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結婚って、なんだか重い

三十年前に比べると、女性が働きやすい環境が整っているように見える今。それでもまだ、仕事と結婚の両立に自信が持てず、結婚に踏み切れない女性は多い。実際にそんな経験をもつ、30代後半と、40代前半の女性たちから聞いた、結婚への不安感と負担感。どうすればそんなことを感じることなく、仕事も結婚も両立しやすくなるのだろう。


結婚は不安と負担

経験談を聞いたのは、30代後半と40代前半の女性三人。
一人は小さなサロンをもつネイリスト、二人は会社員。三人とも仕事も収入も安定していて、恋愛経験もある。

会社員の二人には数年前に結婚を考えた相手がいたが、仕事と結婚を両立できる気がしない、不安しか感じられなくて踏み切れず破局。どういう理由であれ、破局は寂しさや悲しさを感じるものだと思うが、二人とも、何かから解放され肩の荷が下りたような気分だったと言うので少し驚いた。

ネイルサロン経営の女性の場合、やっと軌道にのった事業と結婚の両立は現実的に難しそうで、負担が増えるだけのようにしか思えない。それ以前に、お客様優先、仕事優先の生活が長く、恋愛に関しても億劫になっていると言う。彼氏という存在がいたのは約一年前。自身の事業が忙しくなり、すれ違いが続いた結果、彼の方から別れを告げられた。その時彼女も、肩の荷が下りたような気がしたのだそう。

それでもいつか、誰かと出会い結婚は真剣に考えなければいけないような気がしていて、考えると気持ちが重くなると三人とも同じことを言った。

個人事業主としてサロン経営をする彼女の場合、仕事と結婚の両立に不安や負担を感じるのは理解ができるが、比較的働きやすい環境が整い、経営的にも安定した企業に勤める二人が両立できる気がしないというのは意外だ。

それにしても、結婚しなければいけない気がするけど負担という、三人共通のこの感覚はいったいどこからくるのだろう。


整ったはずの仕事と結婚の両立環境

良妻賢母が女性の役目だった昔

今から約35年ほど前の1985年から1990年前半頃。
「玉の輿」「3高(高学歴、高身長、高収入)」「良妻賢母」「内助の功」「寿退社」といった、女性は経済的に恵まれた結婚をし家庭に入るイメージの言葉をよく耳にした。

短大で教養を身につけて、商社系に数年勤めて寿退社。家庭に入って子どもを産み、家族の世話をしながらパート勤務で家計に貢献。夫の家族と良好な関係を築き、いずれ夫の両親の世話をして、そのうち孫の世話をして、ずっと家族中心の時間軸で生きる。

女性の生き方とはそういうものだという風潮がまだまだ強かっただけでなく、内助の功(家庭において、夫の外部での働きを支える妻の功績)という慣用句があるように、夫の出世は妻の功績、夫が出世できないのは妻の支え方が良くないかのように使われることもよくあった。

社会全体がそんな空気感だったので、女性がキャリアを積めるような仕事も少なく、仕事と結婚の両立をサポートする環境も整ってはいなかったのは、女性は「良き妻」「良き母」として、家を守り子どもを産み育てるのが役目とされ、その考えに基づいた雑誌などがどんどん出版されていた背景があるので、ある意味仕方がない。(※1)


国際条約への批准

その風潮を変えることになったのが、1979年の国連総会において採択された女子差別撤廃条約。日本がこの条約に批准(条約に対する国家として同意)したのが1985年。これを機に、女性を取り巻く環境は変化していく。

その第一歩が、同年に施行された男女雇用機会均等法。
それにより女性がキャリアを積める仕事が増え、女性にとって働きやすく、仕事と結婚が両立しやすい環境はゆっくりであるとは言え、以前より整ってきてはいる。にもかかわらず、彼女たちの結婚に対する不安と負担は大きいままだ。


結婚に不安はつきもの

結婚経験のある人は、結婚に不安はつきもの。不安を考えればキリがない。安定した職があり経済的にも恵まれ、プロポーズしてくれる相手がいるなんて幸せなこと。悩む理由がわからない。

不安がる彼女たちに対しそう思う人は多いかもしれないが、果たして本当にそうだろうか。たしかに、結婚に不安はつきものだ。誰かに愛され、必要とされ、望まれて結婚するのは幸せなことではある。

ただ彼女たちの場合、今が不幸なわけではなく、むしろ仕事もプライベートも充実している。安定した仕事と収入があり、何に制限されることもなく自分の時間を楽しめる。経済的、精神的な自由を思いきり謳歌できる今の環境を、楽しくて幸せだと感じているように見える。

そんな女性にとって結婚は、今の自由な環境に制限がかかるイメージを抱かせる。子どもができればなおのこと女性のライフステージは変わり、築いてきたキャリア、目指していた未来から遠ざかってしまいそうで不安になる。


結婚ってなに

結婚に対する社会の意識

そもそも、結婚とはいったい何なのだろうとよく思う。
個人的には制度でしかないと思っているものの、それだけではないこともよくわかる。お互いの家族、仕事の関係者、友人知人とのおつき合いも増え、少々面倒なことが増える。時には喧嘩も、すれ違いというものも起こる。それでもともに生活をし、家族という意識になっていくから不思議だ。

もう一つ不思議なのは、周りの対応や言動が変わること。
それぞれが思う「嫁(妻)」「夫」という枠にはめた対応と、それに基づく言動に変わってしまう。これほど社会は多様になり、昭和の高度経済成長期とは夫婦のあり方、嫁(妻)、夫の役割は変化しているだろうし、多様になっているはずなのに、「嫁(妻)だから」「夫だから」をよく耳にする。

この概念は、年貢を納めるための生産活動を中心に形ができていった、江戸中期の家族、夫婦のあり方(※2)が今も根強く残っているということだと思うが、多様化した今の社会では、夫婦のあり方も結婚に求めるものも様々で、誰かに枠を決められることでもない。

ところがその大きな変化に、社会の意識も制度も追いついていない。
それが恐らく、彼女たちの漠然とした負担感のもとだろう。


世界の結婚観と婚姻制度

そんな日本を尻目に、他国は結婚観、婚姻制度ともに変化をしている。
多様な結婚観を社会として受け入れ(※3)、フランスのPACSのような制度を整え、それぞれの夫婦のあり方を二人で築きやすくなっている。

それだけでなく、結婚に対する意識や考えかたも違っている。
相手の意思を尊重する、相手の幸せと人生が豊かになることを願い、ともに豊かに幸せになろうというスタンスなので、女性もキャリアが築きやすく、仕事と結婚が両立しやすい。もちろんいいことばかりではなく、全ての人がそういうスタンスではないが、社会の意識としては日本より寛容なようだ。

日本でも、制度やカタチにこだわることなく、お互いの人生が豊かになる関係をともに築くパートナーという概念がもっと広まれば、結婚に負担を感じることなく、もっと豊かな生きかたができるのではないだろうか。

婚姻制度の多様化や、仕事と結婚を両立しやすい環境はとても大事。
それ以上に、周りの意識や固定観念に振りまわされない、自身の結婚観と人生観をしっかり根づかせることのほうが、大事なことのように思う。


参考記事、文献
※1. 別府大学:良妻賢母思想の登場と 日本女性の生活誌
※2. 田中圭一:日本史学者「百姓の江戸時代(ちくま学芸文庫)」
※3. リライザマガジン:https://www.resally.jp/magazine/the-difference-between-same-sex-marriage-and-factual-marriage-abroad/



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