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【書く】なぜ人間は書くことがこんなに好きなんだろう?

人はなぜ書くんだろう?
なぜ書くのが好きなんだろう?
書きたくなるんだろう?
書こうと思うんだろう?

アメリカの作家で、
常にお酒を飲んで
ギャンブルをして
娼婦とも寝たりして、
食うために労働に就いて
でもいつもクビになって、
そんな人生を生きた、
まるで日本の私小説家の
西村賢太さんだなあ(笑)、
チャールズ・ブコウスキーという
無頼な作家がいました。
1920~94年。

主に、60年代70年代、
アメリカがとても揺れていた時に
多くの作品が読まれた人です。

ですが、ヒッピー系の作家である
バロウズやケルアックが今は
すっかりご無沙汰な流れですが、
このブコウスキーだけは
当時も今も読まれている。
それはなぜだろう?

さて、本題からまた
逸れていましたが、戻りますね。
人はなぜ書くのが好きなのか?

定職もなく、
フラフラしながら
ギャンブルにハマり、
酒と女はやめられないような
人生でありながら、
ブコウスキーを支え続けたのは、
20代からずっと
小説やエッセイを書き続けた
ということではないか?

それが彼の誇りにもなって、
生きている存在証明にもなって、
唯一の身分証明書にもなって。
かなりタフな人生だった
ブコウスキーにとって、
まだ世にはパソコンも何もない時代。
そんな環境で、50年以上文章を書き続けるのは
相当な忍耐と快楽です。
その行為が、それなりの何かを
ブコウスキーに与えていたに
ちがいないですね。
教養がつくかも?
くらいの軽い話で、
やり通せる行為ではない。

書く。
それは、おれはまだこんなに
脳みその運動練習ができるんだ、
ただのアル中のおっさんに
見えるかもしれないけど、
ただのアル中じゃあねえんだ、
俺には「書く」という行為が
できるんだ、という
何かにすがるような、
なにかにしがみつくような
想いが感じられるんです。

彼の小説やエッセイは、
無頼派な作品です。
時には露悪的なことも
書いてあります。
でも、そこに書かれた世界は、
彼に救いや赦しを与えてくれた、
そう思えてなりません。
「書くこと」は彼を「人間」に
してくれていたんです。

書く、
それはどんなに
自堕落な人生を生きる人にも
最後の誇りや救済をくれる
すごいことなのでしょう。

変な言い方ですが、
脳を動かす練習運動ですね。
知性とか教養とか啓発とか
そんなことは、
ブコウスキーは求めてなかったはず。
「意識高い」系人間からは
最も遠いところにいたタフな人間が、
小説やエッセイなるものを書く。

「自分の精神の姿を透視し、
その神秘さを表現する」
それがおそらくは、
書くという行為では
ないでしょうか?

ああ、なんだか、
ちょっとカッコつけた
文章を書いちゃったかな。
それならブコウスキーに
叱られそうだなあ(笑)。

でも、なぜ、こんなに
大勢の人間が、お金に
ならなくても創作するか?
創作でなくても
ここnoteで記事を書くのか?

存在証明を手に入れることで
なかったら一体なんでしょう?


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