ふだんのnoteも大切にしたい理由
これまでたくさん記事を書いてきて思うこと。
「ふだんの」noteこそ、大切に感じるのは
そこから広がるご縁というのは、どこまでもフラットで
「ひと」と「ひと」で繋がっていく、横ならびの関係性だから…
仕事や、すこしでもお金が発生するものは
どうしてもその責任から
「役立つ側」「受けとる側」という括りになってしまうから。
もちろん、ほんとうの意味では対等だけれども
「ふだんの」noteという、なんのしがらみもない中で生きて
つながっていく関係性って、
ほんとうにただ純粋に好きかどうか心地いいかどうかだけになっていくから…
わたしは、ものすごく大切に感じています。
でも、原稿を書き貯めて
いずれ本に作家に…と思っているなら、
そんな書き方はきっとダメで。
ちゃんと、ふざけたことは一切書かずに
絵文字も使わず、ずっとニュートラルに書き続けることが
きっと正解なのでしょう。
わたしはきっと、はたからみても
すごく遠回りな生き方や道を選んでいるのだと思います。
***
でも、気づいたのは
わたしの場合、そこ(=ふだんのnote)にほんとうのテーマがあるから…
人と比べずに、自分の道をいく。
「何かを教えよう」とか思っていない、
ただただ素直に書かれたもののほうが
ダイレクトかつストレートに、きっといちばん届くと思うんだけどな。
***
ほんとうの
「結果」を優先すると、逆に素直になってくる。
***
ふしぎなんです、文章って人生って♪
「原稿用紙のような書き方を、毎日ニュートラルにつづけること」
ももちろんできるだろうし、(*本当にやればできます)
でもしないのは、
だって人は、毎日いろんな感情やリズムで生きているからこそ
その“いのちの音”に素直になることも、とても大切だと思うから…
「自分と向き合う」プロは、ここを当たり前にやってのけて
日々ニュートラルに保ちつづけること、得意中のトクイかもしれないけれど
あえてわたしは、
「ふだんの」noteのなかに動くいのちを刻みつづけることも忘れたくない。
そのリズムを自分で感じていくこと=宇宙の流れに耳を澄ますこと
とつながっているから、
「ふだんの」noteを大切にする気持ちを、
いつまでもこれからも忘れたくないなと思います。
では、書きたいこと、降りてくることがたくさん過ぎて、
10分の1も伝えきれず追いつかないほどですが…
最後にお礼にて、
先週もお祝いボードを2ついただけ、本当にありがとうございます…!
もう、ほんとうに当たり前に思わず、
これからもいつも謙虚な気持ちで、大切に綴っていきたいと思います。
では、なにか目指すものがあるときほど「ふだんの」noteを大切にする。
なにも目指していないときにも「ふだんの」noteを大切にする。
それはそのまま、「まるごとの自分」を愛することにもつながっている
気がいたします。
自分の感情と素直に向き合い、自分を愛せる方がますます増えますように…
お読みくださり、ありがとうございます。
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書く軸を定めていきたい時の「読むセッション」です。 読むと、自然と「真ん中」に還っていける… 日々のプロセスから生まれる、飾らないことば…
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