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【忘れられない先生】見えにくいわたしの百人一首大会を考えてくれたM先生

【忘れられない先生】シリーズ。

前回は、小学校1年生のときのちょっと怖い先生のお話だった。

今日は、中学校のときのM先生。

担任の先生になったこともなければ、部活動の先生でもなく、国語の授業を教わっていただけなので、話す機会はそこまで多くなかった。

それでも、M先生を思い出すと、

「見えにくいわたしのことをとてもよく考えてくださり、ありがとうございました」

と感謝の気持ちが溢れる。

もっとお話してみたかった。

もう一度お会いできるのなら、お会いしてみたい。

そして、お礼を伝えたい。

そんなM先生のお話。

国語の授業がわかりやすくてキレイな文字のM先生

M先生は、その当時30歳くらいの女性の先生だった。

わたしは、国語が大好きだった。それは、もしかしたら、M先生のおかげもあるのかもしれない。

分かりやすく面白い授業、聞き取りやすいハキハキとした声、綺麗な大きな文字の読みやすい板書。

耳の聞こえにくさも感じるようになっていた中学時代、そんなわたしにとって、M先生の授業のわかりやすさはピカイチだった。

先生の綺麗な字を真似して、ノートをとる。

中学時代は、身近にいる人の字を真似して、自分の字というものを確立していく人が多いと思う。

わたしにとってそれはM先生だった。

先生の字ほど綺麗に書くことはできないけれど、少しでも近づけようと頑張っていたから、小学校のときよりも中学時代でわたしの字は上達した。

授業がわかりやすいから、国語の成績はいつもよかった。

英語と国語の成績と、理科や数学の成績の差が激しかったのは、理数系が苦手ということももちろんあるけど、やっぱり見えて・聞こえて理解できる授業を受ける事ができたからだと思っている。

「出たくないな」と思っていた百人一首大会

わたしの中学校では、学年ごとに百人一首大会が開かれた。

体育館で1学年200人ほどが集まって、小さなグループに分かれて、百人一首をする。

当然、目が見えにくいわたしは、札をうまくとることができない。

札が見えないからだ。

そうすると、同じグループの人にも迷惑をかけてしまう。

百人一首大会の練習で、国語の授業のとき、最初はわたしもグループに属して一緒にやろうとしていた。

でも、何回やってもわたしはうまく取れない。

「百人一首大会、休もうかな…出たくないな…」

わたしは、重い気持ちを抱えるようになっていた。

そんなわたしの雰囲気を感じていたのかもしれない。

ある日M先生に呼ばれて、優しくこう言われた。

「百人一首大会だけど、読み手になってみない?」

突然の先生からの提案に驚いた。

読み手をするということは、体育館の壇上に立って札を読む。

マイクを持って、生徒全員に聞き取りやすいように、ハッキリと読む。

わたしにできるかな…

ピアノの発表会で、大きなステージでピアノを弾いたことはあるけれど、みんなの前でしゃべったことはなかった。

自信はなかったけれど、これならわたしも百人一首大会に参加できる。

それに、わたしは読書や音読が大好きだった。

声に出して何かを読むということが好きだった。

もしかしたら、M先生は、「目が見えにくいから取り手はできないから読み手にしよう」という気持ちだけでなく、わたしが読むことが好きなことも考えて「これならこの子もストレスなく参加できる」と思ってくれての提案だったのかもしれない。

先生は、優しくこう続けた。

「先生も一緒に読むから、二人で一緒に読み手をしましょう!」

一人だったら心細いけど、M先生と一緒ならできるかも。

「はい!」

わたしは、その日から毎日読み手の練習をして、本番に挑んだ。

わたしの声が響いてみんなの歓声が響いた体育館

百人一首大会当日。わたしはとっても緊張していた。

壇上に上がって、先生と二人椅子に座って、マイクを持つ。

M先生のお話のあと、百人一首大会が始まった。

M先生は、わたしのほうを向いて、

「いいよ」と合図を送る。

わたしは、ドキドキしながら読み始める。

最初は、緊張していたけれど、だんだんと楽しくなってきた。

「天の原~ふりさけ見れば~春日なる~・・・」

マイクを持って、元気よく札を読み上げると、

「わぁ~」

「はいっ!」

生徒たちの声が響き渡る。楽しそうなみんなの声が体育館中に響き渡る。

そして、またわたしが札を読んで、歓声が響く。

堂々と楽しそうに読み上げているわたしを見て、M先生はホッとしたような、嬉しそうな笑顔でこちらを見ていた。

嬉しかった。

ほっぺたが熱くて、胸がドキドキしているけど、心が明るく高揚していた。

取り手だったら、参加できなくて、悲しい思いをしただろう。

でも、わたしに読み手という、わたしにできる役割を与えてくれて、大勢の前で札を詠むという貴重な経験をさせてくださったM先生。

目の見える子たちとは違う参加の仕方だけど、先生と二人での読み手だったから、孤独感を感じることもなかった。

盲学校ではなく、普通の学校で目の見える子たちのなかで、勉強をしたり行事に参加したりするということは、まったく同じことをすることができない場面で様々な問題に直面する。

そういうときに、こういう温かな配慮をしてくださったことで、わたしにも楽しい思い出になったのだ。

M先生の提案で卒業式の答辞も経験

M先生は、卒業式でもわたしに答辞をしないか、と提案してくださった。

答辞には3名が選ばれた。あとの2名は華やかな生徒だった。

何も特別すごいことをしたわけでもなく、目が見えにくいというだけの、平凡な中学生だったわたしは、すごく驚いた。

百人一首は札を読むだけだけれど、今度はスピーチなんて!

でも、せっかくの機会だ。がんばるしかない。

わたしは、新体操部のことや友達のことを話すことにした。

目が見えにくいわたしは、スピーチ内容を全て暗記していないと、スムーズに話せないと思った。紙を顔に近づけて読むと、スラスラ読めないし、見た目も悪い。

わたしは、当日まで家族の前で何度も何度も練習をし、スピーチ内容を丸暗記して、当日を迎えた。

今回は生徒だけじゃない。先生方、保護者、下級生、来賓・・・体育館には1000人近い人がいた。

すごく緊張したけれど、丸暗記したおかげで、堂々と話すことができた。

この答辞の経験のおかげで、わたしはその後の人生で、何かを発表する際には、丸暗記をするようになった。

弱視の見えにくいわたしが、生きていくうえで、とても大切な大きな経験になった。

今になって気づけたM先生の心遣い

noteに百人一首大会の思い出を書きたいな、と思って、この記事を書き始めたおかげで、気づけたこと。

百人一首大会でM先生が読み手をわたしに経験させてくださったこと。

答辞をさせてくださったこと。

見やすく大きな綺麗な板書にハキハキしゃべっていた授業。

それらを思い出すと、M先生のさりげない優しさにハッとした。

書いていて涙が出てきた。百人一首大会と答辞は、わたしが見えにくいということで考えてくださった経験だったのだろうとずっと思っていた。それはわかっていた。

でも、もしかしたら、あの読みやすい大きな綺麗な文字も、ハキハキしゃべる話ぶりも、読みやすいプリントも

目が見えにくいことに加えて、中学生になりちょっと聞き取りが悪いと悩んでいたわたしのことも考えてのものもあったのかもしれないと。

M先生の特徴だと思っていた授業風景も、もしかすると、そういう配慮があったのかもしれない。

そう思ったら、書きながら泣いていた。

M先生のような先生ばかりではなかったから、キツイことを言われて悩んだこともあったから。

ひとは嫌な思い出ほど覚えていたりする。さりげない心遣いに感謝するよりも、嫌な思い出を思い出して落ち込んだりする。

noteにM先生のことを書こう!と思ったおかげで、M先生が本当にわたしのことを考えていてくださっていた先生だと気づけた。

今、もう一度M先生にお会いできるなら、お礼を言いたい。

「見えにくいわたしが見える子たちと同じように楽しく授業を受けたり、行事に参加できるようにしてくださり、ありがとうございました。」

と。それを答辞で言えばよかった。あのとき気づければよかった。

そう思ってももう20年も経ってしまっているから…

いつか、伝える方法はないかな。伝えたいな。

***

M先生はきっとまだ50歳ちょっとだろうから、お元気でどこかの中学校の教団にまだ立っておられるかもしれません。

いつかM先生に、あのときの目の見えにくい生徒です、と伝えられる日が来るかもしれないので、わたしはその日を楽しみにしたいなと思います。

あと、卒業後、テレビを観ていたら、歌手のファンだという先生がインタビューを受けているところも、偶然拝見したこともいい思い出なので、これもお伝えしないと(^▽^)/




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