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ミルク・アンド・ハニー

20240502

言葉の届かないところにあって疼き続ける傷を、重ねた身体の熱がたやすく癒すことはままある。けれど、慰めはどうしても恋には敵わないのだった。

精神的にぎりぎりまで追い詰められた時でさえ、人に読まれることを前提にした文章を紡いでしまうのは、同じ業界に生きる者の性と言っていいだろう。自分を見ているようで幾重にも痛々しかった。

一番大切なことって、いつも取り返しがつかなくなってからわかるんだよな。

他のことならともかく男に関してだけは、いっぺん気持ちが醒めちゃうと元には戻らないって
一度はどんなに好きだと思った人であっても、何かのきっかけで、〈無理〉と思っちゃうともう、何て言うか、本当に、もう無理だよね。彼とは別に、〈無理〉 って思って別れたわけじゃないもの。

私自身、男に一穴主義なんか求めないぶん、一棒主義でもないしね。
セックス込みで男女の友情が成り立つなんて奇跡に等しいじゃない。

共通言語で話せるところが好きなとこ

何げなく結んだ紐が、上手くほどけないことがある。それほどきつく結わえたつもりはなかったのに、ほとんど無意識に手を動かして結んだだけだったのに、その時点ではほどく時のことなど考えもしなかったから、うっかり固結びになってしまった。どうしてもほどこうと思うなら、もはや刃物を持ってきて切るしかないのだろうか。もっと時間をかければきれいに解きほぐせるのかもしれないが、そうするだけの忍耐も、細やかさも、すでに持ち合わせがない。

「また甘やかす。あなたはいつもそうやって、男をダメにするんだ。さんざん尽くして、油断させてさ。自分が飽きるとすぐ放り出すくせに」
「飽きると、じゃないよ。私のことを寂しくさせとくと、だよ。身体が、とかじゃないからね」

「あえて悪役になりきる覚悟も必要ですよ。いい人のまんまじゃ、離婚なんかできません。 一生恨まれることぐらい、承知の上でないと」

すべてを振り捨て、大事な人を傷つけてまで家を飛び出したときは先が不安でたまらなかったけれど、あの時、思い切って選択したからこそ、自分は今ここにいる。
他者や周囲に対して自分の意思を通すのが何より苦手だった。自分が我慢して済むことならば、その方がかえってストレスが少ない。家を飛び出すまで、激情家の夫に対してめったに言いたいことが言えなかった。

もとより義務感からセックスをしてもらって嬉しいはずがないのだ。本当に欲しいのは、相手の心の奥深くから自発的に溢れたかたちの言葉であり行為であって、それは頼んで与えてもらえる種類のものではないし、欲しいと匂わせることすらも最近はやめている。

二度と結婚したくないとは思わないけど、二度と離婚はしたくないね。

今現在の彼を疑っているということではない。ただ、人の心は変わってしまうというどうしようもない事実を、イヤというほど思い知っているだけなのだ。

恋人であれ友人であれ、精神的に支えになってくれる相手がそばにいるということと、当人が自立しているかどうかはまったく別の問題ではないのか。
経済的に誰のことも頼れず、便器を抱えて血を吐くほど苦しい中で、少しずつ少しずつ独りで立つことを覚えていった。その歳月を何だと思っているのだ、ふざけるな。

なまじ頭が回るだけに、相手をいちばん効果的に傷つける言葉を選んではぶつけてしまうのだ。そのくせそれが大事な相手だったりすると、後から自分のほうがどっぷり落ちこみ、深くふかく後悔してすり寄ってくる。

人間に言葉というものがある以上、相手に思いを伝えるための努力はしなくてはいけない。しかし同時に、人間にはお互いにどうしても分かり合えない時もあり、どうしても平行線のままのことだってあって、語れば語るだけかえって溝が深まりゆく場合もあるのだ。そういった部分に関してはもう、そういうものだとありのままに思い定めて、さっぱりとあきらめるしかないのだろう。
〈あきらめるとは、明らかに究めること〉
僧侶に教わった言葉だ。

今はどうでも、人の心はいつ、何がきっかけで変わるかわからない。

結局、私たち、どっちもまだ未熟なままなんだよね。閉じられた世界の中に長いこと二人きりでいたから。でも、もういいかげんに大人にならないと。

名残惜しさに目をそらすことができなかった。未練ではない。後悔、ではなおさらない。ただ、過ぎてゆく時というものの残酷さを思って胸をかきむしられるだけだ。この風景が、この環境が、どこより優る楽園だと思えた時もあったのに。

若い頃の視野など狭いものだ。すぐ側にいる恋人の一挙手一投足が、容易にこの世界のすべてとなってしまう。

早く、自分で家族を作りたかったんでしょう?自分だったら、幸福な家庭を作ってみせる。そんなふうに思ってのことだとしたら、もしかして、あなた自身が子どもの頃から寂しかったせいなのかなって。

今日はどこにも行かない。
そう言われて、たしかに嬉しかった。二人、家でゆっくり過ごせると思うだけで気持ちが弾むということは、自分はまだ彼のことを充分なだけ好きなのだろうと思った。
そうして間接的にでもいちいち自分自身に確認しなくては、わからなくなってしまうことがある。ただまっすぐにこの人が好きだ、と感じる機会がだんだんと少なくなっている気がして、そういう自分が不安になる。

彼にとっては既に、いわゆる〈釣った魚〉のようなのだ。
どうしてそんなに油断できるのだろう、とつくづく不思議に思う。結婚したわけでも子どもがいるわけでもないのに、相手がこの先も自分を大事にして離れずにいてくれるものと、どうして思い込んでいられるのかわからない。

「あなたが尽くしすぎるからだよ。だから男は油断するのよ。この女なら少しぐらいないがしろにしても大丈夫だろうとか、我慢させても裏切ったりするわけがないとかさ。それって甘く見られてるも同じなんだから、時にはビシッと言ってやんなきゃ駄目。黙ってるとつけあがるだけだよ」

「好きだから」「愉しそうだから」何より「そうしたいから」という理由だけで、心のおもむくままに仕事や生活のすべてを選べるのはなんと幸せなことだろう。
もう、とっくの昔に思い知らされている。自由とは、得てして孤独と表裏一体のものだ。それでも、できることなら、「かなり自由でありながらあまり孤独ではない」というあたりを、バランスよく渡っていけたらいい。

自我の殻が厚すぎるから、せっかくの性愛の最中にも強すぎる自意識が邪魔をして、忘我の境地にまで至れない。意識の鎖を断ち切ることができない。

お前、ちゃんと心まで裸になっているか?男と違って女は、そうでないと最後までイケるわけがないんだぞ。

言葉は生き物であって、これまでも、時代と共に大きく変わってきた。

贅沢さえしなけりゃ生活はできるっていうラインだけでも確保しておかないと、いざっていうときに冒険できないからね。

だって、あなた、本当は独りきりで何かに没頭するの好きでしょ。

身体の欲求が枯れちゃったら、創作意欲も枯れる。性欲の強さはとは、つまり生命力の強さだ。生命力の弱い人間に他者を圧倒するような虚構の世界など紡げるわけがない。

この先、彼が書いて成功して、用済みになった私をボロ雑巾みたいに捨てるなんてことがあったとしても私は、幸か不幸か物書きだから、年下のヒモに捨てられてボロボロになっていく女を、克明に、執拗に書いてやる。それくらいの覚悟は、初めからできてるよ。
でも、物書きなんてみんなそういう生き物かもね。 因果な商売なんだか、得な商売なんだかわかんない。

「セックスのあと虚しくなるのはもう、イヤなの」
「えー、やった後で虚しくならないセックスなんて、ないと思うけどな」

あるはずと信じて追い求め過ぎると、一生満たされないまま不幸に終わる。

最近は、男女の性のことを深く書こうとする作男の作家がほんとに少ないの。
「どうして書かないの?」って訊くと、『自分のやり方を知られるみたいで恥ずかしいから』と言うのよ。
本気で言ってるなら、作家なんかとっとと辞めてしまえって思っちゃうわね。 小説的鉱脈は、自分にとって一番恥ずかしいことの中にこそ埋まってるものなのにさ。もったいない。

恋情は、いったん途切れてしまうとまず元の熱には戻らない。

「旦那さんとは長いことしてないっていう主婦の方なんかはね。夫とはもう友だちみたいな間柄だし、自分のほうも子育てをしてるとなかなか女としての気持ちを思い出せないんだけど、それでも時々すごく寂しくなるんだって言って、恥ずかしそうに笑うんです。僕に対しては、セックスはしなくていいから、ただいろいろ話をしながら、腕枕をして髪を撫でていて欲しいって。そうしてあげてたら、とうとう、泣きだしちゃったんですよ。こういうのが欲しかった、って」
「――わかる気がします」

セックスはしなくていいから腕枕をしながら髪を撫でて欲しいと言った主婦の気持ちは、それはそれでわかる。わかりすぎて哀しいほどだ。彼女はきっと、何よりもまず女としての心の寂しさを誰かに埋めてほしくて、それさえ叶えば、身体の欲求そのものはあまり強くない女性だったのだろう。

もしかすると自分は、誰と深く付き合っても最後には別れてしまう人間なのかもしれない。

初めて具体的にこれからを思い描いた。これから先、不意の出来事はきっと増えてゆく。両親は年老い、いつどちらを見送ることになるともしれない。そんな場面のそれぞれで、支えてくれるパートナーがいるのといないのとでは心強さが違う。ひとりでは受け止めきれないことも、ふたりでならば何とかなるのではないか。
数年前までだったら考えもしなかったし、たとえ考えたとしても強気で押し切っていただろう。そばに誰かがいようがいまいが、死ぬときはどうせひとりだ、などと。
弱くなっているのを感じた。そんなに悪いものでもなかった。自分の弱さを認めてやると、張りつめた気持ちがいくらか緩み、そのぶん楽になった。これまで無理をして一人で運んでいた重たい荷物も、たまには誰かに手伝ってもらっていいのだと思えるようになった。

セックスレスのことは、これ以上、考えたくない。ほんとうは自分だって、好きな男とだけ抱き合いたいのに、そこに固執すればするほど肝心の男の心が離れてゆく。そんなジレンマから、もう解放されたい。永続的に満足のいく関係などあり得ない。恋愛初期には確かに有ると信じたものも、いずれは色褪せ、消えてゆく。一人の男に心も軀も満たされるなど、所詮は幻想に過ぎないのだろう。

一番好きなことを仕事にできたのだから弱音を吐くなんて贅沢だ、と自分に言い聞かせる一方で、だからこその苦しさも、今は思い知っている。一番好きなことを仕事にしてしまうと、もうどこにも逃げ場がないのだ。

毎日の家事というものは、もちろん煩わしいものでもあるけれど、決してマイナス面ばかりではない。それらは「生活を営んでいる」という手応えと、日々を自らの足で歩いている実感をもたらしてくれる。

物書きは、自分の内面と向かい合って対話する作業である。

自分が自分でめんどくさいから。

自分という人間は、一度でも性的に興味を持ったことについては、途中でいくら迷っても結局のところ試してみずにいられない生きものなのだと思っていた。 実際は、性的興味だけではないらしい。何であれ、いったん心から欲しいと願ったものについては我慢などきかないのだ。

いつも思うことだが、肉体の快楽は、じつは肉体のものではない。軀が感じるのはただの刺激であって、快楽を感じるのは脳であり心だ。

人間、三十も過ぎれば当たり前に分別がつくものと思い込んでいた。仕事の面でも恋愛の面でもめったなことでは揺らがず、乱れず、おそらくそのあたりをピークに心も体もゆっくり枯れてゆくのだろうと想像して、恐れる半面、早くそこを越えて楽になってしまいたいと思っていた。若かった頃の話だ。
〈四十にして惑わず〉という言葉がある。多くの人間にとって、四十という年齢がまさに惑いや迷いのさなかにあるがゆえの戒めなのだろうと、いまは思う。

自分にとっての喜ばしい出来事を、自分以上に喜んでくれる相手と一緒にいられて、他に何が不満だと言うのか。望んではバチが当たる、と思った。

結婚なんてものはさ、頭でいちいち考えてたら出来るものじゃない。もっと野蛮なものだと思うんだよ。

あなたと私の二人ともに、失くすのが怖いって思えるものをあえて抱え込んでみてもらいたい気がするんだって。そういうものを持つと、人は弱くもなるけど豊かにもなる。

たぶん、相手が誰だろうと同じことのくり返しだろうと思うんだ。相手がたとえ彼じゃなく別の人でも、身体のつながりなんてどうせいつかはなくなる。それを思えばね。この先の人生を誰かと一緒に過ごすなら、身体の相性より、言葉がちゃんと通じる人を大事にしていくべきじゃないかなって。

引越しの持ち物が段ボール箱にたった十個なのは、あなたの場合、身軽だからじゃないし、生きてゆくのに必要なものをわかっているからでもない。あなたが、人生をまともに引き受けていないからだよ。

切実にそう思うのは、金を稼いで欲しいからではない。いま生活に困らないからと、無為に時間を浪費するばかりの夫のことを、このままでは尊敬できなくなってゆくのが辛い。

まあ周期的に言って、そろそろそういうこと始めたくなる時期だよな。いいんじゃないの?でっかい借金とか環境の変化とかも含めて、そういう全部が仕事の原動力になるんだろうからさ。お前は、自分に必要なものがわかってるから、どこへ行って何をしたって大丈夫だよ。生命力、半端じゃないしさ。

たぶん、小説っていうものの性格がそうさせるのね。人間の、それもよっぽど深いところまで下りていかないことには、細部の描写や何かは文章にできないものだから。

いつだってそうだ。何が一番の原動力になったかと言えば、結局のところ好奇心だ。自分がまだ知らない世界を知りたい。

書く書くと言いながらいつまでたっても書こうとしない万年物書き志望がいちばん嫌いだった。

最後まで書き上げて人に見せない限り、こき下ろされることはない。応募して落選しない限り、いつまでたっても才能を否定されずに済む。だが、批判や無理解や挫折が怖くて、物書きなどやっていられるものか。それを怖れるのなら、作品など書くまでもなく、もとより才能がないのだと断じる以外にない。

圧倒的な力に導かれるような感覚というか、あ
らかじめ何ものかに定められている決定事項だったというか。陳腐な言い方なのはわかってる。けど、宿命的に反応したんだよね、抗う気持ちどころか、疑問さえ頭に浮かばなかった。

この世に未練のないトップランナーが放つ言葉と空気は、俺にはまだいささか手に余る。顔とか佇まいにだまされて、迂闊に近づくと危ないなとつくづく思ったよ。
ねえ、ほんとは薄々、自覚してるんでしょ?関わる相手を歪ませて、へたすると破滅させるスペックがあることを。

書くものへと結びつかないのなら、どんな逢瀬も色褪せてしまう。

ともに配偶者のいる彼との関係に望むのは、あたたかく育む恋愛などではない。一瞬で灰になれとばかりに燃え上がり、互いを喰らい合うような性愛なのだ。

あなたと付き合ったら、いろんなものを奪ってしまうと思う。
あなたの家庭を壊そうなんて、微塵も思っていない。自分では子どもを持つことができなかったから余計になのかな。
でも、お互いの実生活を壊す以外のものに対しては、気持ちを抑えるつもりがない。
あなたからもたくさんのものを奪って、吸い取ってしまうんじゃないかと思う。目には見えないけれどとても大きなものを。申し訳ないけど、これは自分では制御できないんだ。制御する気なんか端からない、と言ってもいいけど。

それでも、まわりの誰が何て言おうと、私だけは、この私がこんなもので終わるわけはないって信じてた。

いつか、絶対にめぐってくるよ。 あなたの「時」が。

これまで俺は、自分を殺し続けてずっと生きてきたの。そうするとみんな納得するし、安心もするんだよ。

「一回どころじゃないでしょ、あなたなら何度だってリセットしてのけるわよ、そうすることが自分には必要だと思ったらいつでもさっさとね」

幸福とは呼べない幸せもあるのかもしれない。

自分が一番好きなのはこの時間だと思う。

小説を書く、つまり、0から虚構を産み出すという作業

セックスっていう、ファンタジーの極みみたいな場において、彼ほど強固な世界を構築してみせられる男に会ったのは初めてなんだ。

あなたが言葉人間だからよ。
身体だけのつながりじゃ興奮を持続できないの。言葉を持っている男に弱いのよ。

心が、動かない。その事実にも、そして改めて見えてきた自分の本音に対しても茫然とする。

「考えていたんだよ。すべてを放り出して、この女とどっか遠い世界へ行ってしまったらどうなるんだろうなってね」
あれは確か、最初に身体をつなげた後、彼から初めて届いたメールだった。
同じ時、本当は同じことを思っていた。ただし、その時はただの妄想だった。そんなふうな人生も、この世ではないどこかパラレルな世界にはあり得たかもしれないと想像して切なくなるだけだった。

「じゃあ、どうすんのさ」
単純な問いに、思わず、本音で答えてしまった。
「果てまで見届けたいの。でないと、終わらない」
その瞬間。彼の顔から表情というものが滑り落ちた。頬や顎の筋肉が、だらりと弛緩したのが見て取れた。ああ、言うべきではなかったと思ったが、もう遅い。
「………それって、もう、恋じゃん」

果てまで見届けたいのは、むしろ、今現在の恋ではなく、自分のこのどうしようもなさだった。物欲であれ、性欲であれ、いったん身のうちに芽生えた炎を決して消すことのできない、この強欲の果ての地平へたどり着いてみたいのだ。

辛さやしんどさを人前で表すことができなくなった。それを露わにして同情を引くタイプの相手に対しては、脊髄反射的に嫌悪を覚えてしまう。

恋愛の究極は死

自分で死ななかったからこそ今ここにいるのだが、そんなものは結果論に過ぎない。どこかへ向けて車を走らせていた間、頭の中にあった〈死〉は、妄想の域を出ないと同時に、限りなくリアルでもあったろう。誰であれ同じだ。生きている者にとっての〈死〉は、常に想像や妄想の範疇にとどまる。けれど、それが現実になるのには一秒もかからない。境目はまさに髪の毛一筋ほどの細い線だ。

どこにも辿り着けないセックスだった。

〈浮気をした夫〉と〈妻を抱かない夫〉を比べれば、世間は後者に対してはるかに甘い。浮気に関しては妻も怒ってかまわないが、セックスレスについては、まあそれは我慢しなさい、仕方のないことだと思って諦めなさいという圧力がかかるのだ。

正直、あなたとこれ以上続けていくのはしんどいの。いくら努力するって限界はあるでしょう。子どものいない夫婦だし、せめてもうちょっと歳をとるまでは男と女として恋愛気分を楽しみたい私に、あなたは、「もう家族なんだからいいかげんに落ち着きたいよ」って言う。

「違うの。たとえばあなたがうんと努力をして、頑張って、これまでよりセックスの数を増やしてくれたところで私は、よけいに寂しくなっちゃうんだ。だって、快楽だけが欲しくてあなたと抱き合いたいんじゃないんだもの。大事な人に、女としての私を心から求めてもらった上で、二人で気持ちいい時間を分け合いたいっていうのが本当の望みだから。お互いに愉しくてたまらないからするのじゃなかったら、努力して抱いてもらうのはかえって惨めになるだけ。そういうのなら、要らないの。贅沢な言いぐさに聞こえるかもしれないけど」

「身体をつなげなくても、ただくっついてるだけでも幸せなんだよってこと、何度も伝えてきたつもりだけど、そうするとあなたは私の一番望むことを叶えてないっていう部分でプレッシャーを感じたりするわけでしょ。だからだよね、私がくっつこうとすると、さりげなく拒絶してたのは」

セックスなどという生易しいものではなかった。生きながら内臓を喰らい合うに近かった。

死後に快楽なし。

自分を否定し続けるには自分に甘過ぎるのだった。そういう自己分析自体がまたどうしようもなく甘く、自己弁護と大差ないのだった。

心がなくても言葉は紡ぎ出せるのかと思うと、そういう自分にも嫌気がさし、醒めていった。

痛い。苦しい。かといって、もう一度逢いたいというのとも違う。目が覚めてしまえば同じ夢の中には戻れないのと同じように、いまのところであれほどの幻想はもう二度と味わえない。

結婚生活とは、〈習慣〉や〈常識〉と呼ばれるモチーフをいくつもつなぎ合わせたパッチワークだ。それぞれの事柄について、これが当たり前という各自の思い込みがあまりにも強固なので、接する辺と辺をつなぎとめている糸はすぐに切れそうになる。

様々なことにおいて互いの間にすりあわせがあり、どちらかが折れたり、改めたり、受け容れたりする。 変革は必ずしも快いものとは限らない。
それでも、愛情が潤沢にある間は相手に譲ることがさほど苦ではなかったし、腹立ちを覚えたとしてももっとうまくやり過ごすことができていたはずだ。

また一つ小さくて大きなことをあきらめた思いがした。

一生忘れられないような暴言を山ほど浴びせかけられた。

男のプライドというものは、じつに邪魔くさい。生活を共にする相手であればなおさらだ。女のひと言ごときで傷つけられたり、気を遣って立ててもらったりしなければ保てない程度のプライドなど、二つに折って捨ててもどうということはなかろうに、と思う。こちらがそれを大事にするのは、扱いを間違えると後が厄介だからに過ぎない。

自分の心と身体に対して失礼だし不誠実だって言ってんの。

自分のことを不幸せだと思ったことはない。ただひとつ、どうしても埋められない穴ぽこのようなものはあるが、夫と別れたからといって誰かがかわりに埋めてくれるわけではないだろう。性的な欲求が強すぎる自分は結局、誰といてもこういうことになってしまうのかもしれない。たいていの男は、一度手に入れてしまった女をいつまでも求め続けてはくれないからだ。

大切な思い出の蓄積が、ただの男と女を夫婦にし、家族にし、他人ではなくしてゆくのではないか。

セックスっていう一番シンプルな関係さえもちゃんと結べなかった。

好きな男と抱き合いたいと願う時、疼くのは軀だけではない。心もまたきゅうきゅうと鳴く。セックスというのは、軀を通して互いを受け容れ合い、許し合う行為だ。確たる理由もないのに、一方的にその関係を放棄し続けてきた相手に対して、すべて飲み込んで心だけ寄り添わせるなどということが果たして可能だろうか。

心は決まっていても、思いを現実にするには、胆力がいる。

人との付き合いならまだしも、自分自身との付き合いは、生きている限りやめるわけにはいかないのだから。

離婚のしんどさは離婚したもんにしかわからん。

離婚そのものは微塵も後悔していないが、曲がりなりにも家にいた男の姿が消え去ることによって改めて思い知らされたことがある。
失ったのは、今ではなかった。もうずっと以前から、この生活はがらんどうだった。
もしかすると、失ったと思うことさえ幻想に過ぎず、あると信じたものはもとからなかったのかもしれない。
二度結婚し、二度離婚をした。
出会った男とは、事情は様々だが必ず別れてきた。結局のところ自分は、誰かと一対一の関係を紡ぎ続けることのできない人間なのではないか。
自分の中に何人もの自分がいて、それぞれを満たそうとすると一人では足りず、別々の相手が必要になってしまう。

彼の言葉には、言ったら言っただけの意味しかない。お世辞はお世辞とわかるし、本音はすぐに透けて見える。底は浅いがそのぶん、裏の意味を勘ぐっていちいち悩まずに済む。

他の男と寝たいとまったく思わない。操だてなどという以前に、自分が嫌なのだ。この身体を、彼以外の男に明け渡す気になれない。
他の男と寝てみたところで、失望することがわかりきっている。まがい物など要らない。

日常に、倦んでゆく。愛されることに慣れ、努力をしなくなってゆく。

彼と一緒にいて、愛しい気持ちが募り過ぎて、ああつながりたいなって思うことはよくあるのよ。でも同時に、心が満ち足りてると飢餓状態にならないんだ。しなくても別に構わない。くっついてるだけで充分幸せだったりする。

今までの人生の中で、今、一番幸せ

むしろ遠くからの方が物事の本質がくっきり見えることもあるのだと思った。

どっと泣けてきた。安堵とともに、それより強い罪悪感がこみ上げてくる。あと数年も経てば九十にもなる父親に、独りきりでそんな心細い思いをさせている娘。どれだけ親不孝なのだ。

父親は何も孤独が原因で亡くなったわけではない。けれどそれでも、端から見ればこれは〈孤独死〉だ。やりきれなさに胸が詰まる。

「せめて、あともうちょっと待っててくれればよかったのに」
「それも、最期をお前に見せとうなかったからや、って。長患いもせんと、できるだけ誰にも迷惑かけんように、ぜぇんぶ、きっちり考えて逝きはったんや。去り際まで、見事な人やったな」

快感に果てがあるのなら追求したいと願う気持ちが人一倍な彼女は、確かに性欲が強い。
けれど、彼女が求めるものは、実は彼女自身にもわかっていないのではないか。「性欲」という女性にとっては特にタブーとされてきたものに託して彼女が求める真の欲求は、女性――もっと言うなら 〈人〉という存在が内包し、私たち読者が人生のさまざまな場面で諦め、気づかぬふりをしてきた「満たされない」 何かそのものなのではないか。

自らの心と向き合い、多くのものを失い傷つきながらも、決してその場所を諦めなかった者の魂の冒険の記録。自由であることはさびしい。人が人として生きる限り、おそらくはさびしい。









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