私の人生

「お前を産んで失敗したお前は失敗作だ」
「やっぱり頼れるのはお前だけだお前だけがまともだ」

この2つの言葉は私が大学生の頃に実の母親に直接言われた言葉である。

人はなんて感情的な生き物で自分勝手なんだろう、そして私自身もきっとそうなんだろうなと思ったのはこの日がきっかけかもしれない。
人と自分の間にバリアーを貼り一定の距離を保ち深く関わることを避けてきた私だが、今は人を信じたいと思うし、ここまで育ててくれた親に感謝をしたいと思っている。

私の人生経験が少しでも多くの人の頑張る力になれたら幸いです。

1【大学生】突然の借金と壁
2【社会人1~2年】いきなり家主
3【社会人3~4】つかの間の自由
4【社会人5】自分が正しいと思った結果
5【社会人6~10】現れたネットワークビジネスと事業家集団
6【現在】

1【大学生】突然の借金

お前明日から学校行きたかったら自分でどうにかしな。
こう言われたのは大学2年生の夏の終わりだった。
父親がリストラをしたのである。正直リストラという話しは珍しい話ではないので、我が家にもついにきたかという気持ちであった。
しかし驚くのはそこではない、リストラしてから半年以上たって家族に報告されたのである。
学費は自分でどうにかしろと前期の未納分とと後期の請求書合わせて120万円の請求書を突然渡されたのである。

私は先生にも相談をして2年生はサボり扱いとなった。(休学だと卒業が半年ずれるのと在学証明で半分お金がかかるため。)
3.4年生の2年間で3年分の単位をとり資格も取るという勢いと口約束でこんなわがままをきいてくれた大学に感謝である。

部活もやめる予定だったが経験者が私と部長しかいないため、来れる日と大会だけでいいから残ってほしいということで部活には残ることになった。
この日から私は学校をさぼり、部活だけ参加するという不真面目な不良大学生になったのである。
祖母の助けもあり120万円と3年生の授業料にも少し回すことができた。
今思えばこのときから多くの人に助けられていたのに、当時はそんな余裕もなかったのだと改めて思う。

3年生になり私のスケジュールは下記のようになった。
9:00~17:00学校
17:00~19:00部活(火曜日、木曜日)
20:00~23:30バイトa(月曜日、火曜日、木曜日、土曜日)
22:00~6:00バイトb(水曜日、金曜日、日曜日)

学校までは家から約45分自転車で通っていたので学校が終われば基本はバイトとそれまでの間に課題をやる。
バイトbが終わったら学校という流れである。
私は大学3年生に血尿になってしまい、医者から免疫が低下している。普通はこんなにならないと言われるほどにぼろぼろになっていた。
しかしそれでも、大学に通う為にはこの生活を続けるしかなかった。
そんな私の姿を見ても働かない父親に、違う意味で感心していたのは内緒である。
この時から
「お前のせいで家が大変なんだ」、「お前の頭が良ければ、入学費もかからずにすんだ」
「お前がいなければ弟にもっと色々買ってあげて受験もさせてあげられた」「お前は寄生虫だ!」と顔をを合わせる度に言われたのを今でも覚えている。

血の繋がりとか家族の絆とかそんなものは夢物語で、お金がなくなれば現実はこんなもんだと何かを悟ったかのようにこの日を境に人と距離をとり自分の感情を見せなくなったように思う。

友達にも何かあったら言えよ!と言ってくれる友達はいたが、この時の私の思っていたことはこうである「お金がないといったら貸してくれるんだろうか?いやそんなことはない、周りに変な気遣いをされるだけだ」「それでも親を大切にしなさい?何故?」
周囲には笑顔を振り撒き、サボった分を取り返す不良学生を演じ続けた。

それでも何とか、単位をとり卒業して資格も取得したのである。
卒業時にとった単位は136。卒業に必要な単位は126なので少しは余裕をもって卒業できた。(一年生の時にとった単位は37なので、2年間で約100単位取得)教務課にもわがままを言って特例で45以上とれるようにしてもらった。
本当にありがとうございます。

そして卒業。
私にとってこの卒業は大きかった。何故なら家族からも卒業しようとそう思っていたからである。


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