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【居場所】自分の居場所は、世の中にある?ない?探す?探さない?

『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』
こんな対談本があります。
平成8年、新潮社で単行本になり、
平成11年に新潮文庫になっている。
もう古典?と呼ぶべきかしら。

海外に長く住んでいて帰国したばかりの
村上春樹。心境は大いに変わっていた。
一方、日本でカウンセリングの
第一人者として、阪神大震災などに
取り組んできた、河合隼雄先生。
対談はもう22年も前かあ。

対談時、ようやく村上春樹は
自ら自分の国や社会に
積極的な姿勢を取ろうという
気持ちが強くなっていた。
デビュー以来一貫して
世の中や集団の圧力から
どう自由になるか、
圧力からどう離れるかに、
腐心していた村上春樹の、
大きなターニングポイント。
そこへ河合隼雄先生が立ち合い
対談している。
面白くないはずがない。

社会に対して、
デタッチメント(無関心)から
コミットメント(関心)へ。

単行本でも読んだし、
文庫でも何度も読んできました。
そして、今朝も読み始めたんです。
そしたら、ある事に気がついてしまった。

30、40代でこれを読んだ時は、
自分自身もそれなりに歳をとり、
世の中からの自由な居場所より、
世の中での居場所を探すように
なっていました。
村上春樹のように
社会に対して
コミットメント、関心を持ち、
社会の構成員として、
そこに参加しようとしていた。

ところが、今、改めて読むと、
世の中に居場所を求めてるか?
といわれると、確かにそうですが、
それは、
その中に関心(コミットメント)が
あるからではなく、
生き辛いから、
自分のために居場所を欲しがる…
個人的なことになっているわけです。

デタッチメントから
コミットメントへ、という流れは
22年前だから、
すごくよくわかったし、
賛同もできました。

ところが、
22年が過ぎて、
日本の世の中の空気も、
自由への逃避や
社会への参加などでは
もひとつピンと来ない、
違った形になっている、
そんな気がしました。

なんだろう、今
私たちが抱えてるモヤモヤは?

今まだ、河合隼雄先生が
生きていて、村上春樹と
もう一度、対談をしたら
また全然、中身の違う対話に
なっていくでしょうね。

月並みな言葉になりますが、
自分が欲しい居場所は、
自分の中にしかない。
自分や自分の仲間で集まって
世間から距離をとるのが理想?

大きな集団やグループの中での
居場所はもう存在しないか
あっても必要とされないか?

これは、村上春樹が若い時代に
欲していた社会からの自由、
とはまた別物だぞ。
1周まわったのかな。

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