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「人はなぜ絵を描くのか」を人類最初の洞窟壁画から考える

「ねぇ、なんで人ってさ、絵を描き始めたんだろうか」

こんな悪臭漂うセリフを真っ直ぐな目で言う奴には気をつけてほしい。おそらくそいつは重度の厨二病に犯されているか、自己啓発のあまり前後不覚に陥っている。もしポケモンよろしく、目が合って質問された際は食い気味に「知らないです」と答えてください。

ただ相手のレベルが高くて「ねぇなんで? ねぇなんでだと思う?」と食い下がってくるかもしれない。あなたがもし「人類初の絵」を知っていれば「ねぇなんで人は絵を描くのか星人」を撃退できるはずだ。

なぜなら「絵」がまだこの世にないころの美術への動機は極めて純粋なものだからだ。「絵で食えること」や「人の作品をコピーする楽しさ」を知ってしまった私たちは「絵を描くことの本質的な動機」なんてもうなんとなくでしか分からない。

そこで今回は人類史上初の絵について紹介します。初めての絵画を知ることで「そもそもなぜ人は絵を描くのか」という哲学がちょっとだけ理解できるに違いない。

人類の絵画の歴史は「洞窟絵画」から始まる

人類がはっきりと「絵画」を描き始めたのは、今から約4万年〜3万5000年ほど前のことだ。スペインやインドネシア、フランスなどの洞窟で、動物を模した作品が生まれている。もちろん描いた人は分からないし、今でも謎はめちゃめちゃある。

これらは洞窟に土や草花などの天然塗料で書いたので「洞窟絵画」といわれる。動物を描いたのは、よく獲物を狩れるように絵として残してお祈りしていた説が濃厚だ。ただ、なかにはライオンとか熊みたいな食用ではない動物の絵もあり、これらを描いた理由はまだ謎のままである。

またこのほかに当時では「抽象絵画」も残っている。これはすごくおもろい。ネアンデルタールの抽象絵画である。

見るとわかる通り、この作品では手形がくっきりはっきり残っている。まったく「何かの役に立つ」わけではない。もっと抽象的で、なぜ描いたのかは分かっていない。

メソポタミア文明になると絵を描く理由が分かってくる

さて、せっかくなので人類最初の絵から派生して、最初期のころの絵画作品をずらーっと見ていこう。

ネアンデルタール人から2万5000年程たったメソポタミア文明勃興期あたりになると、いわゆる「エジプトの壁画」がシュメール人によって描かれるようになる。

西洋美術史では、このあたりから取り上げられることが多い。あの壁画群は「来世思想」のもとで描かれたものだ。当時の人々は今よりもずっと来世の存在を信じていた。というのも平均年齢は20歳くらいで「ちょっと人生終わりにしては早すぎるやろ」と思っていたからだ。また当時は呪術師が今でいう政治の中心だった。現代よりずっと来世への想いが強かったのである。

ちなみにこの来世思想はキリスト教という超メインストリームに発展していく。西洋美術は中世まで、キリスト教会のために絵を描くのが主流であり、メソポタミア文明期の来世思想から生まれた絵画は美術史にとってスタート地点になっているわけだ。詳しくは、以下の記事でも紹介していますのでぜひぜひ。

メソポタミア文明期の代表作「死者の書」

さて、古代エジプトでも来世思想は健在だった。そこで描かれた巻物が「死者の書」である。アヌビスやらホルスやらネフティスやら、今ではすっかりソシャゲのキャラと化したエジプトの神々が描かれた。

有名なのはアヌビスの天秤だろう。「お前の心臓と神鳥マアトの羽と、どちらが重いか。心臓のほうが重ければ地獄行きだ!」のアレだ。

……もう絶望だよこれは。物理的に心臓のほうが思いもん。せめて広辞苑くらいにしてほしいものである。

話を戻そう。この「死者の書」は「死ぬ前に冥府(今世と来世の間)のこと知っとこう。たぶん大変やから」という理由で描かれた。つまりゲームの攻略本だ。だから表現欲求なんて微塵もない。

とにかく冥府で迷わないようにできるだけ簡略化して描いているため、エジプトの壁画はみんな横向いているのである。

古代エジプトの人々は、ここまでガチで来世を信じていたわけだ。なので、遺体は燃やさない。だってあの世で肉体がなかったら困るもの。だからそのまま保存してミイラにした。

また来世でもちゃんと食っていけるように、棺には食料やお金を入れた。王(ファラオ)が亡くなった際にはあの世でもお供できるように家来がみんな道連れになったわけだ。

いやこれマジで棺にお花や思い出の品を入れてる場合じゃないぞ。通帳と印鑑はマストだ。あとスマホとPCでしょ。それとクレジットカードキャッシュカードも必要。できればまだポイントが残っているポンタカードとか入れて欲しいよね。完全に煩悩を維持したまま死ぬけども。

人はなぜ絵を描くのか? それはごはんを食べたいからです

さて、人類初の絵・洞窟壁画からそこそこ脱線してしまったが、冒頭に戻ろう。人はなぜ絵を描くのだろうか。思い返せば、洞窟壁画の動物の絵は「豊作のおまじない」だった。

つまり人は「今日、お腹いっぱいごはん食いたい」から絵を描く」のだ。表現したい!でも、絵で誰かの役に立ちたい!でもない。「ご飯食べたい!」である。自分でもすんごい斬新な結論だ。星人に声をかけられたら「それはご飯食べたいからだよ」と返そう。

……いや待て、と。そんなオチはない。大事なのはもっと本質的な欲求だ。獲物を獲得する手段として絵があったわけで、実際ウホウホ言いながら描いていたネアンデルタール絵師は「みんなの役に立ちたい」と思っていたかもしれないじゃないか。

つまり「人がなぜ絵を描くのか」を考えるうえで歴史はヒントにしかなり得ない。ここから先はやはり想像力なのだ。

なんで抽象的な技法で描いたのかをみんなで考えてみたい

ではもう1つの人類最初期の絵である抽象的絵画はどうだろうか。この絵は他の作品とは明らかに違う。明らかに実用的ではない。最も純粋な衝動で描いた絵のように思える。

さて、なんで手形を残そうと思ったのか。これは先述した通り、ネアンデルタール人の嗜好を想像するしかない。私、個人的には「暇〜。今年いちばん暇なんだが。塗料で遊んでみよっ」くらいの感覚で描いたと思う。マジで何にも考えてなかった説が個人的には正解だ。

さて、皆さんはなぜ古代の人たちがこの抽象絵画を描いたと思いますか? とオーバースローで投げかけてみたい。その答えが意外と「人が絵を描く理由」に近いのかもしれない。

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