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【歴史】司馬遼は、歴史小説のスタイルを変えた?!

司馬遼太郎との出会いは、
運不運がある、かもしれません。

17歳の時、高校2年生の時、
『国盗り物語』で
インパクトを受けました。
それが第1次司馬遼ショックでした。

それから、22歳の時、
今度は『世に棲む日々』で
爽快な感動を受けました。
第2次司馬遼ショックでした。
 
この2作品は、
後から考えると実に象徴的でした。

司馬遼太郎は、
1959年『梟の城』以来、
講談のような勢いのある語りで
1964年『燃えよ剣』
1965年『国盗り物語』
1966年『竜馬がゆく』
1966年『関ケ原』など、
どれも歴史小説らしい作品を
次々と書いていきます。
上手いですが、
まあ、それまでの作家が
書いてきたのと同じ、
ごく一般的的な歴史小説です。

ところが、
1971年『世に棲む日々』
1972年『坂の上の雲』
1972年『花神』
1976年『翔ぶが如く』
1975年『空海の風景』
1979年『胡蝶の夢』と
ベストセラーが続きます。

ここに書き出した作品は
小説と呼ぶにはちょっと
違和感を覚えるところがある。 
いわゆるエッセイ調の論考文であり、
でも、生身の人間の佇まいを 
突き止めようとする意味では
やはり、小説なのかもしれない。

この独特の文体については、
司馬遼太郎が元祖ではありません。
海音寺潮五郎ら、
司馬遼太郎の先輩にあたる
歴史作家が、すでに
チラホラと先鞭をつけていました。
ただし、先輩作家は、
作品まるまる、
エッセイ的な文体にする
というようなことはしていなかった。
そこを「余談」として書いてきた
そこを司馬遼太郎は、
「余談」だらけにしたんですね。

こうして、司馬遼太郎は、
みずから、歴史小説らしい作品から、
不思議な味わいの論考的エッセイに
スタイルを変えていったんです。

それについて、
一周まわった、
本の虫的な読者さんたちは、
歴史小説らしい初期の作品こそ、
読むに値すると主張するんです。

でも、素直に言えば、
論考的なエッセイによる
『世に棲む日々』や
『坂の上の雲』や『翔ぶが如く』
『空海の風景』『胡蝶の夢』の方が
ワクワクさせてくれて、
読むのが楽しい。

まあ、これはただの生理や趣味の
問題なのかもしれません。
どっちが好きでもいいでしょう。
 
でも、司馬遼は、
エッセイみたいな小説を
日本に定着させた作家であることは
間違いありません。
それらは小説と呼べるか?
小説とは呼べないか?
それは、好みの問題なのですね。

私は、圧倒的に、
論考的なエッセイ調の作品が
好きなんですが。
 

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