
私はこの展覧会をきっかけに、そのような今後の、女性の人権獲得のための法律制定にも、皆様に大いに関心を持っていただきたいと思っています。
重要な記述である。
この文章を読めば、展示会の主催側に問題意識が欠けている訳では無いと思えるだろう。
...しかし、やはり喉に引っかかる点がある。
女性視点の展示物がほとんどないということだ。
言うまでもなく、江戸という時代は極端に権威が男性に集中した時代である。
吉原最盛期の絢爛な遊女を描いた美人画や、近代に至り、西洋の手法で花魁をスケッチした絵画まで、様々な美術品が吉原を語るが、そのどれもが男性画家の手によるものである。
こうした男性≒搾取する側による記録をどれだけ深堀したとしても、むしろ「遊客にとって」絢爛豪華な吉原を印象づけるだけではないだろうか?
遊郭という差別構造を、脱中心化した非男性的な視点で捉えられなければ、"女性の人権獲得のための機会"としては不十分と言わざるを得ない。
まとめ
吉原という触れづらいテーマを取り上げながら、大学美術館に一級の美術品を集めて行われた「大吉原展」は、確かに目を見張るものがあり、美術史的な側面では充実した内容であった。
繰り返しになるが、江戸の遊郭にまつわる美術品に興味がある方ならば、足を運ぶ価値は十二分にあるだろう。
しかし、現代を生きる20歳としてのわたしは、美術館を出た時、正直どう思えばいいのか分からなかった。
藝大は国立の芸術大学である。
時の権威である江戸幕府が認可してしまった遊郭をテーマにしたからには、権力と性搾取の状況についてもう少し踏み込む必要があると感じた。
また、コンセプトワークが不明瞭であり、文脈化が上手くいっているとは言いがたい。
加えて、主催側が来場者に求めているリテラシーが不明瞭で、人権侵害や差別構造への前提知識についての共有可能性が希薄になっているという、現代美術が立たされる状況の問題が顕になっていた。
そうした展示自体と前後の議論も含めて、「大吉原展」は今の日本の現代美術の状況の一側面が露呈した出来事だったとも言える。
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