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価値のとらえかた

30年以上連れ添った包丁の「柄」の部分がそろそろ修理時。
大学入学で一人暮らしを始める時に、母と一緒に選んだもの。マメに研ぎ、柄を修理しながら大事に使ってきて、この先も使える間はず〜っと使う。

柄の交換にも費用がかかる。
新品に買い替えたほうが安いので、新しい包丁を買ってみたこともある。
でも長年使いこんだ"しっくり感"と、使っている時の"しなやかさ"が、大量生産型の包丁には感じられず、数回使っただけだった。

職人さんが造りこんだものと、工場で大量に生産されたものは何かが違う。その違いを感じなければ、古くなる度に柄もステンレスの新しい包丁に買い替えて、何ら不都合を感じることなく使っているかもしれないとも思う。

でも違いを知ってしまった今では、少し価格が高くても、修理に多少の費用と日数がかかっても、日々心地よく、長く使えるものにお金を払う。これがいわゆる私の価値観。


大量生産、大量消費の約100年

あらゆる物が工場などで生産されるようになった、イギリスを起点とする産業革命は、18世紀後半から19世紀前半。それから約100年、産業構造の変化とともに人の生活も変化を続け、大量生産、大量消費がすっかり定着。革命以前と比べると、物の生産にかかる時間とコストは比べようがないほど小さくなって、修理するより新しいものを買う方が早くて安い。

そうなると修理しながら長く使うという文化は徐々に失われ、衰退の一途をたどる産業もたくさんある。そんななかでも、長い歴史を有する海外ブランドは、メンテナンスしながら長く愛用する文化を残しているところも多く、コートのボタン一つでも緩くなれば付け替えてくれたりもする。

欧州の多くの国では、住宅もリノベーションして長く長く住むのが一般的。これは米国でも同じ。一方日本は、高度経済成長期の頃から変わらず、新築物件の人気は依然として高い。もともと日本もリノベーション文化だったはずなのに、気づけば変わってしまっている。


人は何にお金を払うのか

中小企業のコンサルティングをしていると、「人は何にお金を払うのか」考えたことがないと言う経営者によく出会う。それでも事業がまわってきた。その仕組みは別の記事にまとめるとして、これからはそうはいかなくなってくる。

その理由は簡単で、一言で表現するなら「産業構造が変わる」から。
それとともにライフスタイルも価値観も多様化していて、何にお金を払ってもらうかの価値基準をどこにおくかが、とても難しくなってきている。

サービスを提供する側も、それを利用する側も価値基準をどこにおくのか、問われる時代になっている。サービスを利用する側にとっては選べる自由、サービスを提供する側にとってもお客様を選べるということ。であればなおのこと、価値を感じられるものにお金を払う価値基準をもっておくことが、流されずに生きる一つの方法だろうと思う。


ますます多様化する社会

8年前に出版された
政治哲学を専門とするハーバード大学教授、マイケル・サンデル氏の
「それをお金で買いますか」

それをお金に換えるのは道徳的にどうなのかというサービスが増え、あらゆる問題が表面化した頃の、マイケル・サンデル氏の著書は世界でヒット。「臓器をお金に換える貧困層」「お金のための代理出産」「子どもの売買」「治験」「経済的徴兵」「戦争屋」など、ビジネスと称したあらゆる売買が世界各国で行われていることにも触れている。

ちょうどこの頃、欧州や米国ではコンセッション(ざっくり言うと公共事業の民間委託)の見直しが行われ、ライフライン(電気、水、ガスなど)は公管理へと戻されていった。その背景には、多くの人の命の存続が脅かされたり、人として尊厳ある生き方ができない環境の加速により、あちこちで大規模デモが起こったことが大きく、新自由主義の本家本元の米国ですら大きく方針を変えていった。

この先、今まで経験したことのない世界、想定していなかった世界が広がっていく。何にお金を払うのか、何にお金を払ってもらうのか、そこに道徳性、倫理観があるのかどうか。ほんの一瞬、立ち止まって考える時なのではないだろうか。

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