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【詩歌】空白の一行に込められた思い…

「詩歌の待ち伏せ」。
なんてもの柔らかな優美な
タイトルだろう。
詩に待ち伏せされているなんて。

書いたのは北村薫さん。
あの、日常ミステリーの元祖であり、
アンソロジーもよく編む
名作家の北村薫さんだ。

そんな北村さんは
詩歌にも造詣がふかかった。
古今東西の名詩を紹介する、
ポエムガイドブックを出している。
それがこの『詩歌の待ち伏せ』。

文藝春秋から
2006〜2009年に発行され、 
それが2020年、ちくま文庫から
再発行されました。

私は文藝春秋版も
本棚のどこかに紛らせたため、
復刊されるや、書店の店頭で
慌てるように手に取り、
ワクワクしながら、
「はじめに」を開きました。

すると、そこには
意外にも、
北村さんの懺悔?悔しみ?
そんな尋常ではない感情が
溢れているのに驚きました。

あの、北村さんが?ですよ、
温厚な作風、お顔、慕う人の多さ、
そんな北村さんに一体何が?

『詩歌の待ち伏せ』第八章には、
石垣りんさんの
「悲しみ」という詩を
北村さんは紹介しています。


悲しみ

「私は六十五歳です。

このあいだ転んで
右の手首を骨折しました。

なおっても元のようにはならない
と病院で言われ
腕をさすって泣きました。
お父さんお母さんごめんなさい。

二人とも、とっくに死んでいませんが
二人にもらった身体です。
今も私は子供です。

おばあさんではありません。」

この最後の部分は、
先の三行のあと、
白く一行空けた後で、
「おばあさんでは…」と並ぶよう、
石垣りんさんが、
原稿用紙に書いて、
「こういう形にしてください」と
渡してくれたんだそうです。

ところが、
文藝春秋の文庫で出した時、
後ろから2行め?にあたる
空白の一行をうっかり?か…
ツメてしまい、
最後は4行つながる形で
載せてしまったのです。

改行も、作者の立派な意思です。
句読点ももちろん作者の
大事な意思や判断の結果であり、
編集であれ、誰も
妄りに変えてはなりません。

著者である北村さんも
校正紙をチェックしたでしょう、
編集担当や校閲部も
チェックしたでしょう。

それでも、気づけず、
空白の一行はなかったことに
なってしまった、、、。

北村さんは、
2020年に、ちくま文庫で
改めて復刊できる時、
何よりも、
この石垣りんさんの詩を
石垣さんが望んだ通りにできるのが
悲願でした。

「失われた一行の空白を、新しい文庫で取り戻せる。それだけでも、生きて来た意味を感じます。」

と北村さんは「はじめに」を
結んでいます。

十数年にわたる悔しさ、懺悔、
罪悪感、申し訳なさが
北村さんの心から、
ずっと去らなかったのでしょう。

なんという痛みであったろう。
書物の鬼、と言うべき人かも
しれませんね。







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