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【太宰が苦手な方へ】しみじみ笑える作品があります。これでもやはり苦手ですか?

「甲府へ降りた。たすかった。
変なせきが出なくなった。
甲府のまちはずれの下宿屋、
日当たりのいい一部屋かりて、
机にむかって座ってみて、 
よかったと思った。
また、少しずつ仕事をすすめた。

おひるごろから、ひとりで
ぼそぼそ仕事をしていると、
わかい女の合唱が聞こえて来る。
私はペンを休めて、耳傾ける。 
下宿と小路ひとつへだて
製紙工場が在るのだ。
そこの女工さんたちが、
作業しながら、唄うのだ。
なかにひとつ、
際だっていい声があって、
そいつがリイドして唄うのだ。
いい声だな、と思う。
お礼を言いたいとさえ思った。
工場の塀をよじのぼって、
その声の主を、ひとめ見たいと
さえ思った。

ここにひとり、わびしい男がいて、
毎日毎日あなたの唄で、
どんなに救われているかわからない、
あなたはそれをご存じない、
あなたは私を、私の仕事を、
どんなに、けなげに、
はげまして呉れたか、私は、
しんからお礼を言いたい。
そんなことを書き散らして、
工場の窓から、投文しようか
とも思った。」


これは太宰治がかいた
掌編「I  CAN SPEAK」という
手記?エッセイの一部です。
全4ページ。
新潮文庫『新樹の言葉』冒頭に収録。

どうですか?
自分の心をこんなに透明に
わかわかさをまるごと写し取って、
これぞ、太宰の真骨頂。

なんだか、いい歳をして、
隣の工場からの歌声に
ウキウキしている。
ちょっとひょうきん、
いや、かなりなお調子者。

これは太宰治が唯一、明るく
健やかに仕事をした時期の作品で、
この時期の作品群ならば
「太宰にはどうも抵抗がある」
という人も読めるのではないかしら。

というか、
この時期の太宰でも苦手なら、
やっぱり太宰には
縁がないということで、
無理に太宰を読まなくても
いいかと、思うんです。

太宰治の、明るい時期、
いわゆる中期の作品というと、
「富嶽百景」「東京八景」
「新樹の言葉」「満願」
「帰去来」「黄金風景」など、
どれも自分の体験や実話ばかり。
しかも短い。しかも健やか。
しかも、しみじみ。しかもユーモラス。

この時期が長く続いていたら、
太宰も今とは全然ちがうイメージの
作家になってたろうなあ。
それはそれで、読みたかったな。

ちょっと元気になりたい時、
上に引用した「ICANSPEAK」を読み、
ウキウキ、しみじみした体験を
テンポよく書こうとした、
健気な(笑)太宰をイメージし、
こちらまでクスっとしてます。
元気をもらう?というか、
クスクスをもらう、という
ところでしょうか。(笑)

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