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燃える波

20240430

子どもが欲しい、という気持ちは、ある。
けれど、本当の本音を言えばそれは、この十年連れ添ってきた夫の子どもを産みたいという気持ちと、完全にイコールではないのだった。
愛していないわけではない。
たぶん。少なくとも、大切には思っている。

今では互いにまるで兄妹のような、いや、空気のような存在と言っていいだろう。
そのぶん、彼のことを男としては見られなくなっているのも事実だった。言い換えると、積極的にこの人と抱き合いたいとは思えないのだった。稀に求められればなるべく応じてきたけれど、正直、乗り気にはなれない。それさえも、もうずいぶん長く途絶えている。
きっとお互い様だ、と自分に言い聞かせる。向こうだってこちらのことを、今さら女としてなんか見られないと思っているだろう。ごくたまに思い出したように誘ってきたのは、儀礼的なものというか、家庭内平和に気を遣ってのことに違いない。
ある程度長く一緒にいる夫婦なんて、きっとどこもそんなものだ。べつに仲が悪いわけではないのだから、それで良しとしなくてはならない。そう、いつか一生を終える間際になって、お互いで良かったと思い合えたなら充分幸せというものではないだろうか。


値段の高いものが、必ずしもいいものとは限らない。高価なのに品のないものだって、その逆だってあるしね。でも、ちゃんとしたものには必ず、その値段がつくだけの理由がある。あなたはまず、本当に価値あるものを見定める目から養いなさい。憧れるものや好きだと思うものを見つけたら、ちょっとくらい無理をしてでもそれを手に入れてごらん。
最初は背伸びだって分不相応だっていいの。手に入れたものにふさわしい自分になろうとするうちに、それらはいつのまにか等身大のあなたに馴染んでいく。身につけるもののオーラが、あなたをもっと高いところへ押し上げてくれるのよ。だから、けちけちせずに、先行投資だと思って、自分自身にきちんとお金をかけてやりなさい。自分のことを、どうでもいいもののように扱っては駄目。

勉強みたいに、頭で覚えられるようなことじゃないの。あなた自身がこの先たくさんの優れた本を読んで、たくさんの尊い芸術に触れて、そしてたくさん買い物に失敗して痛い目に遭って、そういう経験を通じてでなければ、決して学べない類のことなのよ。

人生に近道なんかないんだから。

どんなにやりがいのある仕事だったとしても、最初から最後まで全部が楽しいことばかりなんてわけはない。私だけじゃない、誰も彼も、自分かしたいことしかしないで済ませていたら、何ひとつ形になるわけない。
自由業と呼ばれる職業が必ずしも自由なわけではない。いい加減な気持ちで仕事をしているわけでもない。

家事は、どれも苦になる作業ではない。女がするのが当然とは思わないけれども、得意なほうがすればいいことだと思っている。
ただ、昔は好きな相手のためだと思えばこそ楽しかったはずの家事一つひとつが、今はどれも義務や流れ作業のようになってしまっているのは否めなかった。洗いものも片付けも、しなければ自分が落ち着かないからするだけ。その点ではひとり暮らしと変わらないが、ひとり暮らしより当然、面倒は多い。

彼に言えずに痛みこんでいる言葉など山ほど、本当に山ほどあるのだ。どうしてそれがわからないのだろう。

需要がなくなるとはつまり、飽きられるということだ。一流の女優は、需要を自ら生み出す。唯一無二の存在である限りは決して飽きられない、そう知っているからこそ、誰にも譲らず、誰にも迎合しない。するわけにいかないのだ。

「結婚したくない理由でもあるの?」
「まあ、一応何でも自分で出来ますからね」
「料理も家事も?」
「ひと通りは」
「じゃあ、女はセックスの相手としてしか必要ないってこと?」
「そうは言ってません。そもそも、料理や家事をさせるために結婚するよりはマシだと思いますけどね」

私たちは、新しく出会うものを自分のそれまでの経験と照らし合わせることで理解していく生き物である。

具体的には解決しなくても、誰かに打ち明けただけで、気持ちが楽になることもある。

あんな小さないざこざなど、あらためて人に話すほどのことではないのだ。口に出せばどうしても非難や愚痴になってしまいそうで、それもまた嫌だった。愚痴は、人として美しくない、と思う。

ふと思いついたように言った。
「女の人ってさ。 自分のための買い物をするのが上手だよね」
「え、どういうこと?」
「だって、あなたたち、よく言うじゃない。〈自分にご褒美〉とか、〈自分への投資だと思って〉とか。そういうの、男はどっちかっていうと得意じゃないから」
言われてみればそうかもしれない。
例えば、今の自分が、以前よりもステップアップできたと感じた時。あるいは、今の自分よりさらにもう一段上を目指したいと願う時。女はいつもよりちょっと思いきった買い物をしたくなるものらしい。なるほどそれは、女性ならではの愉しみであり幸福だろう。
他者からの承認や賞賛がなければなかなか自分に満足できない男たちと違って、女は、自身の可愛がり方をよく知っている。それこそ〈ご褒美〉とか〈投資〉と名づけた買い物ひとつで、充分幸せになれるくらいに。
「でも、だってほら、自分が幸せでないと、人を幸せになんてできないからね」

「だから私ね……欲しいと思うものがその人にとって本当に価値のあるものなら、手に入れるためにとことん貪欲でいいんじゃないかと思うようになったの。ちゃんと真剣に選んだ上で手に入れたそれを身につけたり側に置いたりすることで、どれだけ自分が豊かで幸せになれるか、ものの値段っていうのはつまり、そのための対価じゃない?」

「で?今一番欲しいものって、何?」

今、一番欲しいものは、誰にも気を使わずにのびのびと自分自身でいられる空間だ。

新人の頃のような、失敗をものともしないチャレンジ精神をもう一度取り戻す、というのは無理なんだろうと思う。経験を積んでしまったが最後、あの頃に戻ることはできない。だからむしろ、取り戻すんじゃなくて、新たに手に入れられるもののことを考えるしかないんじゃないか。経験に裏打ちされたぶんだけ、前よりずっと強靭になった大胆さとか、冒険心みたいなものを。

精神科医をしている友人から聞いた話なんですけど、奥さんが旦那さんの浮気を一度でも許してしまうと、旦那さんにとってはその奥さんが、妻ではなくて母親になってしまうんですって。母親ってほら、男の人にとっては特に〈許して受け容れてくれる〉存在だから。

今から全く別の生活を考えるのが面倒くさくて。今現在、仕事も交友関係も充実してるから、まぁいいやと思っちゃうんですよ。私の人生、今のままで充分幸せだって。

一緒に暮らす家族ってどうしても束縛みたいなのを感じてしまう。

こう言っては何ですけど、私以上に似合わないですよね。結婚とか。

皺だって白髪だって魅力の一つにしてみせる、それくらいの自信はあるのよ。

「パリが三日、ロンドン三日。予備日と移動日を含めてざっくり十日間。あらためて訊くけど、どう?やりたくない?」
一も二もなく、頷きたかった。久々に血の沸きたつような思いを味わっていた。体の奥底で無数の虫がうずうずとうごめいて外へ出たがっている。予感と好奇心の虫だ。

その夫が、今夜に限って、あんなにも延々と勝手な持論を展開したのはなぜなのか。彼の心理状態が手に取るようにわかってしまうことが悲しい。悲しいと言うより情けなくて、滑稽で、あまりにばかばかしくて、ひとり、泣きたい気持ちで苦笑いをもらした。
妻への思いやりが、消え失せてしまったのは、要するに彼にとって、今までのこの生活よりも素晴らしく思えるものが見つかったからだ。
仕事にばかり夢中で夫のことなど顧みない妻より、内緒で逢えば「愉しかった、また逢いたい」と素直に書いてよこす女のほうがそれは可愛いだろう。そういう女と日々比べるうち、妻に対する不満があらためて噴出し、無理してそれを呑みこむ気が無くなった。そういうことだ。

男ってのは、面子の生き物なんだよ。メンツを潰されたら、そこで終わりなんだよ。外へ出れば出たなりに、俺にだって外の顔ってものがあるんだよ。

いつだって、自分だけが正しいんだ。その正しさで人のことを追い詰めるんだ。

自分の感情が、誰か他人の持ち物のように思える。

未熟なのではなく、未知数

あんなに自由人に見えるのに、果たすべき役割は見事にきっちり果たしてみせるところ

口説かれたわけではなく、ちゃんと真摯な言葉をもらったこともはっきりしているのに、脳髄の芯がへんにとろりと痺れている。
ふっと、気づいた。彼のくれた言葉はどれも、夫からはこれまで一度もかけてもらったことのない言葉ばかりだ。夫があんなにも頑なに否定し続け、価値を認めたがらなかった、スタイリストとしての仕事それを今、彼ははっきりと肯定し、称賛してくれたのだ。

「それに、凄い人だってみんな言うけど、実際、映画監督としては恐るべき才能の持ち主だったと思うけど、普段は本当にただの癇癪持ちのオッサンよ。一日のうちにも機嫌がころころ変わって、 ついさっきまで怒って口もきかなかったかと思えばもう笑っててお守りしてるこっちは振り回されて大変だったんだから」

意外性こそが種火になって燃えあがるのが恋愛なんだから。

あなた、もっと男の人とちゃんと付き合いなさい。そうしてあらゆる物事が男の目から見ればどう映るかを知って、盗むようにしなさい。そうすれば、今よりもっと戦略的っていうか、挑戦的な〈媚び〉を含んだスタイリングも出来るようになっていくでしょう。何も、実生活で男に媚びろなんて言ってないわよ。でも世界の半分は男なんだから、ファッションの仕事をしていく以上、彼らの視線を無視することはできない。よっぽどの考えを持って逆のメッセージを発信しようとする場合以外はね。そう思わない?」

単にプライドが傷ついただけって言うけど、それって心が傷付くより始末が悪いのよ。

男ってさ、バカだよね。自分よりうんと格下の女といると楽ちんなんだよ。無理しなくていいから。当たり前のこと言ってても感心してもらえるし、俺が養ってやってる的な満足感もあるだろうし。ま、わかる気もするかな。お義姉さんの前だと、お兄ちゃん、いつも緊張してるもんね」

「あたし、お義姉さんのこと基本的には好きだしいい人だと思うけど、そういうところは嫌いだな。自分だけお高くとまって、余裕かましちゃってさ。道徳的に正しくないことは口に出しません、考えたこともありませんって、風紀委員じゃあるまいし。きっと、お義姉さんのそういうところがお兄ちゃんを追い詰めちゃったんじゃないの?わかる気がするよ。正し過ぎるものからは、そりゃ逃げ出したくもなるもんね

「自分を信じられなくて不安なら、今は私を信じておきなさい。」
これまでの人生を振り返っても、誰かからそれほどまでに力強い言葉をもらったためしはなかった。

顔は、何か大きなことを心に決めたかのように凜としている。もう要らない古いものを後ろへ振り捨てたようにも、この先に必要な新しいものを選び取ろうとしているようにも見える。私は、その二つが、同じものごとの表と裏であることに気づいた。

何を残し、何を捨てるか、はっきりさせなくてはならない。要らないものを捨てて余裕を確保しない限り、新しいものを招き入れるわけにはいかない。人生のクローゼットは無限に大きくはないのだ。

「何ごとも独りで決めるって、なかなかいいものよ。寂しいけど、その寂しささえほろ苦くて、慣れるとけっこう悪くないの」

本当に自分は嘘つきだ。

夫のいる身での他の男との快楽に流される女、それが自分だ。

今はまだ自由に動けないあなたを、この先ほんとに手に入れたいと思うなら、まずは俺が完全に自由でいなくちゃと思って。

あんまりネジを緩めてばっかりいたら、気持ちも体も緩んでいっちゃいそうで怖いのよ。

これまでは、恋愛などというものは思春期とか青春と同じで、人生のうちの一つの季節だとばかり思っていた。当然ながらとっくの昔に通り過ぎたはずだったのに、まるで突然の気候変動よろしく再び巡ってきて、今や自分はそのさなかにある。これは、一過性の異常気象のようなものではないのだろうか。こんなに熱くて甘酸っぱい、相手の欠点まで含めどうしようもなく愛おしく感じられる気持ちが、いつまでも長続きするわけがない。

「私があなたを大事に思ってなかったって?どこまで自分勝手なの?はっきり言ってあげる。あなたは、あのお義母さんから得られなかったものを私からもぎ取ろうとしてただけよ。息子の良くないところも全部許して、あなたのことをどんどん駄目にしていっお義母さん。あなたはその母親を疎んじてるくせに、勝手なところだけだらしなく甘えてた。女は自分を甘やかしてくれる存在だと思いこんでたでしょ。そうして私には、母親の代わりだけじゃなくて、いちばんの理解者であることまで要求して、俺のことをわかってくれるのはお前だけだ同志だとか絆とか、全部あなたの勝手な言い分でしょ。ええ、私はあなたのこと大事にしてきましたよ。 たとえ心から愛おしいと思えなくたって、夫婦だもの、ちゃんと一番に考えて行動してきたし、普通なら呑めないようなことも呑み込んできたの。あれ以上、何をどうしろって?私には他に出来ることなんかなかった。これからだってないよ。 お互いに別の相手がいるとかいないとか、もう関係ない、無理なものは無理。これ以上あなを大事にはどうしても思えないし、一緒にいたらどんどん嫌いになっていくばっかりだからきれいさっぱり終わりにしようって、そう言ってるの。あなたを傷つけたいわけじゃない。いま離れればせめて憎まないで済むだろうから、お願いだから、そうしよう」

愛情とか、情というものは、だんだんと冷えてゆくものだと思っていた。そうではなかった。ある時、ある瞬間を境に、どうしようもなく消え失せるものなのだった。
私は、人生のある時期、間違いなく自分の夫だった男の顔をじっと見た。互いの間がおかしくなり始めて以来、見知らぬ他人が目の前にいるような感覚に襲われたことは何度かある。今は、違った。よく知っているつもりで実はまったくわかっていなかった相手のことを、初めて正確に理解できた気がした。

人生なんて選択の連続ですもんね。ちょっと聞くと不幸に思えるような選択でも、本人にとってはそれこそが幸せに生きるための一番正しい方法だったっていう場合だって、きっとあるだろうと思うんです。

「何言ってるの。人生長いんだから、借りだの貸しだの、ずっと帳尻睨んで生きてくなんて無理。いま大きな借りだと思うんなら、いつかずっと先で、私じゃなくても誰かに返せばそれでいいの

ひとは、欲しかったものを手に入れた時、手放す日のことは考えない。心をこめて大切にしていく限り、これからもずっと自分のものである、つもりでいる。

恋人や家族に限らず、自分にとって大切なひととの別れこそが、何よりも深くひとを成熟させてくれる。
痛みに耐えきれずに毒を吐き、誰かを恨んだり、自分自身を呪い散らしたり、最初のうちは思いだすだけでも辛かった記憶を、長い時間をかけて心の奥底にくるみこんで、いつかほろ苦いような切なさへと変容させることが出来た時、やっと、次に進むことができる。
これから先も、愛する存在を持つことを怖れたくはない、いつの日か、また何もかもなくしてしまう時が来たとしても、そしてその時どんなに苦しくても、ただのひとかけらも後悔しないように生きるしかない。

「今のひとたちは、一歩踏み出す前から怖がり過ぎると思う。いいじゃない、もっと無様に生きれば。どれだけ挫折しようと、みっともなくのたうちまわろうと、命まで取られるわけじゃないんだから

愛おしい相手をまっすぐに愛おしむことができるのは嬉しいことだった。

お互い、それなりに長く生きてきたのだ。
自分の記憶を消し去ることさえ不可能なのに、どうして相手の記憶をなかったことなどできるだろう。
人は、過去によってかたちづくられる生きものだ。それぞれの歴史があってこそ、今ここにいる。

やってみたいことはあるのに、夢に賭けてみるだけの決心がつかない。何か力づけてくれるような、もう駄目だと思った時に勇気の出るような曲Fight Song

もう駄目かもしれないと何度もあきらめそうになった。
それでも、今、ここにいる。時に誰かの力を借りながらも、自分の足で立ち、心の奥底に眠るなけなしの勇気だけをたのみに、とにもかくにも生き延びてきた。行き詰まった時に力を貸してくれる人に恵まれていたのは確かだが、最初から人を頼って努力しなかったことは一度も無いと、胸を張って言える。それこそが、今の自分にとって〈自信〉と呼べる。

デジタル時計の数字が、さらさらと目の前を流れてゆく。立ち止まってなどいられない。人生は思うよりもあっという間だ。

太陽は、何度でも新しく生まれてくる。昨日、今日、明日、同じ日は二度とめぐってこない。一日生きるとは、一日ぶん死に近づくことだ。
それはきっと、怖いことでも悲しいことでもないのだろう。隣に立つかけがえのないひとが愛おしいのは、互いの関係に永続の保証がないからだ。世界があれほどまでに美しいのも、移ろってゆくのを誰にも止められないからだ。だからこそ、今この瞬間に命を燃やすしかない。

自分を変えるというのは案外かたちから始まるものだ。
自らを縛る今を変える。今を手放すことで新しい状況を手に入れられる。必要なのは踏み出す勇気だ。
人生は誰とも比べられないけれど、そばに目指す人がいれば自分がどうなりたいかを考えるきっかけになっていく。

何の変化もなければ、どんな感情も生まれない。
一人であっても二人でいても、それはたぶん変わらない。











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