【本作り】本を出す人も、みな作家になりたい訳ではない。
リリー・フランキーの自叙伝
『東京タワー ~オカンとボクと、
時々オトン~』は
ベストセラーになりましたね。
あの本が世に出たのが2005年。
もう17年前になるんですねえ。
その頃、刊行を記念して、
リリーさんが神保町の三省堂で
サイン会を開くというので、
駆けつけました。
どうしても会いたくて。
また、言いたいことがあって。
『東京タワー』を書くまでは
主にサブカル的なコラムニスト、
かつ、イラストレーターでした。
『誰も知らない名言集』
『美女と野球』
『日本のみなさん、さようなら』
などが、そうしたコラム集です。
そこに加え、2003年、リリーさんは
『ボロボロになった人へ』
という小説集を出しました。
これを読んだ編集者なら、
誰もが、リリーさんには
実力が高い作家になれる、
ベストセラーを書けると確信したでしょう。
そうした原石がゴロゴロした
短編集でした。
何冊も、短編集や長編を書いて、
力をコツコツとつけ、
自分との距離感も十分に
身につけたあたりで、
自伝的小説を書けば
直木賞も夢じゃない!!!
ところが、リリーさんは
デビュー短編集の次に、
早々と2冊目で、
自叙伝小説を書いたんです。
私はわお~っ!と
叫びそうになりました。
これを書いたら、
これで燃え尽きたら、
もう作家を続けていく
ロウソクの芯はなくなってしまう。
あまりに深く自分を治癒したり、
内的テーマを完全に昇華させたら、
もうあとは、作家である必要が
なくなってしまいます。
こんな作品は、何作か書いた後で、
心の中でゴロゴロと育てながら、
膨らませながら、
大事に大事にしてほしかった。
でも、リリーさんは
書いてしまったんです。
大事な大事な
作家になるための芽を惜しげもなく。
サイン会当日、
おろおろしながら、
自分の順番が来た時、
リリーさんに、
もう、リリーさん、
どうして書いてしまったのですかあ?
早いですよ~、みたいなことを
失礼にならないよう尋ねました。
すると、リリーさんは、
少年みたいな顔になって、
だって書きたかったんだもの。
これはオカンを弔うために
どうしてもすぐに書きたかったんだ、
それに、ボクはずっと作家でいたい
訳でもなかったから。
そうかあー。。。。
私はギャフンとなりました。
リリーさんは
職業作家になりたいわけではない。
しかも、つい最近亡くなった
お母さんを追悼したかったんです。
これ以上に、小説を書く理由が
他にあるでしょうか?
私は卑しかった。
みんな、職業作家になりたい!
そう思ってるものだと勘違いしていた。
お母さんを弔うなんて
最高の小説じゃないですか?
おれは汚れてるなあ、汗。
この体験以後、
私は、本を書く理由は
人間の数だけあるんだ、
誰もが出版界にいたい訳じゃないんだ。
そう深く胸に刻みました。