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「フランダースの犬」でルーベンスのキリスト画が描かれた理由とは

『フランダースの犬』と『火垂るの墓』は、ちょっとマジで発禁にしてほしい。いや子どものころは「なにこれ、かわいそう……」って、そんだけだった。しかし大人になってから観ると、救いがなすぎてバウンスビートくらい動悸がしてオロオロ泣く。18才以上禁止とかにしてほしい。O-18。オーバー18歳だこんな作品は、やめろ。観せるなもう(泣)。

そんなフランダースの犬といえば、やっぱり最終回。主人公のネロと愛犬のパトラッシュが寄り添ってルーベンスの「キリスト昇架」と「キリスト降架」を観て「なんだか眠いんだ……」と、安らかに昇天するシーンだ。

引っ越し業者みたいな天使たち

この最終回の視聴率は関東圏で30%超え。ハイジ、ラスカル、マルコとかが出てくる「世界名作劇場」でもトップだ。これで、フランダースの犬だけでなく、日本においてルーベンスがすんごく有名になったわけである。

ただ「なぜあの絵だったのか」というのは意外と知られていない。そこで今回は原作であるウィーダの作品を見つつ、なぜあそこで「キリストの絵」が描かれたのか、について紹介していきたい。

原作「フランダースの犬」のえげつない悲壮感

原作者のウィーダさん

小説『フランダースの犬』は、1872年にイギリスの作家・ウィーダが書いた。原作も日本アニメとシナリオはほぼ変わらない。舞台はベルギーのフランダース地方の村。フランとかダースとかチョコの話これ? じゃないぞ。フランダース地方の話だ。

画家を夢見る少年・ネロが主人公。で、牛乳の配達員やっているが、もんのすごい貧乏。絵の具も買えないほど貧乏な少年だ。夢は聖母大聖堂で「ルーベンスのキリストの絵を見ること」である。観覧料が高かったんですね。それでなかなかネロには観られなかった。ちなみに今の聖母大聖堂の入館料は大人・770円くらいです。だからネロは無料で見られるマリアの「聖母被昇天」を眺め続けるんです。

ピーテル・パウル・ルーベンス「聖母被昇天」

唯一の友だちが風車小屋の一人娘・アロア。でもアロアの父・コゼツからは「ちょ、お前、あんな貧乏のネロと付き合うのやめとけ」と、なんかもう救いようのないことを言われたりする。で、貧乏ってだけで放火の濡れ衣を着させられる。しかもデカめの牛乳配達業者が来て、仕事を奪われてしまう。そのあと「クリスマス楽しみや」とウキウキしていたら祖父が亡くなる。しかも「見返してやるぞ」って臨んだ絵画コンクールも落選……と、もう地獄とはこのこと。作中通して超特大殺界なわけですよ。「泣きっ面に蜂」とかのレベルじゃない。「死に顔にバズーカ」ってくらい、とにかく不幸に見舞われまくる。

で、そんなコンクールという最後の望みがついえた結果、絶望のあまりネロはクリスマス・イヴの夜に吹雪のなか聖母大聖堂に向かい、そこで果てるわけですね。

ちなみに道中で、自分を散々いじめてきたコゼツさんの財布を拾ってパトラッシュに「これ、コゼツさんに」と託している。ネロ、マジで良いやつ。マジで良いやつ過ぎて感動なんだが、それ以上にパトラッシュが名犬過ぎてヤバい。届けた後ちゃんと帰ってくるしね。

ウィーダという犬とネロに呪われた作家

実際、犬がミルク缶を運んでいた

繰り返すが、フランダースの犬を書いたのがウィーダです。彼女はこの作品を出すころ、既にロマンスものの作家として売れっ子だった。で「さすがに自分でもロマンス飽きたわ〜」つって、発想をもらうために大好きなルーベンスの絵を観にベルギーに行くわけですよ。もうここで「なぜルーベンスなのか」っていう答えは出ている。シンプルにウィーダがルーベンスのファンだったからです。

ただそれで終わっちゃうと、さすがに愚の骨頂マンなんで、もうちょい掘り下げますね。ウィーダはそんなルーベンスの絵を観にベルギーに行くわけですが、そこで「犬がミルク缶を運んでいる光景」を観る。ちょっとでも歩みを緩めると、主人がムチを振る。なんと、近くには息絶えている犬もいる。もともとワンちゃん飼ってて、愛犬家だったウィーダには、これがかなりショックだったわけですね。

まずなんで馬じゃなくて犬なのか。それは馬が高価過ぎて買えないからなのだ。ウィーダは「ワンちゃんのかわいそうな姿と貧乏な人たちの現状を書かなきゃ」という、なんか上野千鶴子みたいな精神で「フランダースの犬」を書くわけだ。

つまりフランダースの犬ってむちゃくちゃ社会派なのである。こんなんもう、どこが「世界名作劇場」だよ。「朝まで生テレビ!」で田原総一郎がむにゃむにゃ騒ぐテーマだろ。

ちなみにウィーダは、この後40代になって大失恋をし、その反動で寂しがりやが大暴走して30匹くらい犬を飼う。で、最終的に犬のエサ代とか、動物愛護団体の裁判費用によって家賃を払えなくなり強制退去。そのままホームレスになって犬と馬車の中で生活していたら肺炎を患って亡くなる。そう、もう完全にネロなのだ。誰よりもフランダースの犬に呪われていたのはウィーダ自身だったのだろう。

じゃあなんで「キリスト昇架」と「キリスト降架」だったのか

ピーテル・パウル・ルーベンス

ということで、なぜルーベンスだったのかという謎が解けた。じゃあ、また次の記事で……とはいかないですよ。もうちょいこの話に付き合ってほしい。まだエンドロールの途中だから席立たないで。Cパートあるから。

ここからは「なんで最後に見せたのが『キリスト昇架』と『キリスト降架』だったのか」という話をしたいと思う。

ピーテル・パウル・ルーベンス「キリスト昇架」
ピーテル・パウル・ルーベンス「キリスト降架」

ラストシーンで羽が生えた赤ちゃんがやってきて、ネロとパトラッシュは天国に行きますよね。これは完全に先ほどお見せした「聖母被昇天」をモチーフにしている。

キリストのおかん・マリアは死体がない。要するに肉体ごと逝ったんですよね。で、ネロも肉体ごと、服着たまま天国に向かうわけです。

「じゃあ最後は聖母被昇天でええやん」って私は最初思いました。「絵の中から赤ちゃんがメリメリメリって出てきて、絵の中に連れていったらええやん」とか……。もうなんか、こんなゲロクソみたいなホラー演出しか思いつかなくてすみません。リングじゃねぇんだから、出てこないですね。

でも、ネロが憧れていたのはキリストの絵なんですね。世界史ヲタのあなた、今「ネロ」と「キリスト」という文字列で、「暴君・ネロ」を想像したんじゃないでしょうか。あの「世界で初めてキリスト教徒を迫害した」で知られる古代ローマ皇帝です。

髪型が神奈川沖浪裏みたいな暴君ネロ

もしや……と思いましたが、いやいや。さすがに考えすぎでした。フランダースの犬のネロは「Nello」で暴君ネロは「Nero」です。まったくの別物だと思います。

じゃあ「Nello」ってなに。と思って調べると、「Nicolaes」の短縮系的なやつだった。だからネロの本名はニコラスなんですよね。ニコラス・ダースくん。で、イギリスでニコラスっていったら「Saint Nicholas」。聖人として有名なミラのニコラウスだ。これがオランダの神話的存在・シンタクラースになって、サンタクロースになる。

つまりネロはサンタさんなんですよ。そういえばネロが生き絶えたのは12月24日の真夜中だ。あと、サンタクロースのプレゼントの由来は「貧乏すぎて娘を身売りするしかなくなった家族の元にサンタさんが金貨を投げた。それが靴下に入った」という伝説である。ネロは道中でコゼツの財布拾って届けてますよね。いやもう完全にこの子サンタじゃん。

で、もう言わずもがなだけど、12月25日といえばキリスト(カトリック)の降誕の日だ。そしてルーベンスはこの絵をカトリックからの発注で描いている。ということで、ラストシーンでキリストの絵を映すというのは、もうなくてはならないシーンだったんですね。こんなにいろんな伏線が張り巡らされた名シーンだったわけです。

フランダースの犬のラストシーンは観るなよ絶対

サンタクロース

というわけで、今回はフランダースの犬のラストシーンについてがっつり紹介しました。ちょっとラストシーン見たくなってきた人もいるんじゃなかろうか。いや絶対おすすめしない。マジでおすすめしない。

本当におすすめしないから。これリンク貼ってるの、別におすすめしてるわけじゃないから。30分アニメで、寝る前にちょうどいいわけじゃないから。明日、目が腫れた状態で出社しなきゃいけなくなるからな。

しかし調べれば調べるほど奥が深い作品だった。キリスト教圏では一発でピンとくるのかな。「ネロってことはサンタクロースだ!」ってなるのかな、文化の違いって面白いですよね。

文化の違いでいうと、舞台のベルギーでは意外と「フランダースの犬? 知らんなぁ」って感じらしいです。イギリスの作品なのでね。それでも日本がゴリ押しして、半ば無理矢理、本国にネロとパトラッシュの銅像立てたらしいんですって。でも碑文が日本語だし、地元民は作品すら知らんから、椅子扱いされて結局撤去されたらしい。マジで日本人ヲタの悪いとこ出まくってて笑いました。ってことで、絶対に見ることをお勧めしない。名作すぎて後悔するぞ。

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