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【評論】評論の魅力は腹の底からのストレートパンチ?!

なぜ、評論家の文章には
魅力があるのだろう? 

古くは、 
小林秀雄、
鶴見俊輔、
吉本隆明、
加藤周一、
江藤淳、 
加藤典洋、
高橋源一郎、
橋本治などなど。
(高橋さんは本職は作家ですが、
評論が圧倒的にいい)

また、評論家ではないですが、
幸田文、
佐野洋子、
向田邦子、
須賀敦子、
最相葉月、
河合隼雄などなど。
 
こうした方々が描く
エッセイや評論は、
とにかく腹に来るんです。
重いパンチが腹にズシンと来る。

それはなぜだろう?
今までもアレコレ
その訳について考えてきました。

なぜ、小説一般よりは、
評論や論考やエッセイが
好きになるんだろう?

今日はあるひとつの見方に
たどり着きました。
評論やエッセイは、
その作者が腹から思っていることを
話してくれているからです。

腹の底から話してるという、
その重みから来る信頼感。
腹の底から語られることって、
正直、ふだんはあまり無いじゃ
ないですか?日常生活では。

まあ、日常で、
腹の底からの言葉ばかりでは
重くて重くて、
メンタル的に胃もたれをしそう(笑)。

でも、人間、1日に一度は、
腹の底からの語り合いをしたり、
聞いたりしたいものです。
少なくとも私は。
まるで、心のこもらない言葉ばかり
交わしているのも、
なんだかなあ、となる。

そんな時に、
例えば、加藤典洋や橋本治の
エッセイ集?あるいは論考集を
開いて読むと、
とにかく、彼らは常に
文章上はいつも本気であり、
腹の底からの言葉を貫いている。

だから、読者の腑に染みる。
腹にしっかりしたパンチが来る。

小説には、
まっすぐにパンチが来る時と
パンチが来ない時がありますが、
評論は常に本気だ。
何かをストレートに伝えようと
真剣に言葉を繰り出す。
小説が隠喩であることに比べたら
評論は圧倒的にストレート。

だから、読みたくなるんだなあ。
今日やっと、評論の魅力の一つが
わかった。わかった気がしました。

若い頃、文芸評論家、
斎藤美奈子さんが講師の
エッセイ講座に通ったことが
ありました。池袋リブロで。

講座は2時間くらいで
その後、たまにはちょっとご飯でも
いきますか?という空気になり、
斎藤美奈子さんも生徒たちも
一緒にワイワイやりました。

そんなある時、一人の生徒が
こんな話をしました。
「評論家って言葉は、
ふだんは悪口として使われる 
場合が多いようですが、
斎藤先生は命がけで評論をしている。
その姿勢を直で学べたことが
一番の勉強になりました」と。

そう話した生徒は、
60才はとうに超えた男性でしたが、
私もその言葉に打たれました。

評論家というのは、
なんでもすぐ、他人事ながら、
いい気な事をいう人種をさして
使われがちですが、
小林秀雄や加藤周一を
読んだ限りでは、
言葉はいつも本気ですよね。

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