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ADHDになりたい症候群とは

数週間前、友人とADHDについて話していた。注意欠陥多動性障害というアレだ。うつ病が市民権を得るのにしたがって認知度が高まり、今や20人に1人とか、10人に1人とかいう割合で出現している。

そこで簡単な診断チェックをしていたのだが、友人にとって当てはまる部分が多かったようで「あぁ、俺もたぶんADHDだわー」とまゆげを下げつつも微笑みながらぬかしたのを見て、ADHDと診断される方が増えている理由がなんとなく分かった。本来は先天性の疾患なので、数が急増するのはおかしい。ではなぜ増えているのか。

おそらく「ADHDになりたい症候群」の人間が増えているんじゃなかろうか。昔、メンヘラになりたがる「自己承認欲求強めの凡庸な人」が増えたことがあったが、それと同じだ。

ADHDの診断書は意外と手軽にもらえる。心療内科で「ADHDかもしれない」と泣きそうな顔で相談し、多動性・衝動性・注意欠陥に当てはまることを目線を下げながら、いかにも恵まれていない人間のような顔で告白すれば医者が軽度の診断書を出してくれる。

つまり症状が増えたのではなく、なりたい人間が増えたのではなかろうか。いわゆる「過剰診断」というやつで、調べたら実際に国内外でADHDの過剰診断は増えていることが分かった。無駄に投薬治療をして身体を壊す子どもさえいるらしい。

ということで、Youtubeを見ると、ADHDを餌に動画をアップしている「ADHDユーチューバー」もいて、これもまゆげを下げつつ微笑みながらぬかしている。「大変だけど、過集中はメリット!」みたいなことを得意げに話していてうるさい。

いい年こいてサムネに「(ADHDだから)社会不適合者」なんて書くなよ、ほんとに。何アピールだよ。

と、偉そうに書いたが、正直私も病気にかこつけていた時期もあった。Youtuberの気持ちも分かるし、なりたい症候群患者の気持ちも分かるのだ。しかしそれでは沼にはまってしまうだけだということに気づいたのも事実である。ADHDは確かに発達障害ではあるが、症状を理解して、きちんと準備をすれば普通に暮らせるのだ。

今回はADHDに憧れている方に「そのままでいいよ」と伝えたい。というか「ADHDの人って、あなたが考えているよりも凡庸でまともなんだよ」ということを少し書こうかと。また現在、悩んでいる人に私が実践した対策法を伝える。まぁあまりこういう機会もないので、自分のためにも、ね。

第一印象は「お前は俺の何を知っているんだ」

私がADHDの診断書を受け取ったのは25歳だった。診断されたとき、最初に「そっちか」と思った。というのも、当時の私はうつ病の相談のために受診したのだ。

猛烈に忙しく、日々徹夜しながら締め切りに追われているうちに「自分がひどく仕事ができない人間なのではないか」と思い込んでおり、だんだんと社内の目が怖くなって勝手に周囲の人を悪者に仕立てていた。

こうなると、仕事の能率は鬼のように下がる。執筆のスピードと質が落ちていき、輪をかけるようにミスが目立つようになり、自分が嫌になって他人を悪者にする、といった悪いサイクルにはまって、会社に行きたくなくなり、夜は眠れず下痢を起こし、徒歩10分の出勤に2時間ほどかかるようになり、最終的には円形脱毛症になって「病院にいったほうがいい」と勧められた。

今考えたら、本当にとことん優しい会社で、いつも仕事のフォローをしてくれていたのだけれど、それすら当時の私には「ダメな奴のしりぬぐいをさせてしまいごめんなさい」と感じてしまったのだ。

仕事に追われ過ぎて、診療内科で、白髪眼鏡の先生の前で質問に答えているときも「今日中にあの原稿を仕上げて、その後は文字起こしをして……」と頭の中で実行不可能なスケジュールを組んでいた。ぼんやりと受け答えをしているなかで、先生が「ADHDかもしれないね」と言ったのを聞いて「(うつ病じゃなくて)そっちか」と思ったのである。

そこからは、先生と子どものころの話になった。ランドセルを忘れて家に帰ったこと。月に1度は家の鍵をなくすので、母親が大量の合い鍵を作っていたこと。国語が好きで、算数の時間はずっと文学史の図鑑を読んでいたこと。それを切り取って、文豪のプロフィールをまとめて勝手に雑誌をつくったこと。雑誌ができたのが嬉しくて授業中に隣のクラスの友だちに見せにいき先生に怒られたこと。他のクラスの体育の授業がうらやましくて、こっそり教室を出て先生に叱られたこと。母親から知らない施設に連れてかれてひたすら簡単なパズルを解かされ、いらいらしたこと。

まぁ今考えれば完全に当てはまるのだが、やはり医者に対しては「お前は俺の何を知って、発達障害と言ったんだ」と思った。会社に戻ると、私の原稿を先輩が納品してくれていて、情けなくて、恥ずかしくて、涙が出た。次の日から長期的な休みをいただいた。菩薩のように優しい方しかいない会社だったと思う。感謝してもしきれない。

超便利な「ADHDだからしょうがない」

当時は世間的にもそこまで知名度があったわけじゃない。自分の病気を知らなかったので、まずはADHDの問題点を調べた。調べた方は分かると思うが、主な症状は衝動性と注意力散漫、多動性だ。私は中等度の混同型であり、3つの症状がすべて当てはまった。

なので、診断を受けた直後はもう完全に病気のせいにした。電気を消し忘れたり、スマホを置き忘れたり、収入の当てもないのに会社を辞めたり、フリーになってからいただいた仕事を飛ばしたり、仕事もせずに小説を読みふけったり、果ては薬を飲み忘れてなくしたり、そのくせに病院にはいかなかったり、全部「ADHDだからしょうがない」と思っていた。ダメ野郎である。自称・社会不適合者と言いたい時期だったと思う。「モーツァルトもADHDだった」という記事などを読んで、なぜか自分がADHDであることに誇りを持っていた。

日雇いのバイトもいくつかしたが、楽しくなくて途中で家に帰った。どうしてもライターの仕事しかできない。でも仕事をもらっても納期に間に合わないからレギュラーになることもなく、お金がなくなって他人から借りることも増えた。そのくせにタバコは吸いたくて仕方ないので、道端に落ちているまだ吸えそうな吸い殻を探して拾った。でも火がなくて、公園のホームレスからマッチを借りたときに、やっと「これじゃ、ただのダメ人間だ」と気づいたのである。

衝動性・不注意・多動性は個別の症状ではない

真人間に戻るために、あらためてADHDという障害を見つめ直すことにした。やはり衝動性・不注意・多動性の3点が重要である。これはどこのサイトにも載っている。当時の私が発見したのは、3点の症状は個別ではなく、流れに沿っているということ。

多動だから集中力が続かず、衝動的に行動したくなる。すると不注意でモノを忘れたりする。短期的な利益ばかりを追いかけるから、長期的には成功しない。多動→衝動→不注意というサイクルがあることに気づいた。

そのための対策は1つ「準備をすること」。真人間になるために必要なのは、これだけだった。仕事をする前にちゃんとスケジュールを組む。タスクを整理する。付箋はめちゃくちゃ使う。家を出る前、店を出る前などに、必ず持ち物を確認する。過集中を避けるためにタイマーをセットする、などの事前準備を実行した。

なかでもお金を稼ぐために最も役立ったのは、嫌いなことに好きな部分を見つけることだ。日雇いのバイトではなく、長期的な介護のバイトを始めた。おばあちゃんの世話は興味なかったが、認知症の彼女たちが話す言葉は支離滅裂でダダイズムやシュルレアリスムを感じた。業務中におばあちゃんが話す言葉をメモ帳に記述して、家に帰っては読み返して笑っていた。すると嫌いなことでも集中できることに気づいた。

もちろん最初はうまくいかないこともある。忘れ物はしまくったし、ご飯を食べてくれないおばあちゃんにいらだった。これは精神的な問題なので、休みの日は早朝からお寺の座禅会に参加した。ADHDの方にも実践してほしい。座禅を組むと、行動の前に一服して考える余裕ができる。

最初の「多動」の前に準備の時間を設けることで、衝動が抑えられて、不注意もなくなる。ADHDの症状はスポットではなくフローなのだ。

他人を変えるより、自分が変わるほうが早い

あれから2年経った現在、無事にライターとしてごはんを食べられている。周りの人にADHDだからといって別に理解を得てもらっているわけでもない。

ADHDについて解説している記事に「周囲の理解が必要」とあるが、そんなことはない。自分が準備をすればいい。もしくは周りの理解がない職場なら辞めればいい。そっちのほうが早い。というか「周りの人が非協力的で病む……」と考えている時点でADHDの気は薄い。だってたぶん衝動的に転職しているものね。

ADHDになりたい症候群の方へ

ADHDになりたい症候群の方は、他人を変えようとしている代表なのかもしれない。前提として「できない自分」がいる→でも認めたくない→だから病気のせいにして、周りのハードルを下げたい。

もしくはできない自分を「個性」にしたい。他人とか違うんですよ私と主張したくて、診断書というハクを付けて、他人の目を変えたいのかもしれない。

しかしそれでは何も進展しない。ADHDという病気は別に突飛ではないし、一般の方と同様のレベルにまで成長できる。自分を変えたほうが早い。衝動性という意味では他人を変えるのなんて待っていられないというのが私の本音だ。

結局、何が言いたいのかってADHDって別に特殊能力ではないってこと。やり方さえ工夫すれば普通の人、っていうか何の発達障害もない人だって日々工夫しながら生きているわけで、そういう意味では、めちゃ凡庸な人。モーツァルトも別にADHDだから名曲を書けたわけじゃない。ADHDを自称して「仕事ができない人」みたいなイメージを世間に植え付けるのはやめてほしいなぁと感じた。

「ADHDである私の失敗歴!」を羅列する記事もよく見る。そして末尾は往々にして「ADHDに理解がある世の中を!」的な文言で締めくくられる。これはパラドクスで、やはりADHDであることが、その方の人間性を保っており、自分がADHDを克服してしまうと「空っぽ」になる。それが怖い。だから意識の表層では治したいと感じていても、無意識の奥底では最も治したくないのだ。

「ADHDだから失敗した」と日常的に書いてしまうのが、すでに危うい。言霊とはよく言うもので、「私はADHDだ」と宣言するほどに、ADHDの呪いにかかる。空っぽになるのが怖い人だ。まぁしかし、人はもともと空っぽなのでそんな呪いはすべて手放したほうがよい。

と、まぁここまで、長々と4,200字くらい書いたが、私自身ぶっちゃけ今日中に終わらせるべき原稿があるので、本当は30分もかけてこんなの書いている場合じゃないんだけど、それでもやっぱり衝動性っていうかね、うん、まぁ自分ADHDなんでしょうがないっすよね。へへへ。へへへへへ。

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