日常とふだんのnoteを愛する気持ちの大切さ
わたしは、ふだんのnoteや日常も大切にしているのですが。
先日、末吉宏臣さんの記事を拝読して、
なんだかとてもこころに感銘を受けました。
そう、人生は「特別なこと」で出来ていたり、「特別なこと」を投入して
生きることももちろん楽しく大切ですが。
わたしは、この毎日のふだんの生活、当たり前すぎるような日常もとても愛していて…
その、大切な日常の切り取りである、この「ふだんのnote」も、自分のいのちと同様
大切なことの一つです。
なんてことのない、普通の毎日の積み重ね…
でも何気ない、いつもの所作行動ができることがどれだけ尊いものなのか…
わたしは、記事を拝読して
急に「お家のことが出来る幸せ」も噛みしめています。笑
わたしが、原稿用紙的な記事ばかり書けないのは、こういったところからあるんだなぁって…
気づいていないようで、ふと内側から気づかせてもらえたのです。
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どこにでも居る、また居そうな普通のひとの日常記事かもしれない。
でも、そこには他の人にはわからない、その人だけの大切とする“何か”がある…
どこをとっても、別に「特別なこと」のない、普通の日常の切り取り/断片だったとしても
わたしは、同じように大切にしていきたい。
今日も、朝起きて、いつものようにnoteをひらき、筆を紡ぐ…
この、なんてことのない繰り返しだとしても、わたしは確かに幸せを感じている。
そう、もしかしたら、本当に大切なことって“こういうところ”にあるのかもしれない…
そう気づかせていただけた記事でした。
ありがとうございます。
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皆さまにおかれましても、大切な「普通」って何ですか…?
そこを見失わないよう、自分で生きていけるとき
きっとそれが「種」となって、のちに咲く大きなお花に繋がっていく気がしています。
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書く軸を定める文薬-ふみぐすり-(読むセッション)
書く軸を定めていきたい時の「読むセッション」です。 読むと、自然と「真ん中」に還っていける… 日々のプロセスから生まれる、飾らないことば…
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